自転車二題2012年10月19日 23時00分

帰りに Panasonic のアシストクロスバイクと一緒になった。アシストのスポーツバイクを見たことはあるが、一緒に走るのは初めてかもしれない。
信号待ちしていると横にスポーツバイクが停車した。見るとフレームに Panasonic とあった。最初はアシストだと気が付かなかった。信号が青に変ったときのダッシュが凄いので、見たらアシストだった。随分前に紹介したチタンアシストではなさそうだ。
アシスト如きに負けるのは口惜しい。ただ、今日の帰りは無理せず帰ろうと決めていたので無理しない範囲で頑張ることにした。確かにスタートダッシュは凄い。自慢するつもりはないが、私の自転車は MTB 系コンポーネントが附いている。なので軽いギアで走り始めると結構スタートダッシュは速い方である。それをやすやすと抜いて行くのだから、アシストの威力恐るべしである。ただ、10秒もしないうちに追い越せた。そこは所詮アシストである。
たった 10秒のために 10 kg も余計な装備が附いていると考えると何とも無駄である。私の自転車にはミラーもないし、後ろも見なかったので、彼がどれくらいついてきたのかわからないが僅かの間に視界から消えてしまった。

その後 30分ほど走って、交通量の殆どない道を走っていると親子連れらしき三台の自転車が道路いっぱいに拡がって並走しているのが前方に見えた。そもそも並走は道路交通法で禁止されているのだが、ちんたら走って迷惑千万なのでベルを鳴らした。大抵の自転車はベルを鳴らしてもすぐに反応してくれない。仕方がないので少し早めに鳴らした。予想通りの遅い反応だったが、一応道が開いたので追い越した。すると大人二人がいきなり罵声らしきものを浴びせてきた。何やら基地外じみた罵声なので、罵声なのか基地外の叫びなのかがわからないのだが、それまで叫んではいなかったので罵声なのだろう。こっちも応酬しようかと考えたが、考えているうちにぶっ千切ってしまったので、応酬する暇がなかった。

ベルを鳴らされたことに腹を立てたのではないかと推測されるが、どうも理解できない。鳴らされたくなければ半分くらいは道を開けて走るか、どうでも道いっぱいに走りたいのであれば、鳴らされないくらいに速く走ってくれればいいだけのことだ。

普段自転車に乗っていてもあまり書くようなことには遭遇しないのだが、今日は二つもあったという意味では驚きだ。

平田信の隠れ家2012年01月15日 00時30分

年末急に出頭して騒ぎになっているが、驚いたことに後から女が出頭して東大阪の高井田に住んでいたという。
メディアは住んでいたというマンションの名前こそ明かさないが、高井田の駅からすぐ近所だというではないか。おまけに女が勤務していた整骨院は放出の近くのようだ。

何が驚いたといって私の自転車の走行経路上なのであった。今の勤務先から自転車で会社に行くときには整骨院のすぐ近所から高井田のマンションの近くを抜ける。間違いなく私の経路は女の生活範囲を突っ切っている。

平田容疑者が出頭して暫くは橿原神宮の駅のカメラに映っていたとかいう報道もされていた。二回近所のスーパーで見たという人が顔を出さずに TV の取材を受けていたが、スーパーの人は別人ではないのだろうか。
それは私にはどうでもいいことだが、あそこは去年自転車で立ち寄ったところである。どこの局だったかわからないが、車で駅附近の様子を撮影して走っていた報道映像は私が走ったときの記憶のままである。

別に自分の生活上は彼らとどこにも何の接点もないが、地理的に接点があるとなるとそれはそれで気になるものだ。

しかし 14年だか 15年だか知らないが、そんな長期間同じ部屋に閉籠もっていたということは、刑務所にいても大して違いはないのではないかという気がする。TV を見られたり、パソコンが使えるというだけでも刑務所と違うかもしれない。女が献身的に匿ってくれるというのも刑務所にはないことだ。しかし毎日狭い家から出られないでいたというのは大して違いは感じられない。それで罪滅ぼしになったのではないかと言いたいわけではなく、狭い家で何年も外出しないでじっとしているというのが今の私には考えられないだけだ。

今月下旬にはまた用事で会社に行くことになっている。その頃にもまだマスコミはうろうろしているだろうか。あるいは以前のようにありふれた下町に戻っているだろうか。

振付の納品2011年08月27日 13時30分

前から不思議に思っていることに「振付の納品」というのがある。
尤も振付に限らず芸能関係の納品については形のないものが多いので不思議な側面がある。

作曲であれば以前なら譜面だろう。アレンジまで含めて完成しているかどうかはともかく、アレンジなりオーケストレーションができる人ならそこまで仕上げてスコアで納品するということになっていたことだろう。ただ、譜面でもスコアでも最終作品ではないので、振付同様という面はある。それにしても昔からある形態なので、譜面の納品は理解しやすい。現在では譜面による納品よりも曲を録音したデータを納品したり、場合によってはマスターになっていれば商品一歩手前という状態で納品したりすることもあるだろう。
気になっているのはジャズの作曲と納品の関係だ。作曲家はどこまで作曲するのだろうか。ビッグバンドの場合は、クラシック同様ほぼすべて譜面に指定されているということらしいので、プレイヤは譜面を音にするという仕事だけすればいい。ところがトリオだのクァルテットなどだとアドリブがあるので、作曲家はどこまで書くのだろう。作曲家や演奏者、その他いろいろな条件で作曲する範囲が変ってくるのかもしれない。
ジョン・ケージの作品などは作曲した段階では音は決らないので譜面は作品ではないという話もある。確かに同じ譜面を見せられた奏者はそれぞれ違う演奏をするし、「偶然性」が要求されているので、同じ演奏をしたくてもできない。有名な「4分33秒」は演奏者のすることは大体決っているので、これだと奏者のすることは同じである(ただ 4分33秒という長さそのものは初演時の偶然ではあるが)。しかし、結果としての音楽は毎回違う。こうなると作曲がどの段階で行われているのかわからない。中には好きに解釈して演奏しろというような譜面もあるので、その譜面は作曲した結果ではなくドローイングではないかと思ったりもするが、よくわからない。

歌に詞は欠かせない。これは原稿用紙なりデータで納品できるので素人にもわかりやすい。流石に録音で納品するということはあまりないだろう。

芸能関係では他にも劇、ミュージカル、お笑いなど多用な表現形態があるので、それぞれ「納品」の形態もさまざまだろう。

その中で特に疑問を持ったのが振付である。きっかけは「ちびまる子ちゃん」のエンドタイトルで「振付 パパイヤ鈴木」というクレジットを見てからだ。
キャラクタが踊っている踊りの振付を彼が担当しているわけだが、それと納品というのがしっくり来ずに不思議に思ったのだった。歌の振付であれば歌手に直接、振付を指導して納品するという形態は何となく理解できる。ところがキャラクタとなると実在するものがないので直接振付を指導する相手がいない。手っ取り早くキャラクタを動かすアニメータならどうか。指導されたアニメータも踊りが得意ならいいが、そうでもない人もいるだろうし、畑が違うので振付が憶えられないという人もいるだろう。振付を指導されても自分で踊っていてはキャラクタを動かせない。そもそもキャラクタの振付をアニメータに指導するというのはどこか間が抜けている。

ぱらぱらマンガのような絵を描いて納品するという形態も考えられないわけではないが、それだとアニメータの仕事がなくなってしまう。大体振付師が絵が得意かどうかはわからないし、得意だとしてもぱらぱらマンガで表現できる能力があるかどうかわからない。

形のないものの納品は大変なのであった。

タイヤのパンク2011年06月18日 11時15分

昨日の帰りはさんざんだった。
ハンドルバーに取り付けているライトホルダはハンドルバーのテーパー部分にしか取り付ける余裕がないのでそこに着けている。これが原因の一つなのだろうが、すぐに緩んできて走っているうちにお辞儀をしてしまう。ライトホルダにサイクルメータなど着けているのならお辞儀をしてもそれほど影響はないが、ライトを着けているのでお辞儀されるとライトの役目を果たさない。それだけならまだいい方で、手前にお辞儀するとライトがこっちを向くので眩しくて乗っていられない。
手で押さえながら走るわけにもいかず、途中で停めて固定する。

さらに走って残り半分弱というところで急に後輪の感触がぐにゃぐにゃになる。スポークが折れたかと思ったが、特に何も音はしていない。一応確認してみるが、やはりスポークには問題がない。再び走り出すが、やはりぐにゃぐにゃである。走っていられないので明るいところで停車してタイヤを調べる。空気が抜けていた。パンクだ。特にパンクらしい音はしていないので、空気を入れたら暫くもつのではないかと考え、空気を入れて走り出す。このまま家まで帰れるのではないかと思ったが、そこまで持ってくれなかった。結局さらに二回空気を入れた。

今朝、パンク修理をしたら、タイヤに何か刺さっていた。やはりそうか。いつもの画鋲の針かホッチキスの針だろうと思ってペンチで抜くと、呆れたことに交換式ブレーキシューのゴムを止めるピンだった。
これは実際私も経験している。気が付けばピンがなくなっているのだ。こんなものでパンクしていたのでは世話はないので、シューのメーカはもう少し抜けにくいピンを考案してもらいたい。

考えて見ればそれだけ自転車の振動は凄いのだった。毎日 60 km も走っているといろんなところが駄目になるのも頷けるというものである。

汗の季節2011年06月03日 23時45分

もうかなり汗で駄目なのだった。
以前の職場なら今の季節それほど汗をかくほどでもないし、会社に行くにしても適当に汗をかく程度だろう。
ところが 30 km も走ると到着する頃にはタオルが汗でぼとぼとなのである。走っていると顔中汗で鬱陶しい。
単純に 5倍の距離では済まないものがここにもある。まだ湿度が低いからこの程度で収まっているが、梅雨が明けたらもっと凄いことになるだろう。
自転車通勤なしということはないが、どうするか今から悩んでいる。

すでに 6月になってしまったが、先月はいろんな事情で半分くらいしか自転車通勤できなかった。連休もあったが、雨が多かった。新しい自転車が届いてから梅雨になったのでまだ数回しか乗っていない。

話は違うが隣の部署には女性社員が二人いる。うちの部署には四人いる。数はこちらが多いがあちらの方が美人揃いだ。美人度で仕事ができるというわけではないだろうと言いたいところではある。
四人のうちの二人は翻訳をしてもらうために派遣で来てもらっている。ところが、肝腎の翻訳が駄目である。なかなか技術のわかる翻訳者がいないことは承知している。そこを割り引いても素人の私が手を入れなければならない翻訳しか上がってこないというのはどういうわけだ。
そんなわけで最近は美人の方が仕事ができるのではないかと勘繰ることにしている。
たまたま帰りに更衣室に向っていると、隣の部署の一人が門から出てきた。自転車に乗っている。ママチャリなら驚かないが、ドロップハンドルだった。暗かったのと咄嗟のことであまりよく見なかったが、何となく年季の入った風な自転車だった。意外な感じがしたが、ああいう人も自転車通勤をするのだということで今日は少し幸福な気分に浸ることができたのだった(そういうことでもないとやっていられない昨今ではある)。

SPring-8 施設公開2011年04月30日 20時00分

4月30日の施設公開に合せて29日から赤穂一泊という日程で出かけてきた。今回はうちの親と嫁の親も連れて行くことにした。というのも(現在は違うが)自分の職場を見せられるというなかなかない機会だからだ。とにかく私の仕事は部外者にはほぼ理解されないので、ちょっとでも実感してもらうには現場に連れて行くのが一番いい。さらにはたまにメディアに出たりする有名な施設でもあるので、よくわからないにしても何か感じるものがあるかもしれないということもある。

うちの車は軽自動車だし、嫁の実家の車はバンタイプだが、5人乗るには厳しいということで今回はノアを借りることにした。ワンボックスを運転するのは初めてだった。大きいので不安だったが、実際は快適である。人がワンボックスを欲しがるのも頷ける気がした。しかし、常時大勢で移動するならともかく、それだけでワンボックスを所有するというのはいろんな意味で無駄である。やはり借りるのが一番だ。今回借りたノアはまだ新車だった。

11時過ぎに出発したら吹田から宝塚まで渋滞していた。今年は出足が鈍いというような話だったので、渋滞情報も調べず出たが、あれなら下道で宝塚まで行った方が確実に速かった。宝塚を越すのに 2時間以上かかっていたので自転車の倍くらいかかったことになる。長期休暇の渋滞情報の下調べは重要であることを改めて実感させられた。

そんなわけで大幅に予定が狂って初日は坂越だけしか行けなかった。
御崎で泊ってゆっくりできた。が、携帯の電波が届いたり届かなかったりするので無線 LAN を導入してくれると嬉しい。

さて、当日は朝から旅館で土産物を物色する。いくらか買うが、他も見たいと思い赤穂駅に行く。さらに買って光都へ。ナビに案内させたら相生市街を経由するルートを出す。後で Google マップのルート検索でやってみても似たようなルートだった。竜泉の交叉点を突っ切って行くルートをガイドしてくれるのかと思ったらそうではなかった。

この日は直接車で SPring-8 には入れず、合同庁舎横の共同駐車場までしか行けない。そこから無料のシャトルバスで構内に入る。駐車場の車も凄かったが、バスに乗るのも随分並んだ。SPring-8 が人だらけだった。普段は昼休みの時間に管理棟周辺を通ると適度にわらわらと人が出てくる程度だが、この日は賑わっている公園くらいには人がいた。バス乗り場で行列ができるのはこの日くらいではないか。
ここまで人が多いとは正直予想しなかった。なかなか盛況である。

今回の目玉は XFEL である。個人的にも期待していたが、入れたのは実験研究棟だけだった。加速器棟と光源棟は入れてもらえなかったのでがっかりした。XFEL は調整段階で、まだ実験が行えるようにはなっていないようだ。

加速器も放射光も専門家でもなく、体系的に教わったわけでもないのでこれまで知識が断片的だった。今回の見学でいくらか欠落していた知識が得られたのが収穫だった。SPring-8 でも X 線を利用しているが、XFEL との違いがわからなかったが、それもある程度理解できた。

これまでトイレと自動販売機しか利用したことのない B4 出口からビームラインが見学できたのもよかった。
トートバッグとマーカ、太陽電池付 LED やらパンフレットなどを貰う。スタンプラリーに参加すると冊子をくれた。なんだ冊子かと思って少しがっかりしたが、これがなかなか面白いマンガだ。「エイトハカセ」という 8種類の動物の博士が加速器と放射光についていろいろ解説してくれるのだった。主人公は猫のニャン博士らしいが、これが学者とは思えない無知なやつで、ちょいちょい別の博士らから「キミ、本当に学者か」と詰め寄られる。実は考古学が専門という設定になっているのであまり物理に詳しくないわけだ。
このマンガは http://www.spring8.or.jp/ja/kids/8hakase/ で全部読むことができる。描いているのは研究者の博士らしい。
当日はニャン博士の着ぐるみもいた。最近流行のゆるキャラだが、最尖端の研究施設も緩くなったものである。

間一髪の雨、向い風2011年03月16日 22時00分

ここ数日夕方に雨が降る予報が続いている。昨日もそうだったが、忘れて残業していた。突如雨のことを思い出して、慌てて帰る。
外へ出ると霧雨のようなものが降りかけていた。

自転車で走り始めてしばらくすると雨も降らなくなった。そのうち雨のことは気にならなくなり、そのまま帰りついた。

帰ってしばらくしてからだった。何かおかしな音が聞こえてくる。窓の外を見ると結構な雨が降っていた。小雨くらいなら何とかなるが、あんな雨に降られると堪らない。

今日は寒くなるという天気予報だった。朝はまだそれほど寒くなっていないだろうと考えて長袖の T シャツ一枚で出かける。若干寒い。とはいえ、そのうち暑くなるのは間違いないので、そのまま我慢する。

寒さより難儀だったのが向い風だった。出勤時は基本的に西または北西を向いて走っている。西風と見えて常に抵抗があった。

ノート PC の更新2010年11月28日 00時00分

予期せぬことからメインで使用しているノート PC を更新することになった。
ことの発端は Photoshop Elements 9 のインストールだ。これまでバージョン 5 を使用していたが、RAW データを手軽に扱うとかその他もろもろの理由でそろそろ新しいバージョンにしようという気になって少し前に購入していた。23日にインストールして起動したら、何をするにも現実的でないくらい時間がかかってどうしようもないことが判明。最近 RJ45 コネクタの接触不良もあって思い切って更新することにした。7年近く前の PC は新しい巨大なアプリレーションには非力であることを思い知らされる。それさえなければこれまで特にアプリケーションを使っていて非力が問題になったことはない。
ハードウェアには RJ45 の問題もあるが、それ以外にも外付 HDD の問題があった。外付は 1 TB である。これが古い BIOS の PC には認識できず、接続したままだと起動しない。これがなかなか面倒だ。終了時にはいちいち外さないと駄目なのである。古いハードウェアはこういうところで問題になる。
後 3年は使うつもりだったが、あっけない幕切れというか、唐突にそういう気分はやってくるのだった。

母親が使っている PC もぼろぼろになって朽ちかけているし、XP には当初から非力だったので、そちらに今の PC をまわす予定だ。

そうは言ってもまだ注文したばかりで到着は 2週間ほど先になる予定だ。届きました、はい使いましょう、というわれにはなかなかいかない。データやら環境の引越をしなければならないので、それだけで最低丸 2日はかかるだろう。大体 OS が変るので、さらに時間がかかるかもしれない。年賀状もだが、カレンダーは間に合うだろうか。

刑事ドラマと高麗芝2010年09月18日 17時55分

刑事ドラマの刑事も携帯電話を持っている。
緊迫した状況で署から電話が入る。そのとき鳴る着信音が吉本新喜劇のテーマ曲だったらどうか。

これは二つの理由であり得ない。

・著作権
 使用料を払えばいいだけの話だが、普通 TV ドラマで TV を見ているシーンがないのと同様、登場人物の着信音がメロディである可能性はないに等しい。

・曲では都合が悪い
 それよりも大きいのはそういうものは無機質なものの方が何かと都合がいいというのもあるだろう。それで「プルプルプル」というありきたりなものが一般的になっている。

ドラマの人物ではないが、子泣き爺に似たある人の着信音がインディ・ジョーンズのテーマか何かだった。子泣き爺だからというわけではないが、何がよくて何が駄目ということはないにしても、こういう曲は着信音としてどうかという気がした。

ところでわが家の芝である。

春のうちはまばらにしか生えていなかったので、今年も駄目なのだろうと思っていた。ところがどうしてなかなか元気である。連日、猛暑で熱中症というニュースばかりだったのに反比例するかのように生い茂っている。四隅は相変らず生えないが、これは土がじめじめしていて明らかに生えない状況なので仕方がない。しかし、それ以外のところはここ数年にないくらい元気だ。

私は相生なので手入れも何もしていない。二週間に一度芝刈りしているが、それ以外は嫁に撒水してもらっているだけだ。今年の夏に水遣りしなければ、さしもの芝も枯れてしまうだろう。
ちょっとはっきり憶えていないが、去年は天候不順で雨が多かったような気がする。それでかどうか、きのこもよく生えてきたし、八月でも雑草がちょろちょろ生えてきた。日照時間が少ないのは芝にとっては嬉しくないというのはそういう状況からもわかる。

それが今年は雨は降らずに気温は高いという状況が続いた。これだけ高い気温が芝に悪影響を及ぼすことがないのかどうかは知らない。去年は「もう駄目か」と思ったくらい元気がなかったことを思うと、高温より天候不順の方が芝には適さないのかもしれない。
例年なら最低でも何度か農薬を撒いたりするが、今年は一切そういうこともしていない。
それでもきのこは生えてこないし、元気な時期は雑草もまったくといっていいほど生えなかった。

人も動物も植物も暑さで駄目な今年だったが、芝は水さえ与えておけば元気なのだった。

道を訊ねる幸福2010年06月13日 11時30分

仕事で半年弱ほど単身赴任することになった。
短期となると家電や家具を揃えるのも手間と費用を考えると馬鹿にならない。畢竟家電付き物件ということになる。ところが家電付物件というのはなかなかあるものではない。大都市では探せばあるのだろうが、地方の町となると需要の関係もあってか唯一レオパレスということになっているようだ。
ところが何気なく検索していると検索キーワードの候補に「評判」というのがあり、それで検索するとかなり評判が悪いらしいことがわかる。おまけにエアコンは三時間で自動的に切れるというではないか。解除方法もあるらしいが、それでなくても評判の悪い業者の物件にわざわざ博打を張って住む必要もないような気がする。

というようなわけで、地元の不動産屋のウェブサイトというのを探していた。田舎町の不動産屋はホームページを持つほどでもないのかどうかわからないが、場所と電話番号しか見つからない。諦めてレオパレスかと思っていたら偶然地元でなおかつ家具家電付という物件を所有している不動産屋を見つけることができた。ここを第一候補にしてレオパレスの比較的新しい物件を第二候補にした。
いきなり単身赴任なら暇なうちに物件を見て、仕事を始める前に引越という段取りにできるのだが、最初に試用期間というのがあってとりあえず一週間ほどは出張で来てほしいということになった。出張期間中に物件を見に行けたらいいだろうと考えていたが、仕事を終えると不動産屋の閉まる頃だった。仕方がないので、物件を確認することは諦めて会社にいくつか希望を伝えた上で二つの物件のどちらかで手配してもらうことにした。

家が決ったと連絡があった。聞くと第一候補ではないが、その不動産屋が所有している別の物件らしい。所在地がメールにあったので、それを頼りに物件の場所と外観を確認しようと現地に行ってみることにした。

古いカーナビを頼りに近くまでやってきたが、場所がわからない。さんざんうろうろした挙句どうにもわからないので、誰かに訊いてみることにした。たまたま歩いていた生徒を捕まえる。生徒であればそんなに遠くに住んでいるわけではないだろうから土地勘はあるだろうという読みもあった。残念ながら、はっきりとはわからないらしい。それでもたどたどしい説明をしてくれた。要領を得ない。参ったなと思っていると、彼女は最後に「下手な説明で間違っているかもわかりませんけど、そのときはすいません」というようなことを申し訳なさそうに言ってくれた。
実際、説明はあまり役には立たなかった。それでも腹を立てる気にはならなかったし、それどころか役に立たない説明でも彼女に訊いてよかったという気にさせられた。中学生だろうと思われるが、はにかんだような様子と大人にはない初初しさが混じったような可愛らしさがあった。すけべ親父のようなことを書いてはいるが、そう思われては心外だ。無知蒙昧の癖に生意気な子供が多い中「日本もまだ捨てたものではないな」と思ったと書けば多少は理解してもらえるだろうか。
そのときの様子も気分もうまく書けないのがもどかしいが、数分の幸せとでも表現したいできごとだった。

物件には無事辿り付くことができた。相生はいい町である。