避難に対する意識と姿勢2007年04月08日 10時42分

ITmedia の「逃げ遅れる人々 ~実はパニックは起こりにくい?」というコラム(http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0703/09/news027.html)を読んで思い出した。ここに書いてあるように一般的に日本では避難勧告が出てもあまり避難しないらしい。

個人的には火災報知器でこれを経験している。会社などで火災報知器が鳴っても知らん顔して仕事している人ばかりであることは大抵の人がそう感じているだろうし、そう感じているあなたもその場でじっとしている筈だ。私だってそうだった。
ところが合衆国に出張に行っていたある日、その建物で火災報知器が鳴り響いた。すると周囲の人はとにかく外に出る。逃げるというよりは外に出るという感じで、切迫した様子はないが、取り敢えず建物から出ようと行動する。暫く外で雑談などしているとそのうち誰かが「今のは誤報だ」というようなことを大声で叫ぶので、またみんながぞろぞろと戻って行く。そういうことを二度経験した。

どうやら日本人とアメリカ人はそういうところの意識が基本的に違っているのだろう。日本人が火災報知器が鳴って思うのは「またか」ではないか。また誤報していると考えてしまうようだ。なぜそう思うかというとどうも本当に火事が発生すれば人が火災報知器と同時期に叫んで回るという意識があるような気がする。他人のことはわからないが、私はそんな考えをぼんやり抱いている。根底には機械は信用できないという意識が働いているのかもしれないし、普段経験する火災報知器の発報がすべて誤報だったことがその意識の正当性を後押ししている。というようなわけで日本人は火災報知器をそもそも信用していないのではないかと考えている。
ところが彼の地の人びとがどういう意識でいるのかは知らないが、とりあえず避難してみるという教育がなされているのだろうか。機械の誤報はあってもそれは機械だから当り前、それよりも本当に火災が発生したときに逃げ遅れるよりはまし、という意識でいるのであれば彼らのほうが生き延びられる可能性が高くなるし、そう教育しているのであれば日本よりは「実用的な」教育がなされていることになる。

これは機械の信頼性に対する考え方の違いにも依存している問題であるような気もしてきたが、避難勧告の件を見れば明らかに日本人の安全に対する意識の低さに起因している問題である。
ただ、地震は確かに頻繁に発生するし、私自身も神戸の大地震を奈良で経験したから地震が恐ろしいものだということはわかっているが、近年日本で津波による大災害というのを経験した人がいないということも「津波では大したことにはならない」という意識を日本人に植え付けているような気がしないでもない。スマトラ沖地震の津波が凄かったのは知っているし tsunami が国際語になっていることを知っていても津波そのものの危険性が対岸の火事でしかないのが今の日本人なのだろう。

だからといって避難勧告が出ても避難しないのはやはり安全に対する意識が日本人は低いのだろう。地震にしても喉元過ぎれば熱さ忘れるではないが防災意識もすっかりどこかに行ってしまっているし、いくら学校でそういう教育をしていたとしても周囲の大人が「そんなもん心配することない」と言っているようでは子供の意識も向上しない。もしかすると日本人は「何やっても死ぬときゃ死ぬ」という意識が支配している人たちなのだろうか。その割には行政の責任にする人が増えているようだが。

Second Life はあの世みたいなものか2007年04月12日 00時12分

Second Life が評判らしい。
私はゲームというものを殆どしない。だからアクションゲームを起動したゲーム機のパッドを渡されても何をすればいいのかわからない。そこであらぬ方向へキャラクターを移動させようとするが、これがどこまでも行ってくれないし、できることもごく限られている。それで余計「つまらん」と思ってしまったりしていたが、Second Life はゲームではないにしても CG 画面を徘徊していろんなことができるというのだから、私がアクションゲームでしようとしていたことができるようになったわけだ。
ところがそれを聞いてもやってみようという気にはなれないのだ。「そういうこともできるようになったか」程度の感慨しか沸かず、自分でしようとは思わない。中にはそっちの世界に嵌って一日10時間も消費してしまう人がいるらしいが、そこまで嵌る理由というのがわからないのだ。やってみれば嵌るものというものがあることは知っているので、もしかするとやってみれば病みつきになる可能性だってある。ただ、そこに至る前にやる気がまったく起らない。だんだん老人になってきて、新しいものに興味が持てないという考え方もある。それはそうかもしれない。
私にはつまらないものかもしれないが、ハンディキャップを持った人が Second Life で快適な生活ができるとか、それによって実生活が豊かになれるというのであればそれはそれでいいことなのかもしれない。こっちの世界で生活に困っている人があっちで大儲けするという可能性もないとはいえない。逆にあっちの借金でこっち側の首が回らなくなるというようなこともあるかもしれない。

Second Life でできることは一部省略されてはいるものの、現実世界と大して違いはなさそうである。トイレに行けたり盗難だの犯罪だのもあるのかどうかは知らないが、大企業が店を出したり広告塔を建てたりしているとなるとますます単なるこっちの世界のオンライン版だ。あっちの儲けが現金に換金できるというので、あっちの儲けに課税するかどうかという話まで出てきているらしいが、そうなると犯罪組織が暗躍するのも目前かもしれない。すでに暗躍していても不思議ではない。
そのうち Second Life 内の自分が死亡するというようなことも起きたりするのだろうか。車が走るのであれば交通事故が起きたりもするだろう。あるいはこっちでは考えられないようなことができるようになって急に面白くなるというようなことがあるかもしれない。あっちでも大量のスパムにうんざりしたり酷い上司に愚痴を言わなければならなくなったら悪夢である。

それにしても、あっちで自分が死ぬのと、あっちの自分がダイエットに励んだりしなければならなくなるのとではどちらが世も末だろうか。

マウスピースと 60 kg 台2007年04月14日 01時05分

一週間前から寝るときにマウスピースをつけている。歯軋り対策だ。実は去年から前歯の一本の一部がぐらぐらしだした。まずいことになっているのはわかっているが、痛くないのと面倒なのとで歯医者に行かなかった。「歯は放置してもよくなることはない」とはよく言われることだが、痛くないというのは行かない口実にもってこいだ。今年に入ってから忙しいのも手伝って行かないでいた。ところがたまにアイスクリームなどを食べたときに激痛が走るのでこれを何とかしなければということで一箇月ほど前に近くの歯科医に行って診てもらうことにした。最初は上記の前歯を治療して、虫歯は見たところ一本軽いのがあるくらいだから様子を見ようということになった。ぐらぐらしていた歯はその日のうちにぐらついていた部分が取り除かれ、詰められた。次に行ったときに治療した部分がぐらぐらしているというのでまた詰めなおしたが、医者の言うのには凄い歯軋りをしているらしい。確かに歯軋りをしているらしいことは知っているし、かなり以前にボクサー用のマウスピースで代用できるということを知ったので、それを嵌めていたことがある。そのうちしなくなり、気が付いたら黴が生えていたので捨ててしまった。だから医者が歯軋りを持ち出したときに「マウスピースとかですか」と言ったら、「その方がええやろね」と返され、マウスピースを作ることになった。先週末にでき上がってきたので、それから毎日つけて寝ている。型を取って作っただけあってぴったりしてちょっとのことでは外れないが、異物が口の中にあるので最初はよく目が醒めていた。ところが数日前から気にならなくなり、逆によく眠れるようになった。嫁の言うのには歯軋りばかりか鼾もかかなくなったという。あまりに静かなので死んでいるのかと思ったらしい。
酷い歯軋りは歯に罅が入ったり、最悪の場合は割れたりもするらしい。医者は冷たいもので激痛が走るのは知覚過敏で、それは歯軋りが原因だろうという。私の場合も歯を支える骨がぽこぽこと出ているらしいが、これも酷い歯軋りによるものらしい。
歯磨きにはガムデンタルリンスを使用している。これを使うようになってから朝のねばねばから開放されて喜んでいたが、マウスピースをしてからは上の歯とマウスピースの間が少しねばねばすることだ。寝る前にスポーツドリンクを飲んだりするからよくないのかと思い、水に替えてから少しましになったような気がする。

今週のもう一つのトピックスは体重問題だ。いよいよ 60 kg 台に戻ってきた。去年の暮から何度か 69.9 kg を記録してきたが、いつもすぐに 70 kg 台に戻るという状態が続いていた。それでも漸く 71 kg を超えることが少くなり、70 kg 台で安定するようになった。ところがこの一、二週間でするすると体重が減り、今週は 69.x kg を記録するようになった。はっきりしたことは憶えていないが以前 60 kg 台だったのは 1980 年代ではないかと思う。およそ 20 年。常時 70 kg を切るのが第二目標だが、これは今年前半に達成できそうな勢いである。そこを超えると次は最終目標の標準体重だ。最終目標を達成したら腹いっぱい食べるぞとかいう褒美はとりあえず、ない。食べたいときには食べているし、目標達成してからリバウンドが始まるようではダイエットをした意味がない。自転車に乗って少し食事に気を遣えば時間はかかるが、ダイエットはそんなに大変なことではないということだ。ただ、食べる量は少し増やすかもしれないが、標準体重は維持するつもりである。第二目標と最終目標の差はそれほどないので、早ければ年内に達成できるかもしれない。