分煙問題 ― 2011年10月02日 17時15分
私は非喫煙者である。
これまで一度も煙草を咥えたことがない。と言いたいところだが、大学時代にいちびって他人に煙草を貰って吹いたことがある。火の粉が散るからよい子は真似をしてはいけない。
その他他人の吸っていない煙草の先を爪楊枝などで押し込んで「圧縮煙草」を何度が作ったことがある。吸った人は「きつい」というような感想を漏らしていた。
吸ったことはないかというと一度だけある。社会人になった後に「一度吸ってみたら」と言われて、他人が吸っているのを吸わせて貰ったことがある。TV ドラマか何かの影響か最初に吸うときは噎せるような印象があるが、そのときは特に噎せなかった。それでも煙草には興味がなかったので、それっきり現在に至っている。
したがって一息吸っただけで、一本丸丸は吸ったことがない。
子供の頃、既に煙草は健康に悪いと言われていたように記憶しているし、止めるのもなかなか困難を伴うということも言われていた。健康によくないということもあるが、それよりも私の場合は、なかなか止められないというところに引っかかって吸い始めようと思わなかったのではないかという気がする。意志が弱く、きっぱりと止められない性格だから一度習慣になってしまえば死ぬまで吸い続けているだろう。習慣性がなければ私も吸っていたかもしれない。
そんなわけで、なかなか禁煙に成功しない諸氏には密かに同情申し上げている。
昔は非喫煙者の権利がどうこうということはなく、至るところで煙草が吸われていた。吸えないのは病院の病室や人が密集する場所くらいではなかったか。私が最初に海外旅行に行った頃は機内でさえ離着陸時以外は喫煙できた。
職場でも自分の机で吸えたし、会議をすると煙で朦朦とすることもしばしばだった。それが今では吸える場所を探す方が難しい。隔世の感がある。
喘息持ちではないので、煙草の煙で辛い思いをしたということはあまりない。それでも煙は鬱陶しいものである。喫煙者でさえ自分の煙草から立ち上る煙で顔を顰めているくらいである。吸わない者が鬱陶しいのは当り前だ。
それがどうだ。どうかすると何年も煙草の煙に覆われることなく過ごすこともある。これが当り前になると、非喫煙者にとっては煙草の問題は情報としてしか入ってこないものになってしまう。なので、稀に喫煙場所に行くと昔はこんな環境が普通だったことを思い出し、少しだけ懐かしい気分にさせられたりもするわけだ。
最近は喫煙者の肩身がかなり狭くなっていることもあるのか、あまり聞かれることはないが、禁煙環境が拡大され始めた頃は「朝の一服でその日の体の調子がわかる」だの「食後の一服がたまらない」だのという言い訳とも傷の舐め合いともつかないようなことを喫煙者同士で並べては盛り上っていたのを思い出す。食後の一服のことは私にはわからないが、その日の体調のことなら自転車に乗ってもわかる。
前にも書いたような気がするが私は嫌煙権主義者ではない。煙は鬱陶しいには違いないので煙のない方が当然嬉しいが、スピッツのごとく嫌煙を吠え立てるつもりはないし、逆にそんな人らの方が煙たいくらいだ。ただまあ愛煙家と呼ばれる人らが「喫煙は文化だ」と主張して禁煙を制度化することに反対するための言い種にしているのもどうかとは思っている。
そうして煙に巻かれる環境が減ってきたことは個人的には喜ばしいに違いないのだが、私には気になっていることがある。分煙だ。
世間では分煙すれば問題が解決するかのように思われているようで、何でも分煙で片付けてしまおうとしているように見える。これは大きな間違いだ。何人かで食事でも会議でも何かしようとした場合、全員が喫煙者あるいは非喫煙者であれば分煙は何の問題にもならない。ところがそこに一人でも違う人が入ってくると分煙では問題が解決しないことがわかる。
そういう場合、最近は喫煙者が煙草を吸うときだけ喫煙所に行くということになる。しかしそれは問題が解決している状態ではない。
個人的に一番問題なのは愛煙家が喫煙場所で交換している情報が結構あるということだ。非喫煙者はそれによって煙だけでなく情報からも隔離されつつある。まあ公共の場所でそういうことがあるわけではないだろうが、特に問題なのは職場である。これまで自分の机で喫煙できていたうちは仕事しながら煙草を吸うということになっていたので、そういうことはなかった。ところが、喫煙場所に囲い込まれることによって喫煙者はそこで煙草を吸う。そこには仕事をするための道具などはもちろんないので仕事はできない。携帯電話を持ち込んで電話したりメールしたりウェブを眺めたりすることはできるだろうが、問題はそこにはない。同じ職場の人間が数人寄って煙草を吸っていると、それだけでは手持ち無沙汰ということもあるのかもしれないが、雑談やら仕事の話が始まる。ここで交換される情報はなかなか侮れない。私はそこに出入りすることは殆どないので実際のところはわからないが、それでも喫煙者は私ら非喫煙者以上に社内情報を多く持っているらしい。
そのことが仕事に有利に働くのかどうかはわからないが、分煙することによって社内情報格差が生じているように思えてならない。
とはいえ、そのために喫煙を始めるのもどうかと思うので、今のところ煙草には手を出していない。
これまで一度も煙草を咥えたことがない。と言いたいところだが、大学時代にいちびって他人に煙草を貰って吹いたことがある。火の粉が散るからよい子は真似をしてはいけない。
その他他人の吸っていない煙草の先を爪楊枝などで押し込んで「圧縮煙草」を何度が作ったことがある。吸った人は「きつい」というような感想を漏らしていた。
吸ったことはないかというと一度だけある。社会人になった後に「一度吸ってみたら」と言われて、他人が吸っているのを吸わせて貰ったことがある。TV ドラマか何かの影響か最初に吸うときは噎せるような印象があるが、そのときは特に噎せなかった。それでも煙草には興味がなかったので、それっきり現在に至っている。
したがって一息吸っただけで、一本丸丸は吸ったことがない。
子供の頃、既に煙草は健康に悪いと言われていたように記憶しているし、止めるのもなかなか困難を伴うということも言われていた。健康によくないということもあるが、それよりも私の場合は、なかなか止められないというところに引っかかって吸い始めようと思わなかったのではないかという気がする。意志が弱く、きっぱりと止められない性格だから一度習慣になってしまえば死ぬまで吸い続けているだろう。習慣性がなければ私も吸っていたかもしれない。
そんなわけで、なかなか禁煙に成功しない諸氏には密かに同情申し上げている。
昔は非喫煙者の権利がどうこうということはなく、至るところで煙草が吸われていた。吸えないのは病院の病室や人が密集する場所くらいではなかったか。私が最初に海外旅行に行った頃は機内でさえ離着陸時以外は喫煙できた。
職場でも自分の机で吸えたし、会議をすると煙で朦朦とすることもしばしばだった。それが今では吸える場所を探す方が難しい。隔世の感がある。
喘息持ちではないので、煙草の煙で辛い思いをしたということはあまりない。それでも煙は鬱陶しいものである。喫煙者でさえ自分の煙草から立ち上る煙で顔を顰めているくらいである。吸わない者が鬱陶しいのは当り前だ。
それがどうだ。どうかすると何年も煙草の煙に覆われることなく過ごすこともある。これが当り前になると、非喫煙者にとっては煙草の問題は情報としてしか入ってこないものになってしまう。なので、稀に喫煙場所に行くと昔はこんな環境が普通だったことを思い出し、少しだけ懐かしい気分にさせられたりもするわけだ。
最近は喫煙者の肩身がかなり狭くなっていることもあるのか、あまり聞かれることはないが、禁煙環境が拡大され始めた頃は「朝の一服でその日の体の調子がわかる」だの「食後の一服がたまらない」だのという言い訳とも傷の舐め合いともつかないようなことを喫煙者同士で並べては盛り上っていたのを思い出す。食後の一服のことは私にはわからないが、その日の体調のことなら自転車に乗ってもわかる。
前にも書いたような気がするが私は嫌煙権主義者ではない。煙は鬱陶しいには違いないので煙のない方が当然嬉しいが、スピッツのごとく嫌煙を吠え立てるつもりはないし、逆にそんな人らの方が煙たいくらいだ。ただまあ愛煙家と呼ばれる人らが「喫煙は文化だ」と主張して禁煙を制度化することに反対するための言い種にしているのもどうかとは思っている。
そうして煙に巻かれる環境が減ってきたことは個人的には喜ばしいに違いないのだが、私には気になっていることがある。分煙だ。
世間では分煙すれば問題が解決するかのように思われているようで、何でも分煙で片付けてしまおうとしているように見える。これは大きな間違いだ。何人かで食事でも会議でも何かしようとした場合、全員が喫煙者あるいは非喫煙者であれば分煙は何の問題にもならない。ところがそこに一人でも違う人が入ってくると分煙では問題が解決しないことがわかる。
そういう場合、最近は喫煙者が煙草を吸うときだけ喫煙所に行くということになる。しかしそれは問題が解決している状態ではない。
個人的に一番問題なのは愛煙家が喫煙場所で交換している情報が結構あるということだ。非喫煙者はそれによって煙だけでなく情報からも隔離されつつある。まあ公共の場所でそういうことがあるわけではないだろうが、特に問題なのは職場である。これまで自分の机で喫煙できていたうちは仕事しながら煙草を吸うということになっていたので、そういうことはなかった。ところが、喫煙場所に囲い込まれることによって喫煙者はそこで煙草を吸う。そこには仕事をするための道具などはもちろんないので仕事はできない。携帯電話を持ち込んで電話したりメールしたりウェブを眺めたりすることはできるだろうが、問題はそこにはない。同じ職場の人間が数人寄って煙草を吸っていると、それだけでは手持ち無沙汰ということもあるのかもしれないが、雑談やら仕事の話が始まる。ここで交換される情報はなかなか侮れない。私はそこに出入りすることは殆どないので実際のところはわからないが、それでも喫煙者は私ら非喫煙者以上に社内情報を多く持っているらしい。
そのことが仕事に有利に働くのかどうかはわからないが、分煙することによって社内情報格差が生じているように思えてならない。
とはいえ、そのために喫煙を始めるのもどうかと思うので、今のところ煙草には手を出していない。
5速化 Brompton の通勤と渡り鳥 ― 2011年10月06日 22時45分
昨日 5速の Brompton で初めて通勤したので、そのときの印象など書いてみる。
最初に乗って帰ったときは別の自転車のように思ったが、通勤で乗ると元の Brompton が感じられた。いろいろ考えてみるに、朝は焦りがちだ。そうなると自分のペースでペダルを漕ごうとしてしまう。当り前といえば当り前だが、そうなるとどうも適当なギアがないことになり、3速と同様の印象になるようだ。そんな気がしたので、途中から焦るのを止めて Brompton に任せるような感じで乗っていると快適になった。焦ると駄目らしい。
帰りは雨に降られないように焦って帰ったので、5速どころではなかった。駄目である。
ところで伊丹の朝を走っていると昨日から二日続けて渡り鳥を見かけた。去年ずっといたらしい鴨も元の川に戻って元気よく泳いでいた。
涼しくなったと思ったら、いきなり冬の気配である。秋はないのだった。
最初に乗って帰ったときは別の自転車のように思ったが、通勤で乗ると元の Brompton が感じられた。いろいろ考えてみるに、朝は焦りがちだ。そうなると自分のペースでペダルを漕ごうとしてしまう。当り前といえば当り前だが、そうなるとどうも適当なギアがないことになり、3速と同様の印象になるようだ。そんな気がしたので、途中から焦るのを止めて Brompton に任せるような感じで乗っていると快適になった。焦ると駄目らしい。
帰りは雨に降られないように焦って帰ったので、5速どころではなかった。駄目である。
ところで伊丹の朝を走っていると昨日から二日続けて渡り鳥を見かけた。去年ずっといたらしい鴨も元の川に戻って元気よく泳いでいた。
涼しくなったと思ったら、いきなり冬の気配である。秋はないのだった。
iPhone 4S ― 2011年10月06日 23時10分
iPhone 4S が発表された。個人的には去年 iPhone 4 を購入したので、今年は何があろうと新しい iPhone に替えるつもりも予定もなかった。今年は自転車にお金を注ぎ込んでいることもあって、そんな余裕もない。
なので発表はそれほど関心がなかった。au がもう一年早かったらとは思うが、そんなこと言ってもどうにもならない。docomo が iPhone を出したらそのうち引っ越すかもしれないが。
仕様で興味があるのは 64 GB モデルがあることくらいか。来年は 64 GB モデルに買い換えることになるかもしれない。
世間では 5 が出ると思っていたためにあまり評判がよくないが、3G が出た次のモデルは 3GS だったので、4S が出ることにそれほど意外性があるとも思えない。他の携帯電話なら出荷台数が少ないので金型の使い回しで経費を抑えるという目的もあるかもしれないが、iPhone は桁が違うので、毎年デザインを変更してもそれほどデザインにかかる経費を考慮する必要はないように思うから 5 を出しても構わないようなものかもしれないが、Apple の方針で最低でも 2年は同じデザインでいくということになっていてもさしておかしなことではない。
それはいいとして au である。個人的には SoftBank の iPhone ユーザの一部が au に流れてくれることを期待している。それで SoftBank の回線に余裕ができれば少しは快適に接続できるようになるかもしれない。さらに au に顧客を持っていかれては困るだろうから SoftBank 自身も回線増強などしてくれることも期待したい。
と思っていたら Steven Jobs が死去したというニュースが入ってきた。会長になってもまだしばらく製品開発に口を出したりして頑張るのだろうと思っていたので、驚いた。突然の CEO 辞任発表はそれだけ癌が進行していたのかもしれない。冥福をお祈りする。
あれだけさんざんな評判だった iPhone 4S だが、Jobs が死去したということで彼の最後の iPhone だという理由で 4S を買うという人らがいるらしい。私自身はそのために iPhone 4S を買おうとは思わないし、Jobs は iPhone 5 も仕込んでいる筈なので、Jobs 最後の製品というのであれば来年のモデルがそれに当るのではないかと思っている。
いずれにしても Jobs は偉大なプロダクトデザイナであった。
なので発表はそれほど関心がなかった。au がもう一年早かったらとは思うが、そんなこと言ってもどうにもならない。docomo が iPhone を出したらそのうち引っ越すかもしれないが。
仕様で興味があるのは 64 GB モデルがあることくらいか。来年は 64 GB モデルに買い換えることになるかもしれない。
世間では 5 が出ると思っていたためにあまり評判がよくないが、3G が出た次のモデルは 3GS だったので、4S が出ることにそれほど意外性があるとも思えない。他の携帯電話なら出荷台数が少ないので金型の使い回しで経費を抑えるという目的もあるかもしれないが、iPhone は桁が違うので、毎年デザインを変更してもそれほどデザインにかかる経費を考慮する必要はないように思うから 5 を出しても構わないようなものかもしれないが、Apple の方針で最低でも 2年は同じデザインでいくということになっていてもさしておかしなことではない。
それはいいとして au である。個人的には SoftBank の iPhone ユーザの一部が au に流れてくれることを期待している。それで SoftBank の回線に余裕ができれば少しは快適に接続できるようになるかもしれない。さらに au に顧客を持っていかれては困るだろうから SoftBank 自身も回線増強などしてくれることも期待したい。
と思っていたら Steven Jobs が死去したというニュースが入ってきた。会長になってもまだしばらく製品開発に口を出したりして頑張るのだろうと思っていたので、驚いた。突然の CEO 辞任発表はそれだけ癌が進行していたのかもしれない。冥福をお祈りする。
あれだけさんざんな評判だった iPhone 4S だが、Jobs が死去したということで彼の最後の iPhone だという理由で 4S を買うという人らがいるらしい。私自身はそのために iPhone 4S を買おうとは思わないし、Jobs は iPhone 5 も仕込んでいる筈なので、Jobs 最後の製品というのであれば来年のモデルがそれに当るのではないかと思っている。
いずれにしても Jobs は偉大なプロダクトデザイナであった。
電気自動車の不安 ― 2011年10月23日 00時00分
少しづつ電気自動車が商品として発売されるようになってきた。これが意外な展開を示している。
家庭の電源としてである。おそらく地震がなければそんな方向に展開することはなかった筈だ。
電力のソースが複数あるのは悪いことではないとは思っているのだが、車のバッテリはどうかと思っている。まず、バッテリの性能だ。
今のバッテリは知っている通り、寿命がそれほど長くない。リチウムイオンで 500回くらいという話だ。実際はそんなに持たないし、そこに至るまでに容量が少しづつ減ってくる。携帯電話やらノート PC を使用していれば実感することだ。車だって同じに違いない。車用は開発にかなりな費用を投入しているから大丈夫。というわけにはいかないし、そんな話があればメーカとしては携帯機器にも当然使いたい技術だろう。ということは普通に使用していれば 5年もしないうちに交換する必要が出てくるということだ。おそらく使用環境の温度条件としては携帯機器より悪い筈なので性能劣化は携帯機器以上だろう。とすれば携帯機器を使用している感覚でいけば 2年もすればかなり劣化しているような気がする。満充電しても走行距離 20 km くらいしか走れないようで誰が使うか。広告で当然そんなことに触れられることはないが、広告以外であってもバッテリの寿命その他が話題にされることがないのはどういうわけか。「TV で何時間、冷蔵庫で何時間」とかいうのは初期性能のバッテリを満充電にした状態だろう。
それだけではなく廃棄物の問題もある。ガソリン車ではそんな短期間に主要部品を交換するというようなものはない筈だし、結構な量のバッテリが搭載されているに違いないので、廃棄バッテリの問題も大きいような気がする。こんなことで本当に環境にいいと言えるのだろうか。
気になることは他にもある。効率の問題だ。充電した電気を車で消費するのならまだいいが、それを家庭用の電力として使用する場合の効率の問題がある。そもそも充電する時点で交流を直流にするから、そこでロスが発生する。ロスはそれだけではなく、充電でも発生している筈だ。直流になった電気を 100% 充電しているなどということはあり得ない。それを家庭の電源として使用する場合、さらに交流に戻さなければならない。そこでさらにロスが発生する。実際のところ合計でどの程度の無駄が発生しているのかわからないが、よくて 40% 程度ではないだろうか。根拠がある話ではないが、合計 20% しかロスしていませんというようなことはあり得る数字には到底思えない。
というようなわけで、電気自動車が家庭のバックアップ電源として脚光を浴びるのはどうも納得がいかない。
バッテリという問題で言えば、電気自動車だけではなくハイブリッド車でも同じような問題がある。ハイブリッドの場合、家庭用電源として使用するということがないだけで、バッテリの劣化は燃費の悪化に直結する。バッテリの性能が低下すると役に立たない重量物を載せて走っているようなものだからだ。
家庭の電源としてである。おそらく地震がなければそんな方向に展開することはなかった筈だ。
電力のソースが複数あるのは悪いことではないとは思っているのだが、車のバッテリはどうかと思っている。まず、バッテリの性能だ。
今のバッテリは知っている通り、寿命がそれほど長くない。リチウムイオンで 500回くらいという話だ。実際はそんなに持たないし、そこに至るまでに容量が少しづつ減ってくる。携帯電話やらノート PC を使用していれば実感することだ。車だって同じに違いない。車用は開発にかなりな費用を投入しているから大丈夫。というわけにはいかないし、そんな話があればメーカとしては携帯機器にも当然使いたい技術だろう。ということは普通に使用していれば 5年もしないうちに交換する必要が出てくるということだ。おそらく使用環境の温度条件としては携帯機器より悪い筈なので性能劣化は携帯機器以上だろう。とすれば携帯機器を使用している感覚でいけば 2年もすればかなり劣化しているような気がする。満充電しても走行距離 20 km くらいしか走れないようで誰が使うか。広告で当然そんなことに触れられることはないが、広告以外であってもバッテリの寿命その他が話題にされることがないのはどういうわけか。「TV で何時間、冷蔵庫で何時間」とかいうのは初期性能のバッテリを満充電にした状態だろう。
それだけではなく廃棄物の問題もある。ガソリン車ではそんな短期間に主要部品を交換するというようなものはない筈だし、結構な量のバッテリが搭載されているに違いないので、廃棄バッテリの問題も大きいような気がする。こんなことで本当に環境にいいと言えるのだろうか。
気になることは他にもある。効率の問題だ。充電した電気を車で消費するのならまだいいが、それを家庭用の電力として使用する場合の効率の問題がある。そもそも充電する時点で交流を直流にするから、そこでロスが発生する。ロスはそれだけではなく、充電でも発生している筈だ。直流になった電気を 100% 充電しているなどということはあり得ない。それを家庭の電源として使用する場合、さらに交流に戻さなければならない。そこでさらにロスが発生する。実際のところ合計でどの程度の無駄が発生しているのかわからないが、よくて 40% 程度ではないだろうか。根拠がある話ではないが、合計 20% しかロスしていませんというようなことはあり得る数字には到底思えない。
というようなわけで、電気自動車が家庭のバックアップ電源として脚光を浴びるのはどうも納得がいかない。
バッテリという問題で言えば、電気自動車だけではなくハイブリッド車でも同じような問題がある。ハイブリッドの場合、家庭用電源として使用するということがないだけで、バッテリの劣化は燃費の悪化に直結する。バッテリの性能が低下すると役に立たない重量物を載せて走っているようなものだからだ。
自転車通勤の距離に関する雑感 ― 2011年10月26日 22時45分
今月いっぱいで宝塚に通い始めて丸一年になる。何度か片道 30 km の自転車通勤について書いてきたが、改めて考えてみたい。
個人的な感じでは 30 km というのは通えない距離ではないというのは何度も書いてきた。月に数回程度であれば片道 50 km でも大丈夫という気がしている。今でも基本的にはそう考えているが、ただ若干考えが変化してきた。
距離よりも、所要時間が厳しい。30 km を待ち時間含めて 1時間で走れる人なら問題ないかもしれない。私の場合、今なら信号待ちその他を含めて 1時間 25分前後かかっている。これが長い。相生は除外するとして、その前の職場には片道 20分ほどだったこともあって睡眠時間の皺寄せが大きいのであった。合計 40分と 3時間弱ではかなり違う。寝なくても大丈夫という人なら苦にならないかもしれないが、私は寝ないと駄目な割に眠りの質がよくないので、睡眠時間の大幅な減少は厳しいものがある。
疲れているときや気分が乗らないときの 30 km は長い。今でも基本は 30 km の自転車通勤なので「30 km は無理だ」とも思わないし、できるかどうかはやってみてから言ってもらいたいと思っている。ただ、上にも書いたように所要時間なども含めて考えると、継続して何年も通勤するにはベストが 15 km、長くても 20 km くらいがちょうどいいのではないかという気が最近はしている。これは自転車通勤に関してよく言われる距離で、そう言う人らはそういうところまで考慮しているのかもしれないし、最大公約数で言えばそれくらいがちょうどいいような気がする。
そういう意味で Brompton の輪行通勤は大正解であった。尼崎往復なら 25 km 程度なので片道 12 km くらいでほどよい距離になる。気分が乗らないときや疲れているときはこれくらいだとちょうどいい感じだ。私の場合、30 km 走るとなると若干気合が必要になることがある。気合の入らない日は無理をせずにぼちぼち行くというのもまたいいものだし、そういう日でも自転車に乗ることができるのがいい。電車で坐れて疲れているときはちょっと眠ったりもできる。これで自転車が 10 kg 以下ならもっといいのにと贅沢なことを考えてしまう。
尼崎など途中の駅に自転車を置いておき、日によって家からだったり、途中の駅まで電車で行くというようなことも当初から考えなかったわけではないが、これは二つの理由であまりいい考えではない。
・預けている自転車のメンテナンスがしづらい上に預ける費用がかかる(さらには電車賃も必要だ)
・家から駅までの距離を歩かなければならない
私の場合、家から途中の駅まで自転車、そこから電車で職場の最寄駅に行くという選択肢はない。というのも、家からだと適当な駅がないこととと、最寄駅から職場まで徒歩で 20分程度かかるからだ。家からプラットフォームまでは歩いて 15分弱だが、これも十分長い。いずれの側の徒歩も通勤時間の拡大に影響している。これが Brompton を使うと家からプラットフォームまで折り畳み時間を含めても僅か 5分で済む。これが Brompton の機動力だ。最寄駅から職場までは残念ながら Brompton で走ったことがないので、そこのところはわからないが、10分はかからないだろう。
輪行通勤だと自転車を預ける必要がないので、両側の駅で自転車が使えるし、それにかかる余計な出費がかからない。それに駅を固定する必要がないので、雨の日であるとか、気分などで乗降する駅を臨機応変に換えることもできる。
個人的な感じでは 30 km というのは通えない距離ではないというのは何度も書いてきた。月に数回程度であれば片道 50 km でも大丈夫という気がしている。今でも基本的にはそう考えているが、ただ若干考えが変化してきた。
距離よりも、所要時間が厳しい。30 km を待ち時間含めて 1時間で走れる人なら問題ないかもしれない。私の場合、今なら信号待ちその他を含めて 1時間 25分前後かかっている。これが長い。相生は除外するとして、その前の職場には片道 20分ほどだったこともあって睡眠時間の皺寄せが大きいのであった。合計 40分と 3時間弱ではかなり違う。寝なくても大丈夫という人なら苦にならないかもしれないが、私は寝ないと駄目な割に眠りの質がよくないので、睡眠時間の大幅な減少は厳しいものがある。
疲れているときや気分が乗らないときの 30 km は長い。今でも基本は 30 km の自転車通勤なので「30 km は無理だ」とも思わないし、できるかどうかはやってみてから言ってもらいたいと思っている。ただ、上にも書いたように所要時間なども含めて考えると、継続して何年も通勤するにはベストが 15 km、長くても 20 km くらいがちょうどいいのではないかという気が最近はしている。これは自転車通勤に関してよく言われる距離で、そう言う人らはそういうところまで考慮しているのかもしれないし、最大公約数で言えばそれくらいがちょうどいいような気がする。
そういう意味で Brompton の輪行通勤は大正解であった。尼崎往復なら 25 km 程度なので片道 12 km くらいでほどよい距離になる。気分が乗らないときや疲れているときはこれくらいだとちょうどいい感じだ。私の場合、30 km 走るとなると若干気合が必要になることがある。気合の入らない日は無理をせずにぼちぼち行くというのもまたいいものだし、そういう日でも自転車に乗ることができるのがいい。電車で坐れて疲れているときはちょっと眠ったりもできる。これで自転車が 10 kg 以下ならもっといいのにと贅沢なことを考えてしまう。
尼崎など途中の駅に自転車を置いておき、日によって家からだったり、途中の駅まで電車で行くというようなことも当初から考えなかったわけではないが、これは二つの理由であまりいい考えではない。
・預けている自転車のメンテナンスがしづらい上に預ける費用がかかる(さらには電車賃も必要だ)
・家から駅までの距離を歩かなければならない
私の場合、家から途中の駅まで自転車、そこから電車で職場の最寄駅に行くという選択肢はない。というのも、家からだと適当な駅がないこととと、最寄駅から職場まで徒歩で 20分程度かかるからだ。家からプラットフォームまでは歩いて 15分弱だが、これも十分長い。いずれの側の徒歩も通勤時間の拡大に影響している。これが Brompton を使うと家からプラットフォームまで折り畳み時間を含めても僅か 5分で済む。これが Brompton の機動力だ。最寄駅から職場までは残念ながら Brompton で走ったことがないので、そこのところはわからないが、10分はかからないだろう。
輪行通勤だと自転車を預ける必要がないので、両側の駅で自転車が使えるし、それにかかる余計な出費がかからない。それに駅を固定する必要がないので、雨の日であるとか、気分などで乗降する駅を臨機応変に換えることもできる。
嫁の車拝借 ― 2011年10月29日 14時45分
先週の日曜日、嫁は出勤だった。いつも嫁は車で出勤している。その日も当然車だ。
私の Brompton は変速機を交換して一箇月近く経って変速機のワイヤが延びてきた。5速の調整は微妙らしいので一応持っていって診てもらいたいのと、交換した 3速のホイルが預けっぱなしになっているので引き取りに行かなければならない。預けて帰ったのは、私のパックパックに入らなかったからだ。何か入りそうな鞄がないか探してみたが、適当なものはなかった。Brompton の方は少し先でもいいかもしれないが、店主の事情で暫く店を閉めるかもしれないということなので、早めに診てもらった方がいい。さてどうするか。
考えたのだった。
嫁の職場まで Brompton で行き、嫁の車で店まで行って Brompton を診てもらうのとホイルを引き取ってくるというのはどうだ。
どうだと言われても読んでいる人にはどうでもいいことだろうが、スペアキーがあるので実行に移す。距離も片道高だか 6 km ほどしかないので大した距離でもない。
駐車場には自由に出入りできる。Brompton で車のところまで行き、Brompton を積み込み、早速出かける。店の用事は短時間で済み、戻ってくる。嫁の職場の駐車場に車を入れ、ホイルは車に残して再び Brompton に乗って家に帰る。
帰ってきたら嫁が訊くのだった。「車使った?」
一応シートも戻しておいたのだが、若干戻し方が足らなかったようだ。それで気付かれたようだった。
同じことは普通の自転車でもできなくはないが、Brompton の機動性は気分的にもフットワークをよくするし、行動範囲が飛躍的に拡大する。他の交通手段を利用しているときは若干荷物になるが、他の交通手段と自転車を乗り継ぐときのシームレス加減は、スーツケースの積み下ろしとさほど違いがない。カバーをかけてさえ 2分程度で折り畳み、展開が完了する。
私の Brompton は変速機を交換して一箇月近く経って変速機のワイヤが延びてきた。5速の調整は微妙らしいので一応持っていって診てもらいたいのと、交換した 3速のホイルが預けっぱなしになっているので引き取りに行かなければならない。預けて帰ったのは、私のパックパックに入らなかったからだ。何か入りそうな鞄がないか探してみたが、適当なものはなかった。Brompton の方は少し先でもいいかもしれないが、店主の事情で暫く店を閉めるかもしれないということなので、早めに診てもらった方がいい。さてどうするか。
考えたのだった。
嫁の職場まで Brompton で行き、嫁の車で店まで行って Brompton を診てもらうのとホイルを引き取ってくるというのはどうだ。
どうだと言われても読んでいる人にはどうでもいいことだろうが、スペアキーがあるので実行に移す。距離も片道高だか 6 km ほどしかないので大した距離でもない。
駐車場には自由に出入りできる。Brompton で車のところまで行き、Brompton を積み込み、早速出かける。店の用事は短時間で済み、戻ってくる。嫁の職場の駐車場に車を入れ、ホイルは車に残して再び Brompton に乗って家に帰る。
帰ってきたら嫁が訊くのだった。「車使った?」
一応シートも戻しておいたのだが、若干戻し方が足らなかったようだ。それで気付かれたようだった。
同じことは普通の自転車でもできなくはないが、Brompton の機動性は気分的にもフットワークをよくするし、行動範囲が飛躍的に拡大する。他の交通手段を利用しているときは若干荷物になるが、他の交通手段と自転車を乗り継ぐときのシームレス加減は、スーツケースの積み下ろしとさほど違いがない。カバーをかけてさえ 2分程度で折り畳み、展開が完了する。
今月の走行距離 ― 2011年10月31日 22時30分
今月は走った。1,200 km 以上だった。1,000 km 超えたのは 3月以来 2度目である。今年の累計走行距離は約 8,400 km だ。200 km 走った週は尻が痛くて一日を除いて Brompton だったのでそれほど伸びなかった。尻対策は重要である。
今日で宝塚に行くようになってちょうど一年になる。一年間で 9,900 km ほどで、残念ながら 10,000 km に届かなかった。
来月は天気があまりよくないというような予報らしいので、走行距離が伸びない可能性がある。となると今年一年間の走行距離が 10,000 km に届かないかもしれない。ま、義務で走っているわけでもないので無理するつもりはない。10,000 km 超えれば嬉しいが、50目前でこれだけの距離を初めて走ったわけであるから、それはそれで十分かもしれない。
今日で宝塚に行くようになってちょうど一年になる。一年間で 9,900 km ほどで、残念ながら 10,000 km に届かなかった。
来月は天気があまりよくないというような予報らしいので、走行距離が伸びない可能性がある。となると今年一年間の走行距離が 10,000 km に届かないかもしれない。ま、義務で走っているわけでもないので無理するつもりはない。10,000 km 超えれば嬉しいが、50目前でこれだけの距離を初めて走ったわけであるから、それはそれで十分かもしれない。
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