嫁の車拝借2011年10月29日 14時45分

先週の日曜日、嫁は出勤だった。いつも嫁は車で出勤している。その日も当然車だ。

私の Brompton は変速機を交換して一箇月近く経って変速機のワイヤが延びてきた。5速の調整は微妙らしいので一応持っていって診てもらいたいのと、交換した 3速のホイルが預けっぱなしになっているので引き取りに行かなければならない。預けて帰ったのは、私のパックパックに入らなかったからだ。何か入りそうな鞄がないか探してみたが、適当なものはなかった。Brompton の方は少し先でもいいかもしれないが、店主の事情で暫く店を閉めるかもしれないということなので、早めに診てもらった方がいい。さてどうするか。

考えたのだった。

嫁の職場まで Brompton で行き、嫁の車で店まで行って Brompton を診てもらうのとホイルを引き取ってくるというのはどうだ。

どうだと言われても読んでいる人にはどうでもいいことだろうが、スペアキーがあるので実行に移す。距離も片道高だか 6 km ほどしかないので大した距離でもない。

駐車場には自由に出入りできる。Brompton で車のところまで行き、Brompton を積み込み、早速出かける。店の用事は短時間で済み、戻ってくる。嫁の職場の駐車場に車を入れ、ホイルは車に残して再び Brompton に乗って家に帰る。

帰ってきたら嫁が訊くのだった。「車使った?」

一応シートも戻しておいたのだが、若干戻し方が足らなかったようだ。それで気付かれたようだった。

同じことは普通の自転車でもできなくはないが、Brompton の機動性は気分的にもフットワークをよくするし、行動範囲が飛躍的に拡大する。他の交通手段を利用しているときは若干荷物になるが、他の交通手段と自転車を乗り継ぐときのシームレス加減は、スーツケースの積み下ろしとさほど違いがない。カバーをかけてさえ 2分程度で折り畳み、展開が完了する。

「を」の発音2011年09月19日 21時50分

世間には「を」を「お」と発音しない人らがいる。もちろん彼らは日本人だ。

そのことに気が付いたのは 5年ほど前のことだった。仕事の打合せである人の話しているのを聞いていると「を」を「wo」と発音していた。場合によってははっきり「うぉ」というように発音していた。

そのとき、昔はそういう発音をしていたというようなことを聞いたのを思い出した。今でもそういう発音がいる人がいることをそのとき知ったのだった。それから気にするでもなく他人の喋るのを聞いているとたまに「wo」と発音する人に出会う。

しかし私の年代でもそんなことを学校で習った人がいるようには思えない。とはいえ私のその知識がどこからきたかということを考えると学校で習ったのかもしれない。それでも単に昔はそうだったというようなことを聞いただけではなかったかと思う。私自身は普段「wo」と発音することはない。まあそう教師が言っていたとしても、素直に従っていたとは思えないが。

そういう意味では「ゐ」や「ゑ」は今では使わない文字になってしまったが、古文などで習う。しかし発音までは習わない。これらも昔は「い」「え」ではなく「wi」「we」と発音していたのだろう。

「ゐ」や「ゑ」はともかく、「を」の人らである。

彼らは一体どこでそういう発音を常用するようになったのだろうか。家の人がそういう発音を仮にしていたとしても、世間一般はそんな発音をしていない。方言のように周囲がみんなそういう発音だったら自然にそういう発音をするのだろうが、そんな地方はあるのだろうか。

さらにわざわざ「wo」と手間のかかる発音をしなくても通じるわけだから、敢えてそう発音する理由もないような気がする。「関西学院」を「かんせいがくいん」と呼んでも「くゎんせいがくいん」と発音する人らに出会ったことはない。余談だが関西学院のローマ字表記は "Kwansei Gakuin" であって、そういう発音であったことを物語っている。

そういえば「じ」と「ぢ」も昔は発音が違っていたのではないかという説もあるらしい。

日本語の発音も以前は今より豊穣なのだった。

時代とともに面倒な発音は安易な発音に集約され、使用される文字も(中途半端に)集約されるものだから、日本語の学習が容易になったのか、例外が増えて面倒になった部分が多くなったのかわからない時代になった。

ともかく次に「wo」の人に出会ったときには「wo」と発音するようになった経緯を聞いてみたいと思っているが、なかなかそういう人に出会わないのであった。

続く会社2011年09月01日 23時00分

たまに「新」の付いている名前の会社がある。新日鐵などだ。
映画でも「新」の付くシリーズものがあったりする。
映画の場合「パート 2」「パート 3」などというものもあって、こちらは社名では聞いたことはないが、スナックなどその手の店で見かけることがある。
映画ではその他、単に「2」「3」など数字で続編を表すものがあるが、会社ではこういうのは聞いたことがない。

ところで「新」の付く社名はどういういきさつがあるのだろう。前の会社と何らかの関連があるのだろう。なければそんな名前を付ける理由が思いつかない。それでも組織を更新するのであれば心機一転ではないが別の社名というのがいいように思う。そこまで旧社名に拘る理由というのがよくわからないのだった。

「新」で思いつくのが映画でよくある「続」だが、こちらも聞いたことがない。

排水枡清掃2011年05月06日 22時20分

一箇月ほど前くらいからだろうか。台所の流しで水を流すとゴボコボ音を立てるようになってきた。台所でゴボゴボ言わすと一階の便所の手洗いもゴボゴボするので同じ排水系統で詰っている様子だ。

花見のときに友人にそういう関係の仕事をしているのがいるので、質問してみた。回答はこうだった。市役所で業者を紹介してもらって数社から見積を取るといい。
各市では指定業者というのがあって、水道工事は指定業者でないとできないらしい。友人の会社は業者相手なので、紹介してやってもいいが、高くつくと言われた。それで市役所に紹介してもらう予定にしていたが、市役所のサイトを調べていると指定業者の一覧が出てきた。それを片っ端から検索し、ウェブがある業者に絞る。調べていると工事だけで掃除をしそうにない業者もあったりするので、排水管掃除をしてくれる業者を選び出す。

そうしていくつかの業者をリストアップしていたが、平日でなければ駄目だろう(一部休日や夜間も対応する業者はあるが)ということで今日まで待っていた。

そこからさらに業者のウェブページを調べて数社に絞り、電話をしてみた。電話の応対がぱっとしないところやら出張見積に応じてくれないようなところを除外し、最終的に 2社に絞ったが、1社は来週までいっぱいということだった。一応、見積は頼んでいたが、もう 1社が今日来てくれるというので見積ってもらい、\13,000 というのでそのままやってもらうことにした(来週の会社はキャンセルした)。電話の見積だけで \20,000 と言っていた業者があったのと、来週まで待つとさらに延びるということもあった。

様子を見てもらうと管を掃除するというより枡の掃除が主体になるようだ。台所で水を流すと枡まで流れてきた水が枡内部の排水口で逆流し、そのときにゴボゴボ言うということだった。
30分ほどかかって枡の汚泥を掻き出したり、枡内部を掃除して綺麗になった。そのまま放置して汚泥が露出したりするようなことになれば害虫が棲み付いたりするのであろう。さいわいわが家は建て替えてからまだ屋内でゴキブリと遭遇したことはないが、前の職場だった事業所の食堂横のゴキブリ通りを思い出してぞっとするのであった。

冒頭の友人の話によれば、年一回実施される町内の溝掃除のときに本来は枡も開けて掃除しなきゃならんのだということだった。そういう話は初耳だったが、母親の話だと隣のご主人は掃除していたらしい。

わが家には専用の枡が 6箇所あって、先日一通り見たところ、生活廃水が流れているところが 3箇所、残りは大半が雨水らしい様子だった。雨水のところは砂などが僅かに流れることはあるだろうが、生活廃水が流れる枡は定期的に掃除した方がいいのだろう。あまり気持ちのいい仕事ではないのだが。

はやぶさと SPring-82011年01月23日 16時30分

はさぶさが持ち帰った微粒子をいよいよ研究者が解析するというニュースをやっている。つい先日も SPring-8 の映像がニュースで流れて懐かしいような気になった。
はやぶさが戻ってきた頃から SPring-8 の名前が取り沙汰されていたが、いよいよ解析が始まるようだ。とはいえ佐用は今頃雪で辿り着けないのではないかといらぬ心配をしたりもするが、ウェブによれば昨日報道向け説明会が開かれたようである。あんな田舎に報道陣が多数押しかけるというのもなかなかない光景ではある。

「X線」などということばが出てくると、つい XFEL を思い浮かべてしまうが、プロトタイプの XFEL ならともかく、大きい方の XFEL はまだ建設中なので試運転ならともかく実験に使える状態ではないだろう。

4箇月前まで XFEL の仕事をしていた身としては SPring-8 のニュースがあると単純に嬉しい。別に大した仕事をしていたわけでもなく、単なる一作業員でしかなかったが、それでも関係者には違いない。

話題のはやぶさに関係することで SPring-8 の知名度も上がるだろうし、SPring-8 関連の予算も国から得やすくなるだろう。「はやぶさ効果」で科学技術関連の予算の削減だけは食い止められたわけだし、直接の関係者にしてみれば厳しい財政状況の中、喜ばしいことだろう。

個人的にはいずれ XFEL でもサンプルの解析が行われたりするとなお嬉しい。XFEL というのは X 線自由電子レーザとかいう、X 線帯域のレーザでものを見るという設備である。今回 SPring-8 では X 線 CT でサンプルを分析するらしい。
私自身 XFEL については受け売り程度の知識しかないし、専門家でもないので正しい知識がどこまであるか甚だ疑わしい。
Spring-8 の X 線は普通の光でレーザではない筈だ。さらに SPring-8 の放射光と XFEL では明るさがかなり違うようなことが XFEL の入口の説明に書いてあった。明るい位相の揃った光で観察すればそれだけよりよくものが観察できるというのが XFEL の意義らしい。

従来、レーザというのはルビーなど特定の物質内で光の位相を揃えてからレーザとして取り出すというが一般的で、CD なんかがそういうしくみでレーザを利用している。ところがこれだと波長が物質によって規定されてしまうので、欲しい帯域の光が得られないという問題がある。
XFEL では電子を飛ばして光速近くまで加速し、それを強力な磁石で揺らしてレーザを得るというしくみになっている。電子を揺らすところを制御してやることで欲しい帯域のレーザが取り出せるというのが XFEL の特長だ。
そういう意味では XFEL というのは(SPring-8 もかもしれないが)恐ろしく巨大かつ超精密な顕微鏡装置である。

今の職場は音響装置やら監視カメラの職場なので、技術系には違いないが XFEL やら放射光とは無縁な分野だ。SPring-8 が話題になると職場でもそういうことを話題にしたくなるが、あまりそういう話題とは縁がないだけに話題にしにくい。かといって自分の会社ならそういう話ができるかというと、XFEL の仕事を請けているごく一部の関係者を除いてこれまたあまり縁のない職場なので、話題にならない。

なかなか経験することのない仕事をしたのはいいが、話題にできる機会がないのも淋しいものではある。話題になっても世間の人は放射光が何とか XFEL すらよくわかっていないだろうから、ニュースになっているからといって迂闊に話題にすれば質問攻めにあうだけで終るに違いないし、説明してもどこまでわかってもらえるか疑わしい(答える方もかなり心許ないわけだし)。それもまた楽しくないのだった。

消えたアサブロのアクセスランキング2010年11月14日 00時30分

さっきログインしたら管理画面 TOP のアクセスランキングが表示されない。たまたま負荷がかかって表示しないだけなのが、私のブログがとうとうランキング圏外に押し出されたのかはよくわからない。後者でないことを祈っているが、人生、期待する結果はなかなか得られないものだ。

それで思い出したが、先週、うちの会社の行事があった。この時季の恒例になりつつあるが、その終りも恒例になりつつあるビンゴゲームだ。籤運の悪い私にはつまらないゲームである。毎回つまらないものを貰って帰ることになる。
今年のビンゴは何度数字が出てもなかなかリーチまでいかない。それどころか該当する数字がカードにない、という悲惨な状況だった。残っている景品はあと数点というところまできてやっと揃った。
最初に揃った者からいい景品が貰えるというわけではなく、景品を選択する権利が得られるというだけなので、単に早く揃ったからといって運がいいとは限らない。屑みたいな景品になる可能性だってある。最初は景品の数が多い分、屑を取ってしまう可能性も多いといえる。

この日の私の場合、残っているのは僅か数点。すでにいい景品が持っていかれていればどうしようもないが、他人が何を持って行ったのか知らないので、何が残っているのかわからない。何気なく二つのうちどちらかにしようと思って、最初に決めた方ではなく、別の方を選んでしまった。持ちながら「失敗した」と思ったが、どうせ悪い籤運だ。もう一方も碌でもない可能性だってある。
そう思って開いたら、コピー用紙の束とそれに張り付いた封筒が出てきた。見ると封筒には VISA GIFT CARD の文字が印刷されている。ちょっとはましな景品かもしれないと思って封筒を開けると合計 \10,000 分の商品券が出てきた。ん、噂になっている一番いい景品ではないか。とにかく籤運の悪い人生だったので、これまで一度も一等賞を当てた記憶がない。どうも一等賞と呼んでもいい景品らしいが、俄かには信じられない。

というようなわけで期待しないで、どうしようもない景品しか貰ってこなかった私だが、初めて期待しないで、いい景品を引くことができた。籤運を使い切っていないことだけを祈りたいものである。まあしかし、籤運を使い果たしたからといって後はどうしようもない人生が待っているというわけでもなかろうとも思う。少し前に競輪か何かで数億円当てた人がいるとかいう話題があった。そのとき周囲の人間は税金を持っていかれることを気にしていた。数百円で数億円当てて、税金で半分持っていかれたとしても億単位の金が入ってくるわけで、何の損もしていない。汗水垂らして稼いだ金なら半分持って行かれたら、腹も立てたくなるかもしれないが、偶然当てた賞金、それも億の金が入ってくるのだから、それの税金を話題にしても仕方がないのではないか。他人の金でもあるし、ちょっと私は馬鹿らしくなった。そんな一瞬にして巨額の金を手にすることだけ見れば幸運だが、もう少しスパンを長くして見るとそれが人生を狂わせるきっかけになって不幸な人生になることだってある。

思い出したので嬉しくなってつい書いてしまったが、景品のことではなかった。

アサブロのランキングである。前に検索したときにも母数がわからないというようなことを書いている人がいた。確かにいくつあるブログの何位なのかがさっぱりわからない。こんなだらだらと書き散らした文章を読んでくれる人がいるのかという気もしているが、それでもごくたまにコメントをいただいたりするので、読んでくれている人はいるらしい。
で私のランキングは 500位くらいから 1000位くらいの間を上下している。毎日更新しているわけではないにも拘らず、上昇したりすることもあって、どういうことになっているのか謎である。

見ての通り、上位を狙っているブログでもなければカテゴリの検索で人を呼び寄せようと考えているわけでもない。検索できる筈のないカテゴリで誰が辿り着けるものか。そんなものは最初から抛棄している。

ただまあ、気が付けば内容はともかく、本が一冊出せるくらいの文章量にはなっているような気がする。重複している内容もあるが、継続するというのは恐ろしいものだ。尤も誰も書籍にしてやろうと言う人はいないし(言ってくるとすればそれをネタに金をごっそり持って行こうとする連中だろうが)、あまりそういう気にもならない。本は昔、自費出版したときに満足してしまい、今ではあまり興味がないのだった。

本のことは機会があればまた書くことにしよう。

充実の一箇月2010年10月29日 23時55分

充実とはいうが、実を言うと今週は挫折の週であった。
新しいメールサーバとして前に Exim 4 を導入すると書いた。ところが、いろいろ調べようとしても日本語の資料が殆どないので、何をするにしても英文と格闘する必要があった。二日ほど頑張ってみた。
こんな調子では今週中にメールサーバを稼動させるという見通しはかな暗くなってきた。やむなく急遽 Postfix で動かすことにした。

導入は早かった。それは Exim でも同じだが、そこからは日本語の情報が大量にある Postfix は早かった。ただ、ldap だの smtps だのということになると情報がやや減ってくる。以前から参考にしている 「入門 LDAP/OpenLDAP」も役には立つのだが、細かいところで情報が不足していたり、ディストリビューションやらバージョンが違うことが原因なのだろうが、設定が違っていたりしてうまく動かない。
尤も TLS/SSL を動かそうとするとサーバの証明書から秘密鍵が必要になるが、作成した鍵やらなんかがいろいろあって、ファイルの指定を間違えたりして smtps で動作しないというような事態になったりもした。
さらには pop3/imap サーバでもある Dovecot の設定もしなければならない。これがまたどこかで躓いて動かない。

というようなことを昨日までああでもない、こうでもないとやっていた。
週末は用事があるので今日一日しかないという状況で今日の仕事を始める。
昨日までは焦って混乱しながらやっていた。そんなことでは駄目だと思い、落ち着いて調査することにした。問題を一つづつ片付けるようにしたら少しづつ光が見えてきた。smtpd で認証できないのは sasl のサーバがインストールされていないという間抜けな原因もあった。そんなことに触れている資料は手持ちのものにはなかったし、ウェブで調べたものにもなかった。
何とか 25, 465, 587 ポートで Postfix が動作するようになったので、次は Dovecot の設定の見直しに取りかかる。
netstat コマンドでポートをリッスンしているサーバを調べてみると、imap で imapd が待ち受けている。pop3 はDovecot なのでおかしいと思ったら Dovecot ではない imap サーバが動いていた。
見ると Dovecot は pop3 用のモジュールしかインストールされていなかった。imapd を削除し、Dovecot の imap モジュールをインストールし、鍵の設定やら ldap の設定を行う。漸くメールサーバらしい動きをし始めたのは夕方だった。
そこから squirrelmail の設定を行い、メールボックスにアクセスできるところまで確認して本日の仕事は終り。

Exim については口惜しいが、何とか今月の目標が達成できた。十年来の懸案だったサーバの DMZ への配置と、ルーティングポリシの変更ができたのは個人的に嬉しい。これまでに較べて会社のネットワーク環境のセキュリティが格段に向上したのではないかと思う。

久しぶりに充実した一箇月だったが、慌しい一箇月でもあった。会社としてはそれで直接売上があるわけではないので、持ち出しである。そこは辛いところだ。

ただ、まだいくつかやらなければならないことは残っている。
当面しなければならないのはスパム対策と転送処理に関する問題だ。新しいメールサーバのログを見るとすでにこのサーバを利用してリレーを試みている連中がいるらしい。Postfix はすべて拒絶してくれていて頼もしい限りである。というか運用中の qmail ではそれがログから読み取れないのだった。メッセージがそのままログに残るので明らかに無駄にログを消費していて欲しい情報が探せないのだ。そんなことだから一日分のログすら残らない状態である。これでは増大するスパムに対応できない。片手間管理者はあれこれ調査している時間もないし、同じ環境を構築して、あれこれ変更してログの出力を調整する物理的余裕もないのだ(おそらくソースを変更する必要があるだろう)。
さらには samba の導入が待っている。NT サーバからドメインが引き継げないようであれば、最悪は一から samba を立ち上げることも考えなければならないかもしれない。現在稼動中のファイルサーバがそちらでも同様に稼動して各ユーザにディスクスペースを提供してくれるのであればそれでもいいかもしれない。
あと半月ほどあればそれらもできるように思うが、生憎来週からは派遣先で業務を開始する。スパム対策は時間を見つけて進めるつもりにしているが、samba はある程度じっくりやらないと無理のような気がする。

ネットーワーク管理に終りはないのである。