黒い日産の改造車に乗ったどうしようもなく運のない男 ― 2012年10月24日 22時50分
今日も平凡に一日が終っていくのだろうと思っていた。
帰りのことだった。
幹線国道を走っていると横を日産の黒い改造車が前の車を煽るように走って行った。そのときは「相変らずアホなやつがいるなあ」くらいにしか思っていなかった。見る間に前方に消えた。
しばらくその国道を走り、私は国道から少し南にある線路沿いの道を走り始めた。少し走っていると黒い日産の車を追い抜いた。どうにもさきほどの車に似ている。どこかに行ってしまったとばかり思っていたら、こんなところを走っている。
また追い抜かれたが、そのまま見えなくなるだろうと思っていたら前方の信号で車が詰っている。私が通るときには青になったので、必然的にそのまま追い抜いて行くことになる。走り続けていると次つぎに追い抜いていき、黒い日産も追い抜いて行った。
そうしたら前方でまた信号が赤になっている。私は信号のところまで走り停止する。青になったので走り始める。あっちは隙があれば速度制限を無視して暴走したい馬鹿なので、不必要な速度で追い抜いて行く。
たまにクラクションを鳴らされて走り抜けていく車に腹を立ててぶっ千切ってやりたい衝動に駆られることがあるが、そんな脚力があるわけでもないので、追い抜かれてそれっきり見えなくなるというのがいつものパターンだ。
見ていると先の信号が赤になる。また私が信号まで辿り着く。青になったので走っていると、追いついてきて窓を開け「危ないやろ。歩道に上がれ」とか何とか喚いている。食ってかかりたい気もするが、今回こそ追い抜けるだろうと思うのに並走してそんなことを喚くような奴に食ってかかると幅寄せか何かされかねないので、無視して車道を走る。
少ししたら追い抜いて行ったが、先の信号は赤になる。仕方がないので信号まで行く。この調子だとまた因縁をつけられるかもしれず鬱陶しいので、信号待ちしているところから南に入り線路の反対側の歩行者しくらいしか通行できないような細い道を走ることにした。今度こそ走り去ってくれるだろうと思っていたら両方の道が合流するところまで走った頃にその車は飛ばして行った。
漸くいなくなるだろうと安心していた。
少し先に信号はあるが私が通過する頃には赤になって私がひっかかるだろうタイミングだった。実際その通りになり、黒い日産はその先を走っていく様子が見えた。この時間帯は私が引っかかった信号の二つ先まで走ると必ず赤になる。これでさらにどこかに行ってくれるだろうと期待していると、またさらに二つ先の信号で引っかかっている様子だ。こんな碌でもないやつに限っていつまでも付き纏われるのかと思うとそろそろうんざりしてきた。
あっちは私が信号に近づく前に青になったので、走り始めているが、どういうわけか私は珍しくその信号で引っかかる前に通過できてしまった。普通は引っかかって待たされるのにである。
このパターンだとさらに先の信号ではこっちもあっちも赤で停車することはないので、安心していると、馬鹿がその先の信号で引っかかっている。私が近づく頃には青になっていて、うまくすれば私が赤で引っかかるかもしれないと思っていたらそのまま青で通過できた。
少し先にも信号があるが、そこから先は一方通行で車は直進できない。そこで黒の日産は信号待ちしている。
信号の様子を見ていると私がその信号に届く頃に青になりそうだ。
信号に辿り着く直前で青になったので自転車の私はそのまま直進する。よほど何か言い返してやろうかとも考えたが、追い抜いて鼻を明かしてやる方が気分がいいので、ぶっ千切って直進する。間違ってもあっちは追いかけてくることはできない。
その先で私の走っている道と黒い日産が走る道は別の国道に合流することになる。これ以上関わり合いになるのは勘弁してもらいたいので、国道に合流するところでいつもは走らない別の道に抜けて日産を躱すことにした。
この間約 5 km。あっちは無意味にアクセルをふかして 5 km 走り、何でもないクロスバイクがいつもくらいのペースで走って結局ほぼ同じ所要時間というのが痛快であった。普段ならこっちがぶっ千切られて追い返すことなど叶う筈もない。
腹は立ったし、若干身の危険も感じたが、最後にぶっ千切れただけでも爽快だ。
黒い日産の男はよほど日頃の行いがよくないのだろう。5 km も無駄にガソリンを消費しながら結局人力車輛と同じパフォーマンスしか出なかったわけだ。合流する筈の国道をぶっとばしたところで、結局自転車と大して違わないのだろう。
警察に言ったところで取締ってくれるわけでもなく、警察に行くだけ無駄骨に終るような気がするが、あんなやつがいなければ車道を自転車が走っても全然危険ではない。
いつもはぶっ千切られるばかりなので、都市部では自転車の平均速度は車と同等であると知ってはいても結局車が速いのだろうと思わずにはいられないのだが、こういう経験をしてみると改めて自転車の速度が馬鹿にできないことが実感でき、これはこれでよかったのかもしれないという気にもなるのであった。
帰りのことだった。
幹線国道を走っていると横を日産の黒い改造車が前の車を煽るように走って行った。そのときは「相変らずアホなやつがいるなあ」くらいにしか思っていなかった。見る間に前方に消えた。
しばらくその国道を走り、私は国道から少し南にある線路沿いの道を走り始めた。少し走っていると黒い日産の車を追い抜いた。どうにもさきほどの車に似ている。どこかに行ってしまったとばかり思っていたら、こんなところを走っている。
また追い抜かれたが、そのまま見えなくなるだろうと思っていたら前方の信号で車が詰っている。私が通るときには青になったので、必然的にそのまま追い抜いて行くことになる。走り続けていると次つぎに追い抜いていき、黒い日産も追い抜いて行った。
そうしたら前方でまた信号が赤になっている。私は信号のところまで走り停止する。青になったので走り始める。あっちは隙があれば速度制限を無視して暴走したい馬鹿なので、不必要な速度で追い抜いて行く。
たまにクラクションを鳴らされて走り抜けていく車に腹を立ててぶっ千切ってやりたい衝動に駆られることがあるが、そんな脚力があるわけでもないので、追い抜かれてそれっきり見えなくなるというのがいつものパターンだ。
見ていると先の信号が赤になる。また私が信号まで辿り着く。青になったので走っていると、追いついてきて窓を開け「危ないやろ。歩道に上がれ」とか何とか喚いている。食ってかかりたい気もするが、今回こそ追い抜けるだろうと思うのに並走してそんなことを喚くような奴に食ってかかると幅寄せか何かされかねないので、無視して車道を走る。
少ししたら追い抜いて行ったが、先の信号は赤になる。仕方がないので信号まで行く。この調子だとまた因縁をつけられるかもしれず鬱陶しいので、信号待ちしているところから南に入り線路の反対側の歩行者しくらいしか通行できないような細い道を走ることにした。今度こそ走り去ってくれるだろうと思っていたら両方の道が合流するところまで走った頃にその車は飛ばして行った。
漸くいなくなるだろうと安心していた。
少し先に信号はあるが私が通過する頃には赤になって私がひっかかるだろうタイミングだった。実際その通りになり、黒い日産はその先を走っていく様子が見えた。この時間帯は私が引っかかった信号の二つ先まで走ると必ず赤になる。これでさらにどこかに行ってくれるだろうと期待していると、またさらに二つ先の信号で引っかかっている様子だ。こんな碌でもないやつに限っていつまでも付き纏われるのかと思うとそろそろうんざりしてきた。
あっちは私が信号に近づく前に青になったので、走り始めているが、どういうわけか私は珍しくその信号で引っかかる前に通過できてしまった。普通は引っかかって待たされるのにである。
このパターンだとさらに先の信号ではこっちもあっちも赤で停車することはないので、安心していると、馬鹿がその先の信号で引っかかっている。私が近づく頃には青になっていて、うまくすれば私が赤で引っかかるかもしれないと思っていたらそのまま青で通過できた。
少し先にも信号があるが、そこから先は一方通行で車は直進できない。そこで黒の日産は信号待ちしている。
信号の様子を見ていると私がその信号に届く頃に青になりそうだ。
信号に辿り着く直前で青になったので自転車の私はそのまま直進する。よほど何か言い返してやろうかとも考えたが、追い抜いて鼻を明かしてやる方が気分がいいので、ぶっ千切って直進する。間違ってもあっちは追いかけてくることはできない。
その先で私の走っている道と黒い日産が走る道は別の国道に合流することになる。これ以上関わり合いになるのは勘弁してもらいたいので、国道に合流するところでいつもは走らない別の道に抜けて日産を躱すことにした。
この間約 5 km。あっちは無意味にアクセルをふかして 5 km 走り、何でもないクロスバイクがいつもくらいのペースで走って結局ほぼ同じ所要時間というのが痛快であった。普段ならこっちがぶっ千切られて追い返すことなど叶う筈もない。
腹は立ったし、若干身の危険も感じたが、最後にぶっ千切れただけでも爽快だ。
黒い日産の男はよほど日頃の行いがよくないのだろう。5 km も無駄にガソリンを消費しながら結局人力車輛と同じパフォーマンスしか出なかったわけだ。合流する筈の国道をぶっとばしたところで、結局自転車と大して違わないのだろう。
警察に言ったところで取締ってくれるわけでもなく、警察に行くだけ無駄骨に終るような気がするが、あんなやつがいなければ車道を自転車が走っても全然危険ではない。
いつもはぶっ千切られるばかりなので、都市部では自転車の平均速度は車と同等であると知ってはいても結局車が速いのだろうと思わずにはいられないのだが、こういう経験をしてみると改めて自転車の速度が馬鹿にできないことが実感でき、これはこれでよかったのかもしれないという気にもなるのであった。
iPad カバー ― 2012年08月15日 22時10分
これまでずっと iPad を裸で使ってきた。持ち出す予定もないのでカバーは特にいらないだろうと思っていた。ところがカバーが欲しいと思うことがある。
・製品が辷りやすい
ディスプレイ面もそうだが、アルミシャーシ側もよく辷る。注意しないと辷り落ちそうになることがある。実際に落したこともある。階段の上から落したりすれば大変だ。それだけでなく手に持っていても重さで辷り落ちそうになることがある。
・立てられない
iPad にはスタンドなどもないので立てて使うことができない。立てようとすると手で保持しなければならない。何かに立てかけようとしても上記のように辷るのでそれも難しい。
というようなわけで暫く前からカバーを検討していた。ウェブで探してみたが無数にあってどれがいいのかわからない。今日、梅田に行く用事ができたついでにヨドバシカメラに行ってきた。
今回探したのは以下のようなものだった。
・カバーを装着したまま使用できるもの
封筒みたいなやつではない。こういうタイプは状況にもよるが使用中にケースの保管について考えなければならないのが面倒である。出し入れが面倒というのもある。
・革、人工皮革、あるいはスエードみたいな材質
手で触れる部分がポリカーボネイトやらプラスチックなどを使用しているものは希望しない。iPhone の場合は常に持ち歩くので触感よりは保護性能を重視するが、iPad は大半が家で使うし、持ち出す場合も鞄などに入れて持ち歩くことになるだろう。その場合の保護は鞄の中で他の物と接触したときの瑕を心配することになるから、柔らかい素材の方がいいだろうと考えた。
・アップルロゴの部分に穴が開いていないもの
アップルのロゴが嫌いなわけではないが、あれだけ大きなロゴを穴まで穿って敢えて見せるデザインが私には理解できない。
・ベゼルを極力覆わないもの
革などで作られたカバーにはベゼルを覆って本体を固定するあるいは収納するものがあるが、今までベゼルに余計なものが何もなかっただけに個人的にはそういうデザインは目障りになるだろうと考えた。iPad を保持するために覆うにしても最低限であって欲しい。
売場に行くと iPhone ほどではないが、かなりの製品が並んでいる。上記の希望があるので、ピックアップ自体で迷うことはそれほどない。2、3 種類の候補から少し悩んで選んだのは belkin のヒューズシネマフォリオだ。似たような製品でもっと安いものもあったが、作りが安物だった。ウェブでは手触りや触感、素材の風合などそういうところまでなかなかわからないのが難点である。実際に商品を仕入れたりしている店も少いようだし、商品写真にしてもメーカ提供のものだったり、小さい画像だったりしてやっつけ仕事が見え見えだ。困るのはわれわれ消費者である。金額だけ見ればウェブの買物より高くついたかもしれないが、失敗するわ、余計な出費をするわ、不要な商品が手元に残るわすることを考えれば適切な買物ができてよかったのは間違いない。
装着すると予想以上に重たい感じがするので驚いた。ただ、辷らないので保持しやすくなった。今のところ満足している。
・製品が辷りやすい
ディスプレイ面もそうだが、アルミシャーシ側もよく辷る。注意しないと辷り落ちそうになることがある。実際に落したこともある。階段の上から落したりすれば大変だ。それだけでなく手に持っていても重さで辷り落ちそうになることがある。
・立てられない
iPad にはスタンドなどもないので立てて使うことができない。立てようとすると手で保持しなければならない。何かに立てかけようとしても上記のように辷るのでそれも難しい。
というようなわけで暫く前からカバーを検討していた。ウェブで探してみたが無数にあってどれがいいのかわからない。今日、梅田に行く用事ができたついでにヨドバシカメラに行ってきた。
今回探したのは以下のようなものだった。
・カバーを装着したまま使用できるもの
封筒みたいなやつではない。こういうタイプは状況にもよるが使用中にケースの保管について考えなければならないのが面倒である。出し入れが面倒というのもある。
・革、人工皮革、あるいはスエードみたいな材質
手で触れる部分がポリカーボネイトやらプラスチックなどを使用しているものは希望しない。iPhone の場合は常に持ち歩くので触感よりは保護性能を重視するが、iPad は大半が家で使うし、持ち出す場合も鞄などに入れて持ち歩くことになるだろう。その場合の保護は鞄の中で他の物と接触したときの瑕を心配することになるから、柔らかい素材の方がいいだろうと考えた。
・アップルロゴの部分に穴が開いていないもの
アップルのロゴが嫌いなわけではないが、あれだけ大きなロゴを穴まで穿って敢えて見せるデザインが私には理解できない。
・ベゼルを極力覆わないもの
革などで作られたカバーにはベゼルを覆って本体を固定するあるいは収納するものがあるが、今までベゼルに余計なものが何もなかっただけに個人的にはそういうデザインは目障りになるだろうと考えた。iPad を保持するために覆うにしても最低限であって欲しい。
売場に行くと iPhone ほどではないが、かなりの製品が並んでいる。上記の希望があるので、ピックアップ自体で迷うことはそれほどない。2、3 種類の候補から少し悩んで選んだのは belkin のヒューズシネマフォリオだ。似たような製品でもっと安いものもあったが、作りが安物だった。ウェブでは手触りや触感、素材の風合などそういうところまでなかなかわからないのが難点である。実際に商品を仕入れたりしている店も少いようだし、商品写真にしてもメーカ提供のものだったり、小さい画像だったりしてやっつけ仕事が見え見えだ。困るのはわれわれ消費者である。金額だけ見ればウェブの買物より高くついたかもしれないが、失敗するわ、余計な出費をするわ、不要な商品が手元に残るわすることを考えれば適切な買物ができてよかったのは間違いない。
装着すると予想以上に重たい感じがするので驚いた。ただ、辷らないので保持しやすくなった。今のところ満足している。
今月の走行距離 ― 2011年10月31日 22時30分
今月は走った。1,200 km 以上だった。1,000 km 超えたのは 3月以来 2度目である。今年の累計走行距離は約 8,400 km だ。200 km 走った週は尻が痛くて一日を除いて Brompton だったのでそれほど伸びなかった。尻対策は重要である。
今日で宝塚に行くようになってちょうど一年になる。一年間で 9,900 km ほどで、残念ながら 10,000 km に届かなかった。
来月は天気があまりよくないというような予報らしいので、走行距離が伸びない可能性がある。となると今年一年間の走行距離が 10,000 km に届かないかもしれない。ま、義務で走っているわけでもないので無理するつもりはない。10,000 km 超えれば嬉しいが、50目前でこれだけの距離を初めて走ったわけであるから、それはそれで十分かもしれない。
今日で宝塚に行くようになってちょうど一年になる。一年間で 9,900 km ほどで、残念ながら 10,000 km に届かなかった。
来月は天気があまりよくないというような予報らしいので、走行距離が伸びない可能性がある。となると今年一年間の走行距離が 10,000 km に届かないかもしれない。ま、義務で走っているわけでもないので無理するつもりはない。10,000 km 超えれば嬉しいが、50目前でこれだけの距離を初めて走ったわけであるから、それはそれで十分かもしれない。
電気自動車の不安 ― 2011年10月23日 00時00分
少しづつ電気自動車が商品として発売されるようになってきた。これが意外な展開を示している。
家庭の電源としてである。おそらく地震がなければそんな方向に展開することはなかった筈だ。
電力のソースが複数あるのは悪いことではないとは思っているのだが、車のバッテリはどうかと思っている。まず、バッテリの性能だ。
今のバッテリは知っている通り、寿命がそれほど長くない。リチウムイオンで 500回くらいという話だ。実際はそんなに持たないし、そこに至るまでに容量が少しづつ減ってくる。携帯電話やらノート PC を使用していれば実感することだ。車だって同じに違いない。車用は開発にかなりな費用を投入しているから大丈夫。というわけにはいかないし、そんな話があればメーカとしては携帯機器にも当然使いたい技術だろう。ということは普通に使用していれば 5年もしないうちに交換する必要が出てくるということだ。おそらく使用環境の温度条件としては携帯機器より悪い筈なので性能劣化は携帯機器以上だろう。とすれば携帯機器を使用している感覚でいけば 2年もすればかなり劣化しているような気がする。満充電しても走行距離 20 km くらいしか走れないようで誰が使うか。広告で当然そんなことに触れられることはないが、広告以外であってもバッテリの寿命その他が話題にされることがないのはどういうわけか。「TV で何時間、冷蔵庫で何時間」とかいうのは初期性能のバッテリを満充電にした状態だろう。
それだけではなく廃棄物の問題もある。ガソリン車ではそんな短期間に主要部品を交換するというようなものはない筈だし、結構な量のバッテリが搭載されているに違いないので、廃棄バッテリの問題も大きいような気がする。こんなことで本当に環境にいいと言えるのだろうか。
気になることは他にもある。効率の問題だ。充電した電気を車で消費するのならまだいいが、それを家庭用の電力として使用する場合の効率の問題がある。そもそも充電する時点で交流を直流にするから、そこでロスが発生する。ロスはそれだけではなく、充電でも発生している筈だ。直流になった電気を 100% 充電しているなどということはあり得ない。それを家庭の電源として使用する場合、さらに交流に戻さなければならない。そこでさらにロスが発生する。実際のところ合計でどの程度の無駄が発生しているのかわからないが、よくて 40% 程度ではないだろうか。根拠がある話ではないが、合計 20% しかロスしていませんというようなことはあり得る数字には到底思えない。
というようなわけで、電気自動車が家庭のバックアップ電源として脚光を浴びるのはどうも納得がいかない。
バッテリという問題で言えば、電気自動車だけではなくハイブリッド車でも同じような問題がある。ハイブリッドの場合、家庭用電源として使用するということがないだけで、バッテリの劣化は燃費の悪化に直結する。バッテリの性能が低下すると役に立たない重量物を載せて走っているようなものだからだ。
家庭の電源としてである。おそらく地震がなければそんな方向に展開することはなかった筈だ。
電力のソースが複数あるのは悪いことではないとは思っているのだが、車のバッテリはどうかと思っている。まず、バッテリの性能だ。
今のバッテリは知っている通り、寿命がそれほど長くない。リチウムイオンで 500回くらいという話だ。実際はそんなに持たないし、そこに至るまでに容量が少しづつ減ってくる。携帯電話やらノート PC を使用していれば実感することだ。車だって同じに違いない。車用は開発にかなりな費用を投入しているから大丈夫。というわけにはいかないし、そんな話があればメーカとしては携帯機器にも当然使いたい技術だろう。ということは普通に使用していれば 5年もしないうちに交換する必要が出てくるということだ。おそらく使用環境の温度条件としては携帯機器より悪い筈なので性能劣化は携帯機器以上だろう。とすれば携帯機器を使用している感覚でいけば 2年もすればかなり劣化しているような気がする。満充電しても走行距離 20 km くらいしか走れないようで誰が使うか。広告で当然そんなことに触れられることはないが、広告以外であってもバッテリの寿命その他が話題にされることがないのはどういうわけか。「TV で何時間、冷蔵庫で何時間」とかいうのは初期性能のバッテリを満充電にした状態だろう。
それだけではなく廃棄物の問題もある。ガソリン車ではそんな短期間に主要部品を交換するというようなものはない筈だし、結構な量のバッテリが搭載されているに違いないので、廃棄バッテリの問題も大きいような気がする。こんなことで本当に環境にいいと言えるのだろうか。
気になることは他にもある。効率の問題だ。充電した電気を車で消費するのならまだいいが、それを家庭用の電力として使用する場合の効率の問題がある。そもそも充電する時点で交流を直流にするから、そこでロスが発生する。ロスはそれだけではなく、充電でも発生している筈だ。直流になった電気を 100% 充電しているなどということはあり得ない。それを家庭の電源として使用する場合、さらに交流に戻さなければならない。そこでさらにロスが発生する。実際のところ合計でどの程度の無駄が発生しているのかわからないが、よくて 40% 程度ではないだろうか。根拠がある話ではないが、合計 20% しかロスしていませんというようなことはあり得る数字には到底思えない。
というようなわけで、電気自動車が家庭のバックアップ電源として脚光を浴びるのはどうも納得がいかない。
バッテリという問題で言えば、電気自動車だけではなくハイブリッド車でも同じような問題がある。ハイブリッドの場合、家庭用電源として使用するということがないだけで、バッテリの劣化は燃費の悪化に直結する。バッテリの性能が低下すると役に立たない重量物を載せて走っているようなものだからだ。
2時間31分30秒 ― 2011年03月14日 22時55分
先週の金曜は調子が出ないと書いたが、今日の自転車通勤は久しぶりに調子がよかった。1時間17分は切っているだろうかと期待した。
職場に到着したときにサイクルメータを見て驚いた。1時間15分を切っていた。平均時速 24.5 km/h。当面の目標がメータで 1時間15分を切るということだったが、割合あっさり目標を達成してしまった。恒常的にこの時間で走るというのが次の目標になるだろうか。
それにしても先週の時間から往復で10分も短縮されている。因みに表題は本日の往復の記録である。
一応最終目標は信号待ちその他も含めて 1時間15分というところに設定しているが、これはなかなか手強い目標だ。信号待ちは日にもよるが片道ざっと10分程度見積っている。
ということは自転車に乗っている時間は 1時間 5分程度にしなければ目標は達成できない。そもそも通勤し始めた頃でも 1時間45分くらいだったので当初からすでに15分くらいは短縮されている(もっと言えば現在は当初の経路から若干だが長くなっているので、僅かではあるがそれ以上に速くなっている計算になる)。いくら距離があるからといっても流石にここから10分の短縮は厳しいような気がする。平均時速だと 28 km/h くらいで、短距離ならともかく、そんな数値はこれまで出したことがない。
大体平均時速 24.5 km/h というのはもっと短い距離を走ったときの割合速い場合の平均速度だ。トレーニングでもすれば速くなるかもしれないが、トレーニングまではするつもりがない。強いて言えば毎日の通勤がトレーニングである。
1時間15分で通えるということは電車より確実に15分以上速いことになるし、車にも十分張り合える所要時間だ。車は速ければ 1時間くらいで到着するらしいが、30 km もの距離を車と15分程度しか違わない時間で到着できるということは大いに自慢していいだろう。車でも混んでいると 1時間20分くらいかかるらしいから、その場合に限って言えば車よりも速い。
大体今の東京は停電の影響で電車の本数が減っていたりして電車通勤は大変らしいし、それが厭で車にする人が増えるから渋滞が激しくなり、ますます所要時間がかかっているようだ。
そういうときの自転車は圧倒的に有利である。ガソリンの入手もままならないらしいが、そんな心配も無用である。いくら速い(こうしてみると実際にはそれほどでもないが)といったところで車はガソリンがなければ走らない。電気自動車にしたところで渋滞していたらバッテリーが持たないだろう。自転車は乗る人が食べるものさえ食べていればガソリン不要で二酸化炭素も排気ガスも排出しない。
そうは言っても今日の記録は今のところ瞬間風速みたいなものなので、この速度が維持できるかどうかはわからない。したがって夢のような話かもしれないわけではあるのだった。
職場に到着したときにサイクルメータを見て驚いた。1時間15分を切っていた。平均時速 24.5 km/h。当面の目標がメータで 1時間15分を切るということだったが、割合あっさり目標を達成してしまった。恒常的にこの時間で走るというのが次の目標になるだろうか。
それにしても先週の時間から往復で10分も短縮されている。因みに表題は本日の往復の記録である。
一応最終目標は信号待ちその他も含めて 1時間15分というところに設定しているが、これはなかなか手強い目標だ。信号待ちは日にもよるが片道ざっと10分程度見積っている。
ということは自転車に乗っている時間は 1時間 5分程度にしなければ目標は達成できない。そもそも通勤し始めた頃でも 1時間45分くらいだったので当初からすでに15分くらいは短縮されている(もっと言えば現在は当初の経路から若干だが長くなっているので、僅かではあるがそれ以上に速くなっている計算になる)。いくら距離があるからといっても流石にここから10分の短縮は厳しいような気がする。平均時速だと 28 km/h くらいで、短距離ならともかく、そんな数値はこれまで出したことがない。
大体平均時速 24.5 km/h というのはもっと短い距離を走ったときの割合速い場合の平均速度だ。トレーニングでもすれば速くなるかもしれないが、トレーニングまではするつもりがない。強いて言えば毎日の通勤がトレーニングである。
1時間15分で通えるということは電車より確実に15分以上速いことになるし、車にも十分張り合える所要時間だ。車は速ければ 1時間くらいで到着するらしいが、30 km もの距離を車と15分程度しか違わない時間で到着できるということは大いに自慢していいだろう。車でも混んでいると 1時間20分くらいかかるらしいから、その場合に限って言えば車よりも速い。
大体今の東京は停電の影響で電車の本数が減っていたりして電車通勤は大変らしいし、それが厭で車にする人が増えるから渋滞が激しくなり、ますます所要時間がかかっているようだ。
そういうときの自転車は圧倒的に有利である。ガソリンの入手もままならないらしいが、そんな心配も無用である。いくら速い(こうしてみると実際にはそれほどでもないが)といったところで車はガソリンがなければ走らない。電気自動車にしたところで渋滞していたらバッテリーが持たないだろう。自転車は乗る人が食べるものさえ食べていればガソリン不要で二酸化炭素も排気ガスも排出しない。
そうは言っても今日の記録は今のところ瞬間風速みたいなものなので、この速度が維持できるかどうかはわからない。したがって夢のような話かもしれないわけではあるのだった。
初めての道、久しぶりの道 ― 2010年11月26日 23時40分
昨夜、所属部署の会議があったので会社に戻る。
派遣先から会社までこれまた約 30 km ある。なるべく遠回りしないようにしようとすると十三から梅田近辺を走る必要がある。あまり走りたくはなかったが、已むを得ない。
十三から梅田まで橋を渡らなければならない。交通量も多そうなので歩道を走る。これが最低にがたがただった。十三に至るまでの車道もがたがただが、橋は車道はそうでもなさそうだが、歩道は最悪だ。相変らず行政は車ばかり贔屓している。
天満から桜ノ宮までは比較的通り慣れた道を走る。桜ノ宮から京橋は一部初めての道もあるが、親父が事務所を構えていた周辺を走ることになった。これは 30年ぶりくらいかもしれない。
放出周辺では保育所の送迎バスで走った記憶のある場所を通過する。ここは 40年ぶりくらいではないか。「月の沙漠」を思い出す。音楽は先日何かの TV 番組でこれまた久しぶりに聞かされていた。劇の練習か何かで何度も聞かされたが、なぜか大嫌いだった。
話は違うが、社長はどうでも自転車通勤を止めさせたいようだ。派遣先が渋っているわけではないので、強くは言えない。自転車通勤に理解のない人らは単純に距離だけで判断する傾向があって難儀である(汗も問題にしたがるが)。実際に走ってみれば危ない区間がそれほどないことに驚くだろう。
さらに自転車に乗らない人らは 30 km も走ったら仕事にならないという先入観でものを言うのでこれにも大いに閉口させられる。汗をかいていることを除けば地下鉄御堂筋線のラッシュに揉まれている人らより元気で何の問題もないくらいだ。少なくともラッシュのストレスで疲弊している彼らと違って、通勤時間にストレスを発散できるのでメンタルヘルスも良好かもしれない。
うちの会社の 40代以上の社員の健康診断の結果が頗る悪いらしい。それがリスクという理由も口実の一つにして会社で保険に入るという話がある。自転車に乗って元気なら結構な話ではないかと思うが、どうせつまらないことに拘泥して自転車で健康というようなことは評価してくれないのであろう。いつまでたっても日本では自転車は政党に評価されない乗り物なのだった。
派遣先から会社までこれまた約 30 km ある。なるべく遠回りしないようにしようとすると十三から梅田近辺を走る必要がある。あまり走りたくはなかったが、已むを得ない。
十三から梅田まで橋を渡らなければならない。交通量も多そうなので歩道を走る。これが最低にがたがただった。十三に至るまでの車道もがたがただが、橋は車道はそうでもなさそうだが、歩道は最悪だ。相変らず行政は車ばかり贔屓している。
天満から桜ノ宮までは比較的通り慣れた道を走る。桜ノ宮から京橋は一部初めての道もあるが、親父が事務所を構えていた周辺を走ることになった。これは 30年ぶりくらいかもしれない。
放出周辺では保育所の送迎バスで走った記憶のある場所を通過する。ここは 40年ぶりくらいではないか。「月の沙漠」を思い出す。音楽は先日何かの TV 番組でこれまた久しぶりに聞かされていた。劇の練習か何かで何度も聞かされたが、なぜか大嫌いだった。
話は違うが、社長はどうでも自転車通勤を止めさせたいようだ。派遣先が渋っているわけではないので、強くは言えない。自転車通勤に理解のない人らは単純に距離だけで判断する傾向があって難儀である(汗も問題にしたがるが)。実際に走ってみれば危ない区間がそれほどないことに驚くだろう。
さらに自転車に乗らない人らは 30 km も走ったら仕事にならないという先入観でものを言うのでこれにも大いに閉口させられる。汗をかいていることを除けば地下鉄御堂筋線のラッシュに揉まれている人らより元気で何の問題もないくらいだ。少なくともラッシュのストレスで疲弊している彼らと違って、通勤時間にストレスを発散できるのでメンタルヘルスも良好かもしれない。
うちの会社の 40代以上の社員の健康診断の結果が頗る悪いらしい。それがリスクという理由も口実の一つにして会社で保険に入るという話がある。自転車に乗って元気なら結構な話ではないかと思うが、どうせつまらないことに拘泥して自転車で健康というようなことは評価してくれないのであろう。いつまでたっても日本では自転車は政党に評価されない乗り物なのだった。
5/50 円硬貨嫌い ― 2010年10月21日 15時00分
私は 5/50 円硬貨が嫌いである。これは 5円硬貨と 50円硬貨を意味している。
なぜか。
くだらない話といえばそうかもしれないが、財布に入っている小銭を覗くとき、普通硬貨は平たい面が見えているのではなく、縁が見える。財布の種類によっては硬貨の平たい面が見えるということもあるだろうが、私がこれまで使用してきた財布はすべて縁が見えるようになっていた。
そうした場合、穴のある、ないはわからない。そこで判別に困るのが 5円玉と 50円玉である。 5円玉の方は 10円と微妙に色が違うので判別しやすいようにも思えるが、実際には変色しているものもあるので、わからないこともある。
50円玉にしても実際には 100円玉と大きさが違うが、硬貨の枚数が多いときは判別できない。
というようなわけで財布の中にある硬貨を探すときに判別しづらいという理由からこれらの硬貨が嫌いなのだ。1円、10円、100円、500円だけだと比較的探しやすい。そこでそういう硬貨を受け取ったらなるべく早く使うことにしている。
これらが入っていないときは安心して財布の小銭が捜せるが、これらが入っていると安心できないのであった。
なぜか。
くだらない話といえばそうかもしれないが、財布に入っている小銭を覗くとき、普通硬貨は平たい面が見えているのではなく、縁が見える。財布の種類によっては硬貨の平たい面が見えるということもあるだろうが、私がこれまで使用してきた財布はすべて縁が見えるようになっていた。
そうした場合、穴のある、ないはわからない。そこで判別に困るのが 5円玉と 50円玉である。 5円玉の方は 10円と微妙に色が違うので判別しやすいようにも思えるが、実際には変色しているものもあるので、わからないこともある。
50円玉にしても実際には 100円玉と大きさが違うが、硬貨の枚数が多いときは判別できない。
というようなわけで財布の中にある硬貨を探すときに判別しづらいという理由からこれらの硬貨が嫌いなのだ。1円、10円、100円、500円だけだと比較的探しやすい。そこでそういう硬貨を受け取ったらなるべく早く使うことにしている。
これらが入っていないときは安心して財布の小銭が捜せるが、これらが入っていると安心できないのであった。
デジタル機器と相性 ― 2010年10月15日 22時55分
昔は PC でパーツの相性問題というのがあった。ある部品と別の部品の組合せだとうまく動作しない、あるいはあるソフトとあるハードの組合せ、またはソフト同士の組合せでも不具合が生じるというようなことを指して「相性」と言っていた。
ハードウェアの場合は制御ソフトとハードウェアの微妙なタイミングなどの問題、ソフトウェアの場合は競合などで正常な動作が行えないというようなことが原因である。
今でも完全にはなくなっているわけではないが、以前よりはそういうトラブルを聞くことは減ったようだ。
今日はそういう話題ではなく、人とデジタルデバイスの相性問題について書くことにする。
うちの嫁である、相性が悪いのは。
私が使っていると何ともない居間の PC も嫁が一人で使っていると無線 LAN が接続しない、動作がおかしいなどと文句を垂れる。ところが私の目の前で再現させようとすると何ともないということがよくある。
iPhone もそうだ。先日突然 iPhone が欲しいと言い出し、ただともプログラムの終了する前に購入しようと家電量販店で予約せずに購入できる店で MNP 契約をした。
それから使い始めているが、ときどき「あれができない」「これが使えない」というので見てやるとちゃんと動作している。
おそらくちょっとしたコツみたいなものがわからないだけなのではないかと思うが、それで癇癪を起されては迷惑である。
ちょっとしたコツはなかなか伝授しにくいのであった。
ハードウェアの場合は制御ソフトとハードウェアの微妙なタイミングなどの問題、ソフトウェアの場合は競合などで正常な動作が行えないというようなことが原因である。
今でも完全にはなくなっているわけではないが、以前よりはそういうトラブルを聞くことは減ったようだ。
今日はそういう話題ではなく、人とデジタルデバイスの相性問題について書くことにする。
うちの嫁である、相性が悪いのは。
私が使っていると何ともない居間の PC も嫁が一人で使っていると無線 LAN が接続しない、動作がおかしいなどと文句を垂れる。ところが私の目の前で再現させようとすると何ともないということがよくある。
iPhone もそうだ。先日突然 iPhone が欲しいと言い出し、ただともプログラムの終了する前に購入しようと家電量販店で予約せずに購入できる店で MNP 契約をした。
それから使い始めているが、ときどき「あれができない」「これが使えない」というので見てやるとちゃんと動作している。
おそらくちょっとしたコツみたいなものがわからないだけなのではないかと思うが、それで癇癪を起されては迷惑である。
ちょっとしたコツはなかなか伝授しにくいのであった。
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