年末と年賀状2006年11月03日 22時50分

まだ年末というには早いが郵便局で年賀状が発売されている。この時季気の早いところは正月ではなくクリスマスで年末気分を煽る。私はクリスマスが大嫌いで、それは商店街だのショッピングモールだのでクリスマス音楽をかけまくるからだ。ところが車通勤、今では自転車通勤するようになり、そういうところに行く機会がめっきり減ったお蔭でクリスマス音楽を聞く機会が少くなって気分は穏やかである。
クリスマスのことはどうでもいい。

馬鹿な年賀状を制作するようになって随分になる。いつだったかイソジンガーグルの説明書に付いていた楽しそうに嗽しているおじさんのイラストに「うがいは、身なりをととのえてから。」というコピーを付けた年賀状を作ったことがあるが、このときはうちの会社の先代の社長に年明け早早「お前、何か変な宗教に入ってへんか」というわけのわからない説教をされたことがある。

風変りな年賀状を制作するようになったのは親父のところに来ていた一枚の年賀状がきっかけだった。その年賀状は風変りではなくお洒落だった。あけましておめでとうございます。という年頭の挨拶に干支に絡めたちょっと粋なイラストがあしらってあるというものだった。広告業界とかデザイン関係の人ならそういう年賀状は当り前かもしれないが、うちはそんな業界とは無縁だったので強烈な印象として残った。絵が下手だった上に小さい文字しか書けないので子供の頃から年賀状には苦労していたが、この年賀状には目から鱗だった。ちょうどその頃デザインに興味を持って多少齧っていたので「この手があったか」ということだったのだろう。それからしばらくはプリントゴッコと写植で広告の真似をしたような年賀状を作っていたが、そのうち面白い年賀状を作るようになった。

それからライフワークのようになってしまい、一時は年中年賀状のアイデアを探していたことがある。早いときは二月に翌年の年賀状を作ってしまったりした。最近は気分も下火になったが、できれば面白い年賀状を作りたいとは思っているので秋口になると年賀状のことが気になりだす。最近は写真頼みだったりするのでいい写真があればできあがるのは早いが、いい写真がないときは駄目なので年末ぎりぎりまで何もできないこともある。バンコクから水上マーケットに行ったときに撮った写真に写っていたボートの内側になぜかトヨタのロゴマークの焼印が入っており、それに「浮かぶトヨタ、新発売。」というコピーを付けたこともあった。今年は北京で撮った写真に少し面白いものが一枚あったのでこれにコピーを付けて制作した。

こうして私の一年は暮れていくのだった。

近眼と老眼と愛眼2006年11月18日 23時56分

近頃老眼なのである。二十年以上近眼をやってきて近眼には馴れているが老眼は初めてなのでどうしていいかわからない。今年に入ってから顕著になってきた。以前から近眼でも、近眼のまま老眼になる、という話は聞いていたので「これがそうか」と思うものの、難儀なものは難儀だ。これまで一番困っていたのは爪切りだったが、最近ハードウェアの仕事もさせられることになり、これが辛い。電子回路はただでさえ基板に細かい部品が載っているのに、最近はますます部品が小型化している。おまけに配線も微小になってきているので IC 周辺は判別できない。

これまで随分長い間、一日コンピュータのモニタを見ながら仕事するというスタイルで特別眼の疲れを感じたことはそれほどなかったが、回路をチェックしなければならない日は夕方には眼が疲れ果てている。すでに老眼の人が何人かいて、虫眼鏡を取り合いしているということらしいが、もう少しましな虫眼鏡がないものかと言いたくなるくらいまともなものがない。

少し前までは体力が落ちたとか太ったとかいうことで年齢を感じることはあった。体力は自転車に乗るようになって年齢相応程度までは若返っているし、体重もピークからは 5 kg ほど落ちているのでどちらかというとアンチエイジングに成功している口だと思っていた。だから老化には比較的平然としたものだったが、老眼は努力とか訓練で何とかなるものではない。そういう年齢だとは知っていても少しショックではある。

貴重なうんこと役立たずの眼鏡2006年11月24日 22時55分

検便をすることになった。以前検便をしたのは家の便所が汲取り式のときだったので数十年前のことだ。その後水洗便所が普及し、検便する機会はなかったものの水洗便所ではどうやって検便すればいいのだろうと考えたことがある。
汲取り式の便所の頃はどこかに新聞を敷き、そこに用を足して必要な分だけ容器にとって残りは便所に捨てるという方法だった。そんなことを水洗便所ですれば詰まるどころか流れてくれない。まだ和式の水洗便所であれば便が水没する可能性が低いので通常通りに用を足して採取すればいいが、洋式だと水没してしまう可能性が高い。
で、容器を見ると説明書が附属していた。便器の手前側にトイレットペーパーを敷き、いつもと反対側(カバーの開く方)を向いて用を足し、楊枝状の器具で引っ掻くようにして採取すればいいとある。
やってみた。駄目だった。何が駄目だといって跨ろうとしたら膝が便器の後にある台に当って坐れない。尻が便器から食み出してしまう。仕方がないので手前にトイレットペーパーを敷いて尻を手前に移動してやったらそこには落下せず、水没してしまった。
その日は水面附近を引っ掻いて採取した。
今回の検便は二日分要求されていたのだった。これが困った。ヨーグルトを 500 ml の半分を食べるようになってから殆ど便秘しないのだが、二日目の朝は検査かるから絶食しなければならずヨーグルトが食べられず、そういうときに限って出ない。出かける時間が迫ってくるので、無理矢理便所に行って気張ってみたら小さいのが出た。やれやれと思って便器を覗き込んでみると、一番底に沈んでいる。比重が軽ければ浮くのだが、浮いた便から採取するのも容易ではないが、底に沈んだ便にはまったく届かない。そこに見えているのに届かないもどかしさ。便器を覗きながら歯噛みするやつもそうそういないだろうが、水洗便所になるとこういう悲劇があるのだった。結局便は翌日採取して提出した。

で、検査に出かけていろいろ検査をした。その中に視力検査もあった。いつもやる壁の視力検査表ではなくその検査では顕微鏡のようなものを覗き込んで E の字の向きを言えというものだった。最初裸眼を測定し、続いて眼鏡をかけて測定するが眼鏡をかけると見えない。いつもなら当然眼鏡をかけるとよく見えるのに、今日はそうではない。検査している姐さんも訝っている。どうやら目玉と対象の距離が近すぎるらしい。所謂老眼症状ではないか。眼鏡が視力を低下させるということもあるわけだ。
ということは壁の視力検査では当然ながら老眼検査はできないということだ。話は違うが車に乗るときは近くの視力は大抵どうでもいい。どちらかというと動体視力と遠くの視力が問われることになる。この場合動体視力はまあいいが、壁の視力検査では近くの視力を検査しないという意味で理にかなっている。ところが大阪の門真運転免許試験場ではその病院ほどではなかったような気がするが顕微鏡式を使っていたような気がする。これでは遠くの視力を測定できないのではないだろうか。

いずれにしても病院もそんなところで人に恥をかかせるようなことはしないで貰いたいものだ。