正月と渡し舟2008年01月04日 22時30分

恭賀新禧。本年もよろしくお願いします。

正月は暇である。昔の大人はどうやって正月の暇を潰していたのだろうかと思わずにはいられない。「今なら TV だろう」と言いたい人もいるかもしれない。個人的には TV ほどくだらないものはないと思っている。特に正月はそうだ。今なら買い物に出かけるとかどこかに遊びに行くという選択肢もあるだろう。遊びに行くというのは昔でもできないことはないが、今よりは家や実家で過ごすことが多かったように思う。出かけたとしても近所に初詣であるとか子供相手に広場で遊ぶということくらいではなかったか。
うちの場合子供の頃に麻雀をやっていた時期がある。親父が家族を唆して麻雀をするのだ。家族相手だと朝から晩までというわけにはいかないので、麻雀以外は TV やアナログなゲームなどで時間を潰していたような気がする。子供であるわれわれは少しだけ外で遊んだりしてもいた。

今は店はどうかすると元日から開いているし、遊びに行くところだっていっぱいある。広場で遊んでいる子供などいないから、それに付き合っている大人もいないだろう。正月も普段と同じように遊べるという意味では便利なのかもしれないが、逆に言えば正月が正月ではなくなっている。大袈裟に言えば金儲け主義が文化を破壊している。共産主義は終っているが、資本主義というのも行き過ぎると考えものではないかと思うことが最近多い。

慌しい十二月をやり過して静かな正月を新しい気持ちで迎えるというのが正しい過し方ではないかと思っている。騒騒しいことが基本的に嫌いであることは認めるが、それを割り引いても正月は静かでなければならないと思う。そう考えると正月の都心部というのはまことに正月だ。買い物に行くところや娯楽施設のあるところではなく、オフィス街などがいい。車も殆ど走らず人通りも少い。

静かなのは結構だが、冒頭でも書いたように正月は暇だ。一日何もせずにぼーっとするというのも今となっては貴重な時間かもしれない。昔であれば二日は書初めである。わが家ではあまり書初めをした記憶がない。書道が苦手ということもあるかもしれないし、つまらないということもあるだろう。書初めで書くことと言えば新年の抱負と相場が決っている。しかし以前にも書いた通り、新年を迎えたからという理由で抱負を宣言することはしない主義だから、書くことは特にない。普通に熟語を書き散らかす程度のことしかできないに違いない。

そんな折、元日に初詣に出かけた行き帰りにロードレーサーに乗って走っている人を見かけた。一応自転車乗りであるから正月に自転車ということは考えなくもないし漠然と正月に自転車でどこかに行くことは考えてもいた。ただあまり具体的なことは考えていなかったので、それをきっかけに行先を考えることになった。
結局あれこれ考えて何度か行ったことのある大阪の渡し舟に乗りに行くことにした。理由は二つ。距離が適当であること。工業地帯なので人もあまりおらずいい感じのような気がすること。

千本松の渡しはこれまでに何度も乗っている。それ以外に同じコースを一部参考にしていくつか乗ったが、大正の渡し舟を全部制覇するのは今回が初めてである。行って驚いたのは元日が全面運休だったということだ。よくまあ元日に行かなかったものだと思う。ただし、木津川渡船だけは 3日まで運休ということで残念ながらこれだけには乗れなかった。ここは仕方がないので橋で川を越えた。
そもそもどうして大正周辺に渡し舟があるかというとこの辺の川は船が往来するため低い橋を架けることができない。車ならエンジンの力で高い橋でも気にせず渡れるが徒歩や自転車などの人力移動には辛いし、橋の上は風も強い。ということで渡し舟がある。昔は橋もなかったので渡し舟しか渡る手段がなかったのだろうが、今の存在意義としてはそういうことになる。
渡し舟の目的がそんなわけだから舟に乗るのは地域の住民や通勤利用の人が大半だ。正月なので通勤利用という人は殆どいないだろうから近所に出かける足として使用している人ばかりだ。私のように他所から来て写真を撮っている人もいたが、それでもそれは例外である。乗せてもらった人は大抵「ありがとう」と乗務員に声をかけていたし、乗務員も挨拶する人が多くて気持ちよかった。

渡し舟に乗るのは長くて二分程度だろう。料金を取られることはないので、いくら乗っても財布に負担はないが、普段利用している人にしてみればなんでわざわざこんなものに乗りに来るのか理解に苦しむかもしれない。実際のところは舟の旅そのものを楽しむというより、周囲の町の雰囲気を楽しむべきだろう。映画「ブラック・レイン」のロケ地周辺でもある。