続く会社2011年09月01日 23時00分

たまに「新」の付いている名前の会社がある。新日鐵などだ。
映画でも「新」の付くシリーズものがあったりする。
映画の場合「パート 2」「パート 3」などというものもあって、こちらは社名では聞いたことはないが、スナックなどその手の店で見かけることがある。
映画ではその他、単に「2」「3」など数字で続編を表すものがあるが、会社ではこういうのは聞いたことがない。

ところで「新」の付く社名はどういういきさつがあるのだろう。前の会社と何らかの関連があるのだろう。なければそんな名前を付ける理由が思いつかない。それでも組織を更新するのであれば心機一転ではないが別の社名というのがいいように思う。そこまで旧社名に拘る理由というのがよくわからないのだった。

「新」で思いつくのが映画でよくある「続」だが、こちらも聞いたことがない。

機械翻訳のディレマ (dilemma)2011年09月10日 20時15分

ちょっと前に機械翻訳の話を書いた。

機械翻訳というのは存在そのものが矛盾したシステムである。普通、機械翻訳は対象言語に通じていない人が対象言語の文章を母国語に翻訳してみたり、母国語の文章を対象言語に翻訳してそれを利用するためにあるものだと考えがちである。機械翻訳を開発している人らの目指しているところもそこにあるだろう。ところが、対象言語に通じていない人が使うには現状、適当ではない。

対象言語の文章を母国語に翻訳(英語→日本語など)して原語の意味を理解するという場合にはまあ誰でも使えるかもしれない。しかし、母国語の文章を翻訳してそれを使用するという場合には、対象言語を理解していないと前回書いたような意味不明な状況になり、それを対象言語を母国語(でなくてもいいが)とする人に示したところで何が言いたいのかわからない場合が多いからだ。
そりゃ「こんにちは」とか「あの人はミュージシャンです」程度なら使えるだろうが、その程度なら自分でちょっと悩んで翻訳しても翻訳できるだろう。機械翻訳を使うまでもないことだ。

機械翻訳に頼りたい人の大半は自分で手に負えないから機械翻訳に頼るのだ、というレベルの文章を機械翻訳にかけて使いたいのだろうが、そういうレベルになると機械翻訳の出力は信用できなくなってくる。大体、翻訳した内容が正しいかどうかがチェックできないわけだから、それが正しく通じるかどうかを判断する術を持っていない。
話は細かくなるが、先日Google 翻訳である英文を日本語に翻訳してみた。「not」が翻訳されておらず、逆の意味になっていた。そんな間抜けなことがあるかと思ってみたが、not が翻訳されている気配がない。試しに別のサイトで翻訳してみたらきちんと not が翻訳されていたのでやはり not が抜けていた。対象言語に多少なりとも通じていれば、その程度のチェックはできるが、殆ど何も知らない言語に翻訳して、そういう翻訳ミスが拾えるかというと甚だ心許ない。極端な話 not を使わずに否定できる場合もあるので、機械翻訳の気が利いていればそういうことをするかもしれない。

いい例が iTunes の App Store のアプリの説明文である。日本語を知らない作者が機械翻訳して載せている説明文の意味不明さを見れば一目瞭然だ。ああいう残念な結果になる。

これは原語に翻訳が引き摺られることも大きい。特に機械翻訳は「機械翻訳」というだけあって、入力言語を機械的に翻訳するシステムだ。翻訳した言語で自然な表現になるようには処理してくれないし、そういう気の利いたことができるほど言語を理解しているわけではない。

対象言語の文章の意味を知りたいという場合には使えなくもないが、対象言語がわからない人が気軽に対象言語に翻訳するという使い方はできない道具なのである。恥を曝したくなければ母国語を対象言語に翻訳してノーチェックで他人に見せるという使い方をしてはいけない。

ペダルの交換2011年09月11日 08時30分

クロスバイクから異音がするのだった。

いつから鳴っていたのかわからないが、かなり前から鳴っていたような気がする。これが最近大きさと頻度が大きくなってきて、漕いでいると気になって仕方がない。トラブルではよくあることだが降りてペダルを回しても異音がするわけではない。

先週の週末に一度自転車屋に持っていって見てもらったが、そのときは症状が出ないのでそのまま持ち帰ってきた。ところが乗れば音が鳴る。

クランクを回すとカチッというような音が鳴る。
この一週間で頻度は上がる一方なので、今回は症状が出ることを期待して自転車屋に向う。カチカチ煩い。

店主に乗ってもらったら、今回は出た。流石は店主である。症状が出れば、原因が忽ちわかる。ペダルらしい。ベアリングまたはベアリング周りに問題があるらしい。分解してグリスアップするが、うまくいかない。ただで適当なものに交換してもいいという話だったが、結局半額にするということでシクロクロスに付けてあるのと同じペダルに交換してもらった。

これまで使っていたペダルはクロスバイクに最初から附属していた安物だ。できれば交換したいと思ってはいたが、お金がないので交換できないままでいた。踏面が小さいというのが一番気に入らなかった。ビンディングペダルなら面積は関係ないが、私はビンディングペダルを使用しないので、面積は重要だ。面積が小さいので内側に足を乗せようとするため、爪先がクランクに触れることもあった。

交換して乗ると、やはりいい。踏面が広いので踏み込んだときの力がすべてクランクに伝わっているような安定感がある。

クロスバイクの部品で残るはブレーキとチェーンの交換だ。ブレーキレバーは購入時に交換してあるが、ブレーキそのものはもともとあった安物だ。チェーンは錆が浮いて困っている。割合頻繁に注油しているが、それでも錆が次つぎと浮いて至るところが茶色になって見苦しい。

まだまだ自転車の出費は続くのであった。

よくわからない一日2011年09月14日 23時23分

最近は水筒を持って行っているので、朝出勤途中に自動販売機に立ち寄ることはない。ところがどういうわけかこの日は缶コーヒーが飲みたくなったので、職場まで 3 km 程度のところにある自動販売機が並んだところに寄ってみた。早く冷たい缶コーヒーが飲みたいので、何も考えずに 100円投入してボタンを押した。
例によって商品取出口にごろっと缶が転がり落ちてくる。缶に触れて驚いた。ホットだった。この時季ホットが入っていることなど想像していなかったので、がっくりきた。一瞬にして一日のやる気がなくなった気分だった。
捨てるのは勿体ないので持ち帰ることにし、別に冷たいのを買うことにした。とりあえず咽喉は潤せたが、かなり情けない気分になった。

とりあえず職場に着き、トイレに向っているときにふと眼に入ったのが以前紛失したサイクルグローブだった。これがないとハンドルを握っているうちに汗でべとべとになって気持ちが悪いので、仕方なく同じものをもう一組購入した。紛失した当初、どこかに置かれていないか気にしながら歩いていたが、そういう気配もなかった。

幾分涼しくなったとはいえ、最近はまた暑さが戻ってきていたのでもう一組グローブが欲しいと思っていたくらいだったが、まさか戻ってくるとは思っていなかったので、嬉しかった。缶コーヒーの件とでちゃらになった気分だ。

最後は自転車用に購入したライトだ。
いつものように帰宅後、充電池を交換してキャップ兼スイッチを回していたら、途中でひっかかった。おかしいなと思いながら無理矢理回したらどうやら螺子の溝を駄目にしたらしい。何度かやりなおしてみたが、点燈しなくなってしまった。高価だったのにと思うが後悔先に立たず。
あの明るさは一度使い始めるとやめられないので、近いうちにまた明るいライトを購入しているような気がする。

よかったのか悪かったのかよくわからない一日だった。

「を」の発音2011年09月19日 21時50分

世間には「を」を「お」と発音しない人らがいる。もちろん彼らは日本人だ。

そのことに気が付いたのは 5年ほど前のことだった。仕事の打合せである人の話しているのを聞いていると「を」を「wo」と発音していた。場合によってははっきり「うぉ」というように発音していた。

そのとき、昔はそういう発音をしていたというようなことを聞いたのを思い出した。今でもそういう発音がいる人がいることをそのとき知ったのだった。それから気にするでもなく他人の喋るのを聞いているとたまに「wo」と発音する人に出会う。

しかし私の年代でもそんなことを学校で習った人がいるようには思えない。とはいえ私のその知識がどこからきたかということを考えると学校で習ったのかもしれない。それでも単に昔はそうだったというようなことを聞いただけではなかったかと思う。私自身は普段「wo」と発音することはない。まあそう教師が言っていたとしても、素直に従っていたとは思えないが。

そういう意味では「ゐ」や「ゑ」は今では使わない文字になってしまったが、古文などで習う。しかし発音までは習わない。これらも昔は「い」「え」ではなく「wi」「we」と発音していたのだろう。

「ゐ」や「ゑ」はともかく、「を」の人らである。

彼らは一体どこでそういう発音を常用するようになったのだろうか。家の人がそういう発音を仮にしていたとしても、世間一般はそんな発音をしていない。方言のように周囲がみんなそういう発音だったら自然にそういう発音をするのだろうが、そんな地方はあるのだろうか。

さらにわざわざ「wo」と手間のかかる発音をしなくても通じるわけだから、敢えてそう発音する理由もないような気がする。「関西学院」を「かんせいがくいん」と呼んでも「くゎんせいがくいん」と発音する人らに出会ったことはない。余談だが関西学院のローマ字表記は "Kwansei Gakuin" であって、そういう発音であったことを物語っている。

そういえば「じ」と「ぢ」も昔は発音が違っていたのではないかという説もあるらしい。

日本語の発音も以前は今より豊穣なのだった。

時代とともに面倒な発音は安易な発音に集約され、使用される文字も(中途半端に)集約されるものだから、日本語の学習が容易になったのか、例外が増えて面倒になった部分が多くなったのかわからない時代になった。

ともかく次に「wo」の人に出会ったときには「wo」と発音するようになった経緯を聞いてみたいと思っているが、なかなかそういう人に出会わないのであった。