年賀状とひとこと2007年12月03日 20時25分

印刷年賀状が人気だ。というか人気とか流行ではなく、すっかり「年賀状は印刷するもの」になってしまっている。メールの年賀状だとますます手間がかからないのでアドレスを選ぶ以外は全自動ということになっているかもしれない。今では手書きの年賀状というだけでカッコいい。

他人のことは言えない。私だって毎年パソコンで制作した年賀状を印刷して出している。どこから届く年賀状もどれもこれも似たり寄ったりだ。作り方には「オリジナル」という文字が躍っているが、どうみても大同小異、没個性な年賀状ばかり流通している。

文面も宛名も印刷で送られてくる年賀状が多い。手書きのひとことでもあればまだしも、印刷だけというものも増える一方だ。それではダイレクトメールと何も違わず、もらって嬉しいとは思えない。数百通も出す人からすればいちいち手書きなんかしていられないという事情もわからないではないが。枚数の知れている私の場合、そんなわけで宛名だけは今でも手書きに拘っている。

年賀状は年始の挨拶に行けないから年賀状で済ませるというところから始まったらしい。だとすれば年賀状を出すだけですでに「手抜き」しているわけだ。さらに文面を手抜きし、宛名を手抜きしていれば手を抜いていないところがなくなってしまう。

私の場合、宛名を手書きにする理由はそんなところだ。本当であれば出す枚数も少いのであるからすべてにひとこと何か入れるべきなのだろう。しかし、これがなかなか難しい。親しい相手であれば何なりと書くことはあるが、そうでない人には何を書いていいのかすらわからない。平凡なメッセージでもいいのかもしれないが、平凡が気に入らない人もいるかもしれない。私の場合、印刷した段階で(自慢ではなく)すでに平凡ではないのだが、書いたひとことが平凡だとそのアンバランスさがおかしなことになるという不安もある。

そんなわけだから無意識のうちに何か書く余白をなくすデザインをしてきたのかもしれない。ゆるいデザインの年賀状をもらって自分のがガチガチなのにうんざりして、ゆるいデザインにすることがある。それでも、空白部分がデザインに組み入れられてしまっているので文字を置く余白が見当らない。結局隅の方にちょろっと書き逃げする程度のメッセージしか入れないことになってしまう。
今回も「ゆるいデザイン」を志向してみた。珍しく余白がタイトではない。少し時間的に余裕もあるのでひとこと入れてみている。随分ひとことが書ける年賀状を制作してこなかったこともあって馴れておらずこれがまた大変だ。つい気を抜くと無闇に長くなってしまうし、短くしようとすると書くことがない。

結局、年賀状は慌てて制作しているようでは駄目だということなのかもしれない。

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