踏んだり蹴ったり2011年03月02日 22時30分

踏んだり蹴ったりとは今日のようなことを言うのだろう。

朝、いつものように自転車で出かけようとすると後輪の空気が抜けている。おそらくパンクだ。
とりあえず空気を入れて様子を見る。空気が抜けている様子はなさそうだし、あまりあれこれしている時間もないのでそのまま家を出発する。

走り出したら走り出したで速度が出ない。そればかりか脚が重たい。昨日までの調子とは打って変ってだ。いきなりから自転車で行くのが厭になるが、かといって引き返している余裕もない。
走っているうちに原因がわかってきた。向い風だ。しばらく強風の日がなかったので風速の予報を怠っていた。ただ、タイヤの空気は抜けているわけではなさそうなのが幸いだ。
最後の数キロというところで道を折れたとたん、最強の向い風と直面する。前を走っているママチャリと大して変らない速度しか出ない。あまりにおかしいのでタイヤを見ると空気が抜けている。そりゃ重たくもなるよ。

空気を入れて走り出す。向い風にも拘らず快調である。
結局向い風と空気の抜けで二重苦になっていたわけだ。快調といっても風の弱い日ほどは出ていない。結局いつもより 10分ほど余計にかかった。

タイヤは調べたらホッチキスの針がささっていたのだった。

腹と尻2011年03月11日 23時05分

今日の地震ではうちの職場も揺れた。
帰宅後 TV を見ているが津波の威力を改めて思い知る。地震も怖いがそこらじゅう総なめにする津波はもっと恐ろしい。地震の被害がなくても水が多い尽くす。車やコンテナはもとより家までさらってしまう。「所有する」という概念を無化する光景だ。さらに津波は消防や救援も阻むのだった。

昨夜たまたま久しぶりに iPhone の「今日の地震+」を見たら「三陸沖」という文字がずらりと並んでいた。一昨日も同様だった。凄いことになっているなぁと思っていたら、この地震だ。さらに被害が拡大しないことを祈ると言ったところで津波で近寄れない場所は拡大せざるを得ないのだろう。

この一週間ほど前から、また非常食の補充と簡易トイレの購入をしなければならないと思ってウェブを検索しているところでもあった。無意識の予知能力でもあるのかと思ったりもするわけだが、本人が気がつかないようでは予知能力といえるかどうか甚だ心許ない。

話は変って。
今日は久しぶりに体重が 70 kg を切った。一年 3箇月ぶりくらいである。どういうわけか今週だけで 2 kg ほど落ちている。理由がわからない。腹周りは何となくすっきりしたようだし、内臓脂肪レベルの数値が 1.0 減少した。そのこと自体は喜ばしいことだ。

朝から脚の調子が出なかった。風向きによるものなのか、体調その他の影響によるものなのかはよくわからなかった。大体雪がちらつくとは何ごとか。もしかすると体重の減少と関係があるのだろうか。
帰りも同様に駄目だった。

一番駄目なのはここ数日、自転車に乗ると尻が痛い。これまでも多少痛いことはあったが、ここまで痛いことは最近なかった。これまた理由がわからない。もしかすると体重の減少で尻の肉が減り、骨とサドルで圧迫される面積が減ったことで痛みが増しているのかもしれない。

いい面はそのまま悪い面にも直結しているということか。

というようなわけで被災地域の人にはただただお見舞い申し上げる次第です。

東海、東南海、南海地震の不安2011年03月13日 21時50分

今は国を挙げて東北地方太平洋沖地震に取り組んでいる最中である。
こんなときにこういう話を持ち出すのもどうかという気がしないでもないが、それぞれの地震の発生に関して計画性があるわけでは当然ない。二日前に大地震が発生したからといって明日発生しないという保証はどこにもない。

今回の地震にしたところで「想定外」という話を頻繁に聞く。地震の規模、津波の規模はもとより、原子力発電所の事故にしたところで、巨大な津波までは想定しきれていなかったようだ。人間の想定した前提というのはコストの問題やら感覚的な問題もあってか楽観的なところに設定されがちなのだろう。結局そういう手加減された想定はあっさり覆されてしまい被害を拡大させる。

今回の地震が巨大だった影響で周辺の地震を誘発するという話もある。南海沖にまで影響が及ぶかどうかはわからないが、東海沖は影響がないかどうかは誰にも判断できない。悲観的に過ぎるかもしれないが、それが東南海、南海地震に影響するという最悪のケースがないということは誰にも担保できない。それどころか巨大な地震によって別の地震が連鎖するという事実がある上、いずれの地震もいつ起きてもおかしくないと言われているのだから楽観視することの方が不自然かもしれない。

不安を煽りたいわけではないが、勝手に想定した楽観的な予想があっさりと覆される事実を考えても、万一の備えをしておくことは必要だ。
これらの地震が発生したときに少しでも被害が軽減されるよう、備えをこれまで以上にしておかなければならないのではないかという気がしている。

2時間31分30秒2011年03月14日 22時55分

先週の金曜は調子が出ないと書いたが、今日の自転車通勤は久しぶりに調子がよかった。1時間17分は切っているだろうかと期待した。
職場に到着したときにサイクルメータを見て驚いた。1時間15分を切っていた。平均時速 24.5 km/h。当面の目標がメータで 1時間15分を切るということだったが、割合あっさり目標を達成してしまった。恒常的にこの時間で走るというのが次の目標になるだろうか。
それにしても先週の時間から往復で10分も短縮されている。因みに表題は本日の往復の記録である。

一応最終目標は信号待ちその他も含めて 1時間15分というところに設定しているが、これはなかなか手強い目標だ。信号待ちは日にもよるが片道ざっと10分程度見積っている。
ということは自転車に乗っている時間は 1時間 5分程度にしなければ目標は達成できない。そもそも通勤し始めた頃でも 1時間45分くらいだったので当初からすでに15分くらいは短縮されている(もっと言えば現在は当初の経路から若干だが長くなっているので、僅かではあるがそれ以上に速くなっている計算になる)。いくら距離があるからといっても流石にここから10分の短縮は厳しいような気がする。平均時速だと 28 km/h くらいで、短距離ならともかく、そんな数値はこれまで出したことがない。

大体平均時速 24.5 km/h というのはもっと短い距離を走ったときの割合速い場合の平均速度だ。トレーニングでもすれば速くなるかもしれないが、トレーニングまではするつもりがない。強いて言えば毎日の通勤がトレーニングである。

1時間15分で通えるということは電車より確実に15分以上速いことになるし、車にも十分張り合える所要時間だ。車は速ければ 1時間くらいで到着するらしいが、30 km もの距離を車と15分程度しか違わない時間で到着できるということは大いに自慢していいだろう。車でも混んでいると 1時間20分くらいかかるらしいから、その場合に限って言えば車よりも速い。

大体今の東京は停電の影響で電車の本数が減っていたりして電車通勤は大変らしいし、それが厭で車にする人が増えるから渋滞が激しくなり、ますます所要時間がかかっているようだ。
そういうときの自転車は圧倒的に有利である。ガソリンの入手もままならないらしいが、そんな心配も無用である。いくら速い(こうしてみると実際にはそれほどでもないが)といったところで車はガソリンがなければ走らない。電気自動車にしたところで渋滞していたらバッテリーが持たないだろう。自転車は乗る人が食べるものさえ食べていればガソリン不要で二酸化炭素も排気ガスも排出しない。

そうは言っても今日の記録は今のところ瞬間風速みたいなものなので、この速度が維持できるかどうかはわからない。したがって夢のような話かもしれないわけではあるのだった。

間一髪の雨、向い風2011年03月16日 22時00分

ここ数日夕方に雨が降る予報が続いている。昨日もそうだったが、忘れて残業していた。突如雨のことを思い出して、慌てて帰る。
外へ出ると霧雨のようなものが降りかけていた。

自転車で走り始めてしばらくすると雨も降らなくなった。そのうち雨のことは気にならなくなり、そのまま帰りついた。

帰ってしばらくしてからだった。何かおかしな音が聞こえてくる。窓の外を見ると結構な雨が降っていた。小雨くらいなら何とかなるが、あんな雨に降られると堪らない。

今日は寒くなるという天気予報だった。朝はまだそれほど寒くなっていないだろうと考えて長袖の T シャツ一枚で出かける。若干寒い。とはいえ、そのうち暑くなるのは間違いないので、そのまま我慢する。

寒さより難儀だったのが向い風だった。出勤時は基本的に西または北西を向いて走っている。西風と見えて常に抵抗があった。

「社会の公器」の弊害2011年03月19日 21時10分

以前から気になっていることにマスコミの「社会の公器」の弊害がある。
報道が必要なことはわかるし、われわれも情報を欲している以上、「マスコミ行くな」とも言いづらいのは間違いない。

しかし度を過ぎた報道やら取材方法・態度、自分のことは棚に上げて(というか都合の悪いことは報道しないから表にはなかなか出ない)政府やら企業、他人の批判ばかりして、まるでヘリコプターの取材のごとく高いところから高見の見物で、知識もない癖に好き勝手言いたい放題という姿勢に眉を顰めている人も多いのではないかと思う。(余談だが「分電盤」を「ぶんばんでん」と読むようなまともに日本語も読めないようなやつがキャスターするな)

政府やら東京電力の対応を見ていると批判されて仕方ないように思えるが、だからといって一方的に批判するマスコミも碌でもないのは間違いない。

現場に行くのにしたってどうせ徒歩や自転車、電車ということはなく、車で乗り込んでうろうろしているに違いないのだろう。まともな取材もあるが、「今そんな取材をして何になる」というようなレベルの低いものも多い。そんなものに無駄な燃料と資源を消費するくらいなら、取材のついでに救援物資の運搬くらい手伝えと言いたくもなるというものだ。

「社会の公器」などという偉そうな使命を掲げているから錯覚したりするようなのが増えたり、それに胡坐をかいたりする連中が出てくるのだろう。
今や最大の権力はマスコミと言っていいくらいのものなのに、マスコミの姿勢を改めさせるような対抗勢力というものはそれほどないように見える。たまに「われわれも反省しなければなりません」などと殊勝なことばが聞かれることはあるが、その後改善された様子は一切ない。

インターネットが普及してきて一般市民が情報を流すことができるようになって、多少マスコミの批判が流通するようにはなってきたが、永年の体質からか上記の「社会の公器」を標榜しているからか、基本的には上からものを見るような連中になってしまったからか、偉そうな態度が改まる気配は感じられない。そんなことでは他の斜陽になりかけている産業同様、そのうちインターネットに淘汰されてしまうだろうとも思って溜飲を下げているが、それもいつのことになるだろうか。

関東周辺では計画停電で世間は困っているようだ。NHK は一部のチャンネルで深夜の放送を中止し、総合などは地震関連の放送をしたりしているようだが、民放は局によっては深夜もどうでもいい番組を放送していたりするようだ。メディアとして娯楽を提供するという側面があるのもわかるが、セ・リーグを批判する割にはどうも「社会の公器」としての自覚がないように思える。
個人的には野球に殆ど興味はないが、開幕を強行しようとしているのがナベツネというのだから、少なくとも読売の系列は自分らが「社会の公器」としての自覚はなく、それを振り翳せば何でも通る便利な道具として利用しているに過ぎないのではないかと勘繰りたくもなるというものだ。

セ・リーグ開幕延期について2011年03月19日 23時30分

29日に延期になったらしい。
野球ファンも怒っているようだし、電力会社はセ・リーグの試合に合せて計画停電実施したらちょうどいいのではないか。

1000 km 達成2011年03月25日 22時00分

11月から片道 30 km の自転車通勤を始めて、初めて月走行距離が 1000 km を超えた。
11月はあと少しというところで届かず、12月は天候不順と宴会その他で自転車に乗る日が少なかった。1月と 2月は膝やら頭の具合がよくなくて走行距離が伸び悩んだ。
すべての出勤日を自転車通勤すると 1200 km 程度になると思うが、まあそういうことはなかなかないだろう。
今月は都合で自転車に乗れるのは残り 2往復だから 1120 km くらいにはなりそうだ。この歳になって自分の記録を更新するようなこともあるのだ。

ところでサイクルメータには最高速度が出るようになっているが、今日は 47.5 km/h だった。瞬間速度だろうと思うが、いつの間にそんな速度が出ていたのだろうか。大抵 42 km/h くらいなものなので、ちょっとよくわからないのであった。

寒い、暑い2011年03月26日 14時20分

三月も下旬というのにこの寒さは一体どういうことか。

この冬の寒さも膝の不調以外は特に問題なく、というか寒いくらいが汗問題には個人的にはちょうどいいくらいではある。馴れてしまえば寒さはあまり感じることがなく、冷たさだけが難点になるくらいだ。ところがたまに暖かい日があると、体がそっちに馴れてしまうのでだんだん寒いのが厭になってきた。三月下旬というのもあるし。ちょっと考えると桜が咲き始めてもいい頃なのだった。

わが家の裏には家を建て替えた頃から桜があった。それ以前は砂利を敷いた駐車場だったわけだが、建て替えた頃に土が盛られ、桜が植えられた。裏の施設で苗木を大きくするための場所としてうちの裏附近が選ばれたわけだ。その施設の住民ですら、うちほど条件よく桜が見られることはなかった。うちと同じ並びの家の裏からも見えないことはないだろうが、うちはすぐ裏に桜があったので独占しているというか、まるでわが家のための桜という感じで植えられていた。
ところが、今年突然(でもないが)裏の施設が閉鎖され、桜も撤去されてしまった。今年一番の残念かもしれない。

話が逸れたが、そんな時季にも拘らずこの寒さだ。気象庁の三箇月予報によれば来月以降、気温は高めに推移するらしい。ということは寒いと思っていたら忽ち暑いということになるのではないかと嬉しくない予感がしている。
私の場合、汗問題に直結している。最近は職場に到着するとヘルメットとバンダナもどきと顔と頭を水道水で洗うのが日課になっている。すでに湯ではなく水道水で洗うのが冷たくて気持ちよくなっていたりする(湯は使えない)が、夏はぬるくて気持ちよくないのだろうなぁと今から無意味に心配している。

去年の秋もそうだった。暑いと言っているうちに涼しいを通り越して寒くなった。快適な期間が減って、まるでオートになっている車のエアコンのような具合である。

話は違うが、電気自動車が増えるとそれはそれで電力網に余計な負担がかかるのではないかと心配になる。まだそれほど普及していないのが幸いみたいなことになっているが、ただでさえ東日本は電力供給が悪化しているのに、これまではガソリンでよかった車の燃料まで電気になればさらに電力問題が深刻になるだろう。
オール電化の普及が足枷になりつつあるという話もあるようだが、国内に限れば電気自動車が今後、電力問題を深刻にしかねない可能性が出てくるのかもしれない。
クリーンだエコだはいいが、どうしてもエネルギーを消費するところから離れられない現代人であった。

ガス発電の可能性2011年03月26日 23時30分

東日本の一部の地域では計画停電という名前の無計画な停電に悩まされているらしい。
言っていることもやっていることも出鱈目な東京電力の顧客でなくてよかったと思っているが、同様の事態になったときに関西電力がもっとまともな対応をするかというと甚だ疑問ではある。

で、:現代日本で停電がそれも長期間発生するなどということは誰も考えなかったのではないか。以前にも書いているが、うちではガス発電のエコウィルを検討したことがある。そのときは発電システムの癖に外部給電がないと発電しないという、まるで福島原子力発電所のように発電所が停電でポンプが動かないという情けない状況に似ている。原子力発電所の方はポンプもイカれている可能性はあるので話は単純ではないかもしれないが、いずれにしても不細工なこと夥しい。

ガスが来ていれば外部給電がなくても発電するというシステムはリスク分散という意味で有効である。通常、地震で電気とガスが止ると復旧するのは電気の方が早いのであまりリスク分散にはならないのだが、今の関東の状況を見ていると、そういう家庭用ガス発電システムがあるのであれば、リスク分散として有効である。太陽光発電が設置してあれば昼間であればガス発電が可能になるが、発電してくれるものがあるのにさらにガスで発電しても電気が余るだけの可能性がある。さらにそれも夜になれば機能しなくなるので風呂に入りたいといっても昼に沸かしておくより手はない。結局間抜けなしくみになってしまう。
ところが、ガス発電を自力でするシステムであれば昼夜問わず電気が供給できるので、有名無実な「計画」停電下であっても太陽光発電以上に有効である。

おそらくガス会社もそんな状況を考えていなかったので、給電がないと発電しませんという不細工なシステムを売っていたのかもしれない。ところが状況は一変した。今後原子力発電所の増設は事実上不可能なので、場合によっては停電が発生する可能性がないとは言えない。さらに、電気自動車が増加してくると電力需給はいっそう逼迫してくることは間違いないので、ガス会社に自立ガス発電システムの商機が巡ってきたのではないかと思う。

さっきも書いたように個人的にはリスク分散という意味でガス発電には関心があるし、太陽光発電が普及すると、送電線の電力状況が不安定になるというようなリスクも言われている。それが原因で停電するのかどうかはわからないが、家庭の電源系統に影響するのも困った話なので、エコウィルだのガス・コージェネレーションだののように外部給電が必要な間抜けなシステムでさえなければ、(費用が回収できる目算は必要だが)導入してもいいと考えている。
電力会社からの給電は受けずに完全自家発電で構成できるようになると、そういう場合に電力会社からの電気を切断して自立発電だけにし、安定すれば電気を買うというようなことも検討できる。かなり大袈裟な話だが。

そこまで大袈裟なことを考えている家庭は少ないだろうが、病院などもう少し大きな規模のガス発電システムは実際に売れる可能性がある。停電するから CT が動かせないとかいろいろ問題も出ているようなので、それだけの需要に対応できるシステムであれば今すぐにでも引き合いはあるだろう。病院にとっては患者の死活問題であるから中途半端でなければ検討するところもあるに違いない。
是非ガス会社には検討してもらいたい。(くどいが外部給電が必要なものではない)