再び TOEIC2016年07月02日 10時45分

ここにブログを持っていることは忘れていないが、あまり何か書こうという気にもならない。直近では Facebook もあまり書かなくなった。

TOEIC をまた受けた。受けたのは 3月だ。TOEIC のスコアは公式には 2年しか有効ではないが、うちの会社の資格手当としては 3年有効である。実は去年の秋にも受験しているが、700 点台後半で結果が思わしくなかった。資格手当としては十分なのだが、前より下がったというと体裁が悪いこともあるし「英語勉強する」とか言っている手前もあって、そのスコアは提出しなかった。

TOEIC は 5月の試験から出題内容が若干変更される。資格手当としての有効期間が切れる前で新テストになる前には受験したいというので 3月に受けることにした。3月、4月は比較的スコアがよくなる傾向があるという噂もある。
結果は 870点だった。これなら前に提出したスコアより上だし、まあ満足のいく点なので、これを会社に提出した。

今回も例によってあまり英語の勉強はせず、模擬試験を受けて試験に馴れるという戦略だった。ところが毎週やってもあまり効果がない。他にもやることがあるので隔週でやる程度にしてみた。

会場は期待していた大学ではなく、そこと同様近所にある別の大学だった。

ここには書いていなかったが、この 3月で派遣が終了し会社に戻ることになった。派遣先から打切られたのではなく、うちの会社から言い出したことらしい。最初聞いたときは「馬鹿か」と思った。
うちの会社から二人その会社に派遣されていた。もう一人は電気設計の技術者なので会社でもそんな仕事をやっているし戻っても仕事は探せるが、私のような仕事はうちの会社では誰もやっていないし、会社に戻って仕事を探すといっても、そうそうあるようなものではない。
以前から自分の英語の実力を上げる必要は感じていたが、なかなか本気が出ず、そのままになっていた。そんなわけで会社に頼らなくてもいいように勉強することにした。テキストというか教材はもともと英語の習得に使ったものを再び使うことにした。というかあまり適当なものがないのだ。前回は NHK で録画したものから音声だけダビングして聞いていたが、今回は 6、7年前に購入した DVD の字幕データを取り出したテキストを使用するつもりである。DVD を購入したときにある程度編集して html にしていたが、今回聞き取り直してなるべく実際の台詞に近づけるようにしたり、若干 html に手を入れたりしてみた。

以前の html のままだと iPhone で開くと文字が小さくなっていちいち拡大しなければならないし、そうすると全体を見るのに縦方向だけでなく横にも画面をスクロールしなければ見えないので面倒この上ない。主に iOS デバイスで見やすくなるように html を xhtml から html5 にした。あれこれ調べて漸く iOS デバイスでも見やすい大きさで表示されるようになった。pdf とかワープロのフォーマットで作成するのがいいのではないかと考えたこともあったが、html にしておいてよかった。数行の手直しで iOS デバイスと PC で見やすい表示が得られるし、ページという概念もないので、表示もスムーズだ。

という余談はともかく、今回テキストになったものを見て改めて半分も理解できていないことを思い知った。これで TOEIC のスコアが 870 点なら、満点でもたかが知れていることになる。字幕やら速度変換に頼らずドラマなんかをほぼ理解できるようになるには TOEIC のスコア換算で 2000 点くらい必要ではないか。TOEIC は出題される内容が限られているので、万能とは言えない。世間はそろそろ TOEIC 頼みをやめた方がいいかもしれない。TOEIC を意識しないで勉強している人らにはありがたいことかもしれないが。

ところで英語の仕事というのが曲者である。英語ができると尊敬の眼差しで見られることはあるが、仕事となるとなかなか尊敬の眼差しでは見てもらえない。世間を見渡すと少ないかもしれないが、それでも英語の使える人となると掃いて捨てるほどいるらしい。タレントでも会話程度ならできるというのは帰国子女の擡頭もあって増加傾向にある。なのでかどうかは知らないが、翻訳の仕事の単価は驚くほど安い。
ところが翻訳者の仕事の質はどうかというと一般的にはそれほど高くないというのが私の実感である。
いい仕事をしている人も多いだろうし、人目に触れるものは比較的まともな仕事がされているような気がする。それでも誤訳を指摘されることはあるが。
ところが、業務関係の翻訳となるとお話になっていないものが多い。特に技術系でまともなものは見たことがない。すでに亡くなられたが、ある人だけは完璧だった。その人は例外である。唯一尊敬できるドキュメントライターだった。この人は翻訳仕事はしていなかったと思うので、翻訳者とは言えないかもしれない。

本人らはどういう姿勢で仕事をしているのかわからないが、とりあえず翻訳しときゃいいだろうとしか思っていないのではないか。出てきた翻訳を見る限りそういうふうにしか思えない。そんなことだから単価が安くなるのだろう。
そもそも翻訳者は技術のことがわかっていない。私は大抵の翻訳者は英語馬鹿ではないかと疑っている。英文科を出たとか、英語しか勉強していませんという手合だ。なので、実務に関する知識がないので、内容が理解できない。必然的に仕上った英語がちんぷんかんぷんということになる。こういう人らの書く英語(当然和訳も)は信用できない。訳語を間違っている、意味が違う、場合によっては似たような文章が並んでいると何も考えずに手を抜いてコピーし、誤訳を量産する。

定年後に翻訳で細細と食いつないでいくのであれば翻訳を仕事にするという選択肢を考えてもいいかもしれない。ただ、それでは面白くないので、できれば英文ドキュメントを書く仕事ができればありがたい。ところが、うまくいかないもので、なかなかそういう仕事はない。
仕事自体はあるに違いないと思っている。実際外国相手に仕事をしているところでは需要自体はある。ところが、仕事の一環として捉えられていることが多いので、そのためだけにお金を払うという意識がお金を握っている人にない。要するに担当者はそういう仕事をしてくれる人にいてほしいが、上司はそんなものに金を払う必要を感じていないということだ。
金を出す人は英語に訳されたものの質が判定できないから必要なら単価の安い翻訳者を手当てすればいいだろう、というくらいにしか考えていない。今ではウェブで機械翻訳できるということを知っていたりするので、話はこじれるばかりだ。
話はそれるが、日常会話ならともかく、今のところ機械翻訳はそのまま使える状況にはない。AI が急速に進歩しているので、機械翻訳に AI が使われるようになったらどの程度使えるようになるのかわからないが、それでも日本語と英語は相性がよくないので、AI が自然で正確な翻訳を出力するにはまだしばらくかかるだろう。Google 翻訳が AI を使用しているのだとすれば、翻訳者は当面安泰だ。Google 翻訳は他の翻訳システムのように構文解析して文法に従って翻訳しているわけではなく、雰囲気で翻訳しているので(というようにしか見えない)、完全に逆の意味の翻訳をしてくることがある。それでうまくいっている場合もあるようだが、信用してはならない。ましてや鵜呑みになんかすると食道まるごと大火傷することになる。

単価の高い翻訳者ならいいというものでもないのが難しいところだ。難儀なことに翻訳されたものを評価する能力が雇う人にないことが多い。結局雇うにしても、評価できるだけの英語力が必要になるわけである。それだけの能力があれば仕事量が少なければ自分でやってしまえるだろう。それだと雇う必要がなくなったりすることになったりもする。翻訳者を雇う、探すというのはそういう難しさがある。訳語を統一すればいいというような簡単な話ではない。

他人のことはどうでもいいが、とりあえず自分としては翻訳の仕事ができる程度には英語の実力がなければならないだろうと考えてちまちま勉強している。さらには仕事のある領域も探さなければならない。先は長いのであった。

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