それは本当に説明になっているか ― 2010年09月02日 22時55分
「今年の夏は猛暑」らしい。確かに暑いし、この 100年ほどでは経験したことのないくらい暑いとニュースになっている。
しかし、体温ほどもある夏は少なくとも大阪ではここ数年当り前になっていると個人的には感じている。別にそんな夏を希望しているわけではないが、そう考えないとやっていられない状況はこの10年で一般化している。それが今年は若干暑さが続きすぎているという程度の問題であるというのが個人的な認識である。
こんな暑い夏の原因は勢力の強い太平洋高気圧が張り出しているからだ、と気象予報士などは言っている。
本当にそれで説明になっているのだろうか。
以前、香港の友人が夏に大阪に遊びに来たことがある。彼女らは言うのだった。
「香港より暑いよ」
最近の香港の最高気温は33度くらいである。これは10年以上前の大阪における「普通」の最高気温とほぼ同じだ。つまり香港よりも緯度の高いところの方が気温が高いわけである。日本がそんな具合なら、香港はもっと暑くてしかるべきなのではないか。それが「勢力の強い太平洋高気圧」だけで片付けられていいのだろうか。去年も大阪は今年ほどではないにしても暑いのだった。
さらにこれまでなら近畿圏では大阪だけが突出して暑かったのに、最近はそれと同等以上の気温が各地で記録されていることである。単純に香港とだけ比較していい問題ではないかもしれないが、太平洋高気圧の強さだけで片付けられるとは思えない。
異常気象ということばを遣うこともできるのかもしれないが、そういう安易な説明で納得したいとは思わない。シンガポールの気温が10度で大阪が45度という状況が恒常的であれば異常気象という説明でも納得してもいいかもしれないが、それはそれで、そういう状況に変化しただけであって、それもまた異常気象とは言えないのかもしれない。それを言い出すと話は発散する一方だが、そこまで異常とは言えない状況で、「異常気象」は単なる表現のインフレーションあるいは思考の停止である。
私としてはもう少し納得できる説明に期待したい。
これに加えてこの時季繰り返されるのが「この暑さはいつまで続くのか」という無駄な質問である。
私がアルゼンチンに遊びに行った99年、大阪では夏が 9月いっぱいまで続くようになっていた。日本とアルゼンチンは地球の裏側という関係にある。従って何もかも反対である。こちらが夏であればあちらは冬だし、こちらが正午であればあちらは深夜である。
そんな具合だから 8月末頃出発し、 9月中旬に帰ってくる予定だった私は、大阪が涼しくなっていることを出発前から期待していた。寒いところから高温多湿の環境に戻るのは厭だし。
ところがどうだ。飛行機から出てきたときに感じたのはグァムに行ったときと同様、むっとする空気に纏わりつかれるのに似た厭な気分だった。その強烈に厭な印象があって以後、ほぼ毎年大阪の夏は 9月いっぱい続くようになった。それまでは 9月中旬にもなれば朝夕は涼しくなっていたものだ。
なので「いつまで続く」というような話は最低でも半月は早いと思うようになったし、事実大阪ではそれが当り前になってしまっている。
逆に 9月いっぱいまで夏は続いて暑いのだと考えれば、暑さによる消耗はあったとしても「まだ暑い」という持久戦のような辛い感覚に悩まされることがないだけ泰然としていられるし、少なくとも終りの見えないという心理的な消耗からは開放される。
ちっとも嬉しい話ではないが、この10年私はこうやって夏をやり過ごしてきた。
しかし、体温ほどもある夏は少なくとも大阪ではここ数年当り前になっていると個人的には感じている。別にそんな夏を希望しているわけではないが、そう考えないとやっていられない状況はこの10年で一般化している。それが今年は若干暑さが続きすぎているという程度の問題であるというのが個人的な認識である。
こんな暑い夏の原因は勢力の強い太平洋高気圧が張り出しているからだ、と気象予報士などは言っている。
本当にそれで説明になっているのだろうか。
以前、香港の友人が夏に大阪に遊びに来たことがある。彼女らは言うのだった。
「香港より暑いよ」
最近の香港の最高気温は33度くらいである。これは10年以上前の大阪における「普通」の最高気温とほぼ同じだ。つまり香港よりも緯度の高いところの方が気温が高いわけである。日本がそんな具合なら、香港はもっと暑くてしかるべきなのではないか。それが「勢力の強い太平洋高気圧」だけで片付けられていいのだろうか。去年も大阪は今年ほどではないにしても暑いのだった。
さらにこれまでなら近畿圏では大阪だけが突出して暑かったのに、最近はそれと同等以上の気温が各地で記録されていることである。単純に香港とだけ比較していい問題ではないかもしれないが、太平洋高気圧の強さだけで片付けられるとは思えない。
異常気象ということばを遣うこともできるのかもしれないが、そういう安易な説明で納得したいとは思わない。シンガポールの気温が10度で大阪が45度という状況が恒常的であれば異常気象という説明でも納得してもいいかもしれないが、それはそれで、そういう状況に変化しただけであって、それもまた異常気象とは言えないのかもしれない。それを言い出すと話は発散する一方だが、そこまで異常とは言えない状況で、「異常気象」は単なる表現のインフレーションあるいは思考の停止である。
私としてはもう少し納得できる説明に期待したい。
これに加えてこの時季繰り返されるのが「この暑さはいつまで続くのか」という無駄な質問である。
私がアルゼンチンに遊びに行った99年、大阪では夏が 9月いっぱいまで続くようになっていた。日本とアルゼンチンは地球の裏側という関係にある。従って何もかも反対である。こちらが夏であればあちらは冬だし、こちらが正午であればあちらは深夜である。
そんな具合だから 8月末頃出発し、 9月中旬に帰ってくる予定だった私は、大阪が涼しくなっていることを出発前から期待していた。寒いところから高温多湿の環境に戻るのは厭だし。
ところがどうだ。飛行機から出てきたときに感じたのはグァムに行ったときと同様、むっとする空気に纏わりつかれるのに似た厭な気分だった。その強烈に厭な印象があって以後、ほぼ毎年大阪の夏は 9月いっぱい続くようになった。それまでは 9月中旬にもなれば朝夕は涼しくなっていたものだ。
なので「いつまで続く」というような話は最低でも半月は早いと思うようになったし、事実大阪ではそれが当り前になってしまっている。
逆に 9月いっぱいまで夏は続いて暑いのだと考えれば、暑さによる消耗はあったとしても「まだ暑い」という持久戦のような辛い感覚に悩まされることがないだけ泰然としていられるし、少なくとも終りの見えないという心理的な消耗からは開放される。
ちっとも嬉しい話ではないが、この10年私はこうやって夏をやり過ごしてきた。
いよいよ駄目な asablo ― 2010年09月04日 21時45分
もう駄目なものだらけである。
今、asablo に入ろうとしたら 2回もログインに失敗した。
iPhone の softbank もこの時間になるとメールの送受信が怪しくなってくる。
さらにうちのサーバがときどきおかしくなる。
うちのサーバはいつ稼動し始めたかはっきりしたことは憶えていない。2003 年頃に動かし始めたような気がするので、そうだとすればもう 7年になる。時期からするとおかしくなっても不思議はない。おかしいのは HDD のようだ。エラーが出ていて、ときどき停止するようだ。
暑いし、そもそも週末の限られた時間しか家にいないので、あれこれ調査することも難しい。大体サーバのある納戸はエアコンがない。
エアコンはないが、1階にあるので、比較的涼しい。最高気温でも 33度くらいだ。ただ、最低気温は暑くて 30度程度にしかならない。流石は「猛暑」だ。サーバも熱中症なのかもしれない。
そこでこの際だから新しいサーバを準備しようと考えている。
静音でなくてもいいし、省スペースでなくてもいいが、省電力なやつにしたい。筐体から新規に購入する必要がある。サーバだし、がんがん使うようなものでもないので、Atom か何かでいいのではないかと思うが、PC パーツの動向に疎いので、これから調査をしなければならない。
面倒なときに面倒なことになるのだった。
今、asablo に入ろうとしたら 2回もログインに失敗した。
iPhone の softbank もこの時間になるとメールの送受信が怪しくなってくる。
さらにうちのサーバがときどきおかしくなる。
うちのサーバはいつ稼動し始めたかはっきりしたことは憶えていない。2003 年頃に動かし始めたような気がするので、そうだとすればもう 7年になる。時期からするとおかしくなっても不思議はない。おかしいのは HDD のようだ。エラーが出ていて、ときどき停止するようだ。
暑いし、そもそも週末の限られた時間しか家にいないので、あれこれ調査することも難しい。大体サーバのある納戸はエアコンがない。
エアコンはないが、1階にあるので、比較的涼しい。最高気温でも 33度くらいだ。ただ、最低気温は暑くて 30度程度にしかならない。流石は「猛暑」だ。サーバも熱中症なのかもしれない。
そこでこの際だから新しいサーバを準備しようと考えている。
静音でなくてもいいし、省スペースでなくてもいいが、省電力なやつにしたい。筐体から新規に購入する必要がある。サーバだし、がんがん使うようなものでもないので、Atom か何かでいいのではないかと思うが、PC パーツの動向に疎いので、これから調査をしなければならない。
面倒なときに面倒なことになるのだった。
今年の一文字 ― 2010年09月05日 09時50分
どういうわけか清水寺は毎年今年の漢字を一文字決めて、筆で大きく書いて世間に公表している。
ちょっと調べてみたら、別に清水寺が決めるわけではないらしい。さらに、この行事も 1995年から始められたようで、それほど長く続いているわけでもないのだった。
これが発表される12月12日は「漢字の日」というではないか。何だそれは。
漢字の効用として文字が意味を持っているということが言われる。上に書いた「今年の漢字」がいい例だ。
これが表音文字しかない言語だったらそうはいかない。
例えばイギリスで「今年の一文字」というのを始めようとしたらどうだ。
2010年の一文字は「f」だ。
これでは何のことだかわらかない。多分英語の場合、それを決めるためにまず一語を選ぶことになるのだろうから、その単語の頭文字ということになるだろう。それでも出てきた文字は意味がないので、結局何のことだかわからない。
日本でもそうだ。漢字だからこそ様になっているが、これを「今年のひらがな」でやったら同じようなことになるだろう。
「へ」
まるで馬鹿である。
すでに書いてしまったが、表音文字しかない言語でそういうことをする場合、一文字ではなく「今年の単語」になるだろう。
2008年の合衆国の一語ということになれば change かもしれない。流行語大賞と何が違うかというときっと何も違わないだろう。語というのはさまざまな意味を持つものもあるが、大抵は限定的だ。
上記の change にしても 2008年、オバマは大統領になっていないのだから、実際に change は何も行われていなかった筈だ。気分は change かもしれないが、結局それだと流行語でしかない。
漢字の場合、一文字で意味を特定できるものもあるが、通常は語の要素として使用されるので、漢字一文字だけ提示されればある程度の意味を示しつつ、特定することがない。そこで「今年の漢字」というような行事が成立することになるわけで、流行語よりは少し世相を反映させることができるのだろう。
私は別に今年の漢字に応募したこともなければ、職場の所感で「私の今年の一文字」などと披露したこともないので、今年が何の文字になるかなど考えたこともないし、そういうことにもあまり関心はないのであった。
ちょっと調べてみたら、別に清水寺が決めるわけではないらしい。さらに、この行事も 1995年から始められたようで、それほど長く続いているわけでもないのだった。
これが発表される12月12日は「漢字の日」というではないか。何だそれは。
漢字の効用として文字が意味を持っているということが言われる。上に書いた「今年の漢字」がいい例だ。
これが表音文字しかない言語だったらそうはいかない。
例えばイギリスで「今年の一文字」というのを始めようとしたらどうだ。
2010年の一文字は「f」だ。
これでは何のことだかわらかない。多分英語の場合、それを決めるためにまず一語を選ぶことになるのだろうから、その単語の頭文字ということになるだろう。それでも出てきた文字は意味がないので、結局何のことだかわからない。
日本でもそうだ。漢字だからこそ様になっているが、これを「今年のひらがな」でやったら同じようなことになるだろう。
「へ」
まるで馬鹿である。
すでに書いてしまったが、表音文字しかない言語でそういうことをする場合、一文字ではなく「今年の単語」になるだろう。
2008年の合衆国の一語ということになれば change かもしれない。流行語大賞と何が違うかというときっと何も違わないだろう。語というのはさまざまな意味を持つものもあるが、大抵は限定的だ。
上記の change にしても 2008年、オバマは大統領になっていないのだから、実際に change は何も行われていなかった筈だ。気分は change かもしれないが、結局それだと流行語でしかない。
漢字の場合、一文字で意味を特定できるものもあるが、通常は語の要素として使用されるので、漢字一文字だけ提示されればある程度の意味を示しつつ、特定することがない。そこで「今年の漢字」というような行事が成立することになるわけで、流行語よりは少し世相を反映させることができるのだろう。
私は別に今年の漢字に応募したこともなければ、職場の所感で「私の今年の一文字」などと披露したこともないので、今年が何の文字になるかなど考えたこともないし、そういうことにもあまり関心はないのであった。
839.63 km ― 2010年09月18日 00時15分
相生周辺を自転車で走った距離である。
と言いたいところだが、これは不正確だ。実際には単身赴任を始めてから自転車に乗った走行距離で、これには大阪で乗った距離も含まれている。大阪ではそんなに乗っていないが、それでも散髪に二回行っているし、会社にも何度か行ったような気がするので、それだけで 100 km 程度は大阪の分になる。だったとしても 700 km 程度は相生周辺を走った計算になるし、折りたたみ自転車で走った距離でもある。多いのか少ないのかはよくわからない。
最近は日が暮れるのが早いので、あまり走っていない。暗い道を走るのは面白くないし、第一危険が増す。通勤など暗い時間でも走らざるを得ないのであれば仕方がないが、帰ってから走りに出るのに暗い時間に走ろうという気にもならない。そもそも暗くなってから出かけるのが億劫というのもある。
まだ単身赴任は終了していない。にも拘らず距離を記録するのは今日折りたたみ自転車を持って帰ってきたからである。
単身赴任は当初来月いっぱいという話だったが、諸般の事情で私だけ今月いっぱいで終了することになった。馘首になったわけではない。
まあそんなことはどうでもいいが、今度の日曜に家から相生まで Bianchi の Viale で行く計画を立てている。そのため、相生に折りたたみ自転車が不要になる。別に単身赴任が終るときに纏めて持って帰ってもいいようなものだが、車の荷室の関係でそれは難しい。
当初は 23日に坂越に行く計画も立てていたが、これは天気が思わしくないのと、その日は仕事をしなければならないので、すでに断念している。20日に時間が取れれば行ってもいいとは思っている。
日曜の計画が実現すれば、これまで生活したところへはすべて自転車で行ったことになる。狭い範囲で生活しているような気がしないでもないが、相生までは 120 km 以上ある計算だ。120 km 程度なら一日で走る人はたくさんいるので、それほど自慢するほどのことでもない。ただ、個人的にはこれまでで一番長い距離になる。
と言いたいところだが、これは不正確だ。実際には単身赴任を始めてから自転車に乗った走行距離で、これには大阪で乗った距離も含まれている。大阪ではそんなに乗っていないが、それでも散髪に二回行っているし、会社にも何度か行ったような気がするので、それだけで 100 km 程度は大阪の分になる。だったとしても 700 km 程度は相生周辺を走った計算になるし、折りたたみ自転車で走った距離でもある。多いのか少ないのかはよくわからない。
最近は日が暮れるのが早いので、あまり走っていない。暗い道を走るのは面白くないし、第一危険が増す。通勤など暗い時間でも走らざるを得ないのであれば仕方がないが、帰ってから走りに出るのに暗い時間に走ろうという気にもならない。そもそも暗くなってから出かけるのが億劫というのもある。
まだ単身赴任は終了していない。にも拘らず距離を記録するのは今日折りたたみ自転車を持って帰ってきたからである。
単身赴任は当初来月いっぱいという話だったが、諸般の事情で私だけ今月いっぱいで終了することになった。馘首になったわけではない。
まあそんなことはどうでもいいが、今度の日曜に家から相生まで Bianchi の Viale で行く計画を立てている。そのため、相生に折りたたみ自転車が不要になる。別に単身赴任が終るときに纏めて持って帰ってもいいようなものだが、車の荷室の関係でそれは難しい。
当初は 23日に坂越に行く計画も立てていたが、これは天気が思わしくないのと、その日は仕事をしなければならないので、すでに断念している。20日に時間が取れれば行ってもいいとは思っている。
日曜の計画が実現すれば、これまで生活したところへはすべて自転車で行ったことになる。狭い範囲で生活しているような気がしないでもないが、相生までは 120 km 以上ある計算だ。120 km 程度なら一日で走る人はたくさんいるので、それほど自慢するほどのことでもない。ただ、個人的にはこれまでで一番長い距離になる。
刑事ドラマと高麗芝 ― 2010年09月18日 17時55分
刑事ドラマの刑事も携帯電話を持っている。
緊迫した状況で署から電話が入る。そのとき鳴る着信音が吉本新喜劇のテーマ曲だったらどうか。
これは二つの理由であり得ない。
・著作権
使用料を払えばいいだけの話だが、普通 TV ドラマで TV を見ているシーンがないのと同様、登場人物の着信音がメロディである可能性はないに等しい。
・曲では都合が悪い
それよりも大きいのはそういうものは無機質なものの方が何かと都合がいいというのもあるだろう。それで「プルプルプル」というありきたりなものが一般的になっている。
ドラマの人物ではないが、子泣き爺に似たある人の着信音がインディ・ジョーンズのテーマか何かだった。子泣き爺だからというわけではないが、何がよくて何が駄目ということはないにしても、こういう曲は着信音としてどうかという気がした。
ところでわが家の芝である。
春のうちはまばらにしか生えていなかったので、今年も駄目なのだろうと思っていた。ところがどうしてなかなか元気である。連日、猛暑で熱中症というニュースばかりだったのに反比例するかのように生い茂っている。四隅は相変らず生えないが、これは土がじめじめしていて明らかに生えない状況なので仕方がない。しかし、それ以外のところはここ数年にないくらい元気だ。
私は相生なので手入れも何もしていない。二週間に一度芝刈りしているが、それ以外は嫁に撒水してもらっているだけだ。今年の夏に水遣りしなければ、さしもの芝も枯れてしまうだろう。
ちょっとはっきり憶えていないが、去年は天候不順で雨が多かったような気がする。それでかどうか、きのこもよく生えてきたし、八月でも雑草がちょろちょろ生えてきた。日照時間が少ないのは芝にとっては嬉しくないというのはそういう状況からもわかる。
それが今年は雨は降らずに気温は高いという状況が続いた。これだけ高い気温が芝に悪影響を及ぼすことがないのかどうかは知らない。去年は「もう駄目か」と思ったくらい元気がなかったことを思うと、高温より天候不順の方が芝には適さないのかもしれない。
例年なら最低でも何度か農薬を撒いたりするが、今年は一切そういうこともしていない。
それでもきのこは生えてこないし、元気な時期は雑草もまったくといっていいほど生えなかった。
人も動物も植物も暑さで駄目な今年だったが、芝は水さえ与えておけば元気なのだった。
緊迫した状況で署から電話が入る。そのとき鳴る着信音が吉本新喜劇のテーマ曲だったらどうか。
これは二つの理由であり得ない。
・著作権
使用料を払えばいいだけの話だが、普通 TV ドラマで TV を見ているシーンがないのと同様、登場人物の着信音がメロディである可能性はないに等しい。
・曲では都合が悪い
それよりも大きいのはそういうものは無機質なものの方が何かと都合がいいというのもあるだろう。それで「プルプルプル」というありきたりなものが一般的になっている。
ドラマの人物ではないが、子泣き爺に似たある人の着信音がインディ・ジョーンズのテーマか何かだった。子泣き爺だからというわけではないが、何がよくて何が駄目ということはないにしても、こういう曲は着信音としてどうかという気がした。
ところでわが家の芝である。
春のうちはまばらにしか生えていなかったので、今年も駄目なのだろうと思っていた。ところがどうしてなかなか元気である。連日、猛暑で熱中症というニュースばかりだったのに反比例するかのように生い茂っている。四隅は相変らず生えないが、これは土がじめじめしていて明らかに生えない状況なので仕方がない。しかし、それ以外のところはここ数年にないくらい元気だ。
私は相生なので手入れも何もしていない。二週間に一度芝刈りしているが、それ以外は嫁に撒水してもらっているだけだ。今年の夏に水遣りしなければ、さしもの芝も枯れてしまうだろう。
ちょっとはっきり憶えていないが、去年は天候不順で雨が多かったような気がする。それでかどうか、きのこもよく生えてきたし、八月でも雑草がちょろちょろ生えてきた。日照時間が少ないのは芝にとっては嬉しくないというのはそういう状況からもわかる。
それが今年は雨は降らずに気温は高いという状況が続いた。これだけ高い気温が芝に悪影響を及ぼすことがないのかどうかは知らない。去年は「もう駄目か」と思ったくらい元気がなかったことを思うと、高温より天候不順の方が芝には適さないのかもしれない。
例年なら最低でも何度か農薬を撒いたりするが、今年は一切そういうこともしていない。
それでもきのこは生えてこないし、元気な時期は雑草もまったくといっていいほど生えなかった。
人も動物も植物も暑さで駄目な今年だったが、芝は水さえ与えておけば元気なのだった。
浴室の抗菌加工の寿命 ― 2010年09月18日 23時05分
最近風呂が汚くなってきた。手を抜いても支障のなさそうなところは若干手を抜いているのは白状する。しかしそうでないところも汚れが目立つようになってきた。綺麗にしているにも拘らず、汚れが落ちないという表現が適切なのかもしれない。あちこち黒ずんできた。以前と同様に掃除しているのになぜだろうと疑問を抱き続けて掃除してきた。
以前にも風呂掃除のことを書いたときに抗菌仕様のことを書いた記憶があるが、どうやら抗菌の効果が終りに近づいているのかもしれない。うちは建てて 5年目である。浴室メーカーとしては10年使ってもらってリフォームで新しくしてもらえばいいと考えて 5年程度に設定しているのか、抗菌仕様が現在の技術ではそれくらいしか持続しないのかはわからない。それでもなかなかうまい設定のような気はする。
そうはいってもこっちは以前と同じように掃除しているのに、汚れるのは納得できない気もする。抗菌仕様は偉大なのかもしれないし、抗菌仕様の偉大さがわかったような気もするが、できれば製品寿命までは抗菌効果が持続して欲しいものだ。
以前にも風呂掃除のことを書いたときに抗菌仕様のことを書いた記憶があるが、どうやら抗菌の効果が終りに近づいているのかもしれない。うちは建てて 5年目である。浴室メーカーとしては10年使ってもらってリフォームで新しくしてもらえばいいと考えて 5年程度に設定しているのか、抗菌仕様が現在の技術ではそれくらいしか持続しないのかはわからない。それでもなかなかうまい設定のような気はする。
そうはいってもこっちは以前と同じように掃除しているのに、汚れるのは納得できない気もする。抗菌仕様は偉大なのかもしれないし、抗菌仕様の偉大さがわかったような気もするが、できれば製品寿命までは抗菌効果が持続して欲しいものだ。
大阪から相生へ ― 2010年09月19日 22時00分
18日に少し触れたが、正式に今の業務について 1箇月延長という話がきた。これのお蔭で私の相生での仕事は 1箇月短縮され、今月末で大阪に戻ることになった。
勘定を間違えているわけではない。
いくつかの事情が重なって、私は今月いっぱいまでしかここの業務ができない。別の人員を入れることになったので、1箇月短縮されるというわけだ。
そういうようなわけで、私は今月いっぱいでお役御免ということになる。
単身赴任が終了するのを記念してというわけではないが、自転車で相生に行くことにした。
つい最近まで自転車で移動するということは殆ど考えなかった。たまにそういう考えが浮かばなかったわけでもないのではないかと思うが、具体的に考えたことは一度もなかった。これは以前から書いているように相生から出る(あるいは相生に行く)には坂を越えなければならないということがある。それは私が国道 2号線を無視してきたということと無縁ではない。国道 2号線は殺風景だ。相生周辺は特にそんな感じがする。自転車で走っていても楽しくなさそうというのがあって、無意識的にこれを避けていたのではないかと思う。ところがある日、何がきっかけかもわからないが、2号線が意識に上る。見ている限り 2号線、あるいは 2号線と並行して走る道があれば、割合平坦な道路なのではないかということに気が付く。車で走る限り、あるいは電車の車窓からの風景を見ている限りでは、少し先に山があったりはするが、トンネルには入っていないし、それほど高低差のあるところを走っている様子もない。
自転車で移動するという計画が具体的になったのはそれからだ。
Google マップで線を引いてみる。ざっと 125 km だ。長距離を走り慣れているわけではないが、走って走れない距離ではない。一日 100 km 以上走ったのは、いつだったか三ノ宮に行ったときが初めてで、それっきりではある。普段でも 60 km くらいは走れるから何とか走れるだろうと思った。
当日は 8時半頃に出発する予定だったが、早く目が醒めて準備もできたので 8時過ぎに出発した。長柄橋北詰までの行程を一部変更したが、それ以外は 2箇所道を間違えた以外、行程の変更はなかった。ただし、三ノ宮で Cap House に寄ったのとトイレと休憩場所を探して西明石駅まで片道 1km ほど逸れた。
三ノ宮までは気分的に順調だった。ただ、前回三ノ宮で折り返したので、三ノ宮で半分という勘違いをしそうになる。
神戸から明石までが、というか明石を出るまでが思いの外時間がかかった。距離で考えると当然なのだが、加古川にもっと早く到着するのではないかと漠然と考えていたので、それで疲れてしまった。一番辛かったのが明石から加古川くらいだろうか。
加古川といえば浜の宮公園は立派な松林がよかった。
加古川には 15:30 頃いたように記憶している。神戸から加古川まで 3時間以上かかっている計算だが、そもそも神戸から明石というのが遠いのだ。
姫路までくれば先週下見で相生から姫路まで行っているので、少しほっとしたというか帰ってきたという印象が強くなった。下見は大切である。
それ以外の失敗(というほどのことでもないが)は休憩時間の見積りミスである。というか、125 km だったら平均時速 20 km/h で走れば 6時間強、1時間休憩したとして 7時間少しで到着するという無謀だ。仮に昼休み 30分取ったとすると残りの休憩は合計 30分しかとらない計算になる。今考えるとおかしな見積りだが、これは今後に生かすことにしよう。わからないのは短い休憩をこまめに取るのがいいのか、纏まった休憩を長く取って休憩回数を増やさないのがいいのかということだ。
131.59 km。到着したのは夕方 6時半だった。帰る直前に弁当やら買い物をしたので、若干距離と時間が増えている。
今回は頻繁にポカリスエットを摂りながら走ったので、熱中症の症状は殆どなかったし、これまでよく脚が攣りそうになっていたが今回は殆どなかった。最後にポカリスエットを切らし、走っていたときに顔が火照った程度である。水分だけで 3 リットルほど補給しているように思う。ポカリスエットは偉大だ。
車とか電車は点と点を結ぶような印象を抱いてしまいがちだが、自転車で走ると線で結ぶような印象になるので、出発点と目的地が地続きであるということをはっきり認識させてくれる。これも自転車の楽しみの一つかもしれない。
何となく思いつき、ふらっと始めたことではあるが、個人的には今年最大のイベントになった。
勘定を間違えているわけではない。
いくつかの事情が重なって、私は今月いっぱいまでしかここの業務ができない。別の人員を入れることになったので、1箇月短縮されるというわけだ。
そういうようなわけで、私は今月いっぱいでお役御免ということになる。
単身赴任が終了するのを記念してというわけではないが、自転車で相生に行くことにした。
つい最近まで自転車で移動するということは殆ど考えなかった。たまにそういう考えが浮かばなかったわけでもないのではないかと思うが、具体的に考えたことは一度もなかった。これは以前から書いているように相生から出る(あるいは相生に行く)には坂を越えなければならないということがある。それは私が国道 2号線を無視してきたということと無縁ではない。国道 2号線は殺風景だ。相生周辺は特にそんな感じがする。自転車で走っていても楽しくなさそうというのがあって、無意識的にこれを避けていたのではないかと思う。ところがある日、何がきっかけかもわからないが、2号線が意識に上る。見ている限り 2号線、あるいは 2号線と並行して走る道があれば、割合平坦な道路なのではないかということに気が付く。車で走る限り、あるいは電車の車窓からの風景を見ている限りでは、少し先に山があったりはするが、トンネルには入っていないし、それほど高低差のあるところを走っている様子もない。
自転車で移動するという計画が具体的になったのはそれからだ。
Google マップで線を引いてみる。ざっと 125 km だ。長距離を走り慣れているわけではないが、走って走れない距離ではない。一日 100 km 以上走ったのは、いつだったか三ノ宮に行ったときが初めてで、それっきりではある。普段でも 60 km くらいは走れるから何とか走れるだろうと思った。
当日は 8時半頃に出発する予定だったが、早く目が醒めて準備もできたので 8時過ぎに出発した。長柄橋北詰までの行程を一部変更したが、それ以外は 2箇所道を間違えた以外、行程の変更はなかった。ただし、三ノ宮で Cap House に寄ったのとトイレと休憩場所を探して西明石駅まで片道 1km ほど逸れた。
三ノ宮までは気分的に順調だった。ただ、前回三ノ宮で折り返したので、三ノ宮で半分という勘違いをしそうになる。
神戸から明石までが、というか明石を出るまでが思いの外時間がかかった。距離で考えると当然なのだが、加古川にもっと早く到着するのではないかと漠然と考えていたので、それで疲れてしまった。一番辛かったのが明石から加古川くらいだろうか。
加古川といえば浜の宮公園は立派な松林がよかった。
加古川には 15:30 頃いたように記憶している。神戸から加古川まで 3時間以上かかっている計算だが、そもそも神戸から明石というのが遠いのだ。
姫路までくれば先週下見で相生から姫路まで行っているので、少しほっとしたというか帰ってきたという印象が強くなった。下見は大切である。
それ以外の失敗(というほどのことでもないが)は休憩時間の見積りミスである。というか、125 km だったら平均時速 20 km/h で走れば 6時間強、1時間休憩したとして 7時間少しで到着するという無謀だ。仮に昼休み 30分取ったとすると残りの休憩は合計 30分しかとらない計算になる。今考えるとおかしな見積りだが、これは今後に生かすことにしよう。わからないのは短い休憩をこまめに取るのがいいのか、纏まった休憩を長く取って休憩回数を増やさないのがいいのかということだ。
131.59 km。到着したのは夕方 6時半だった。帰る直前に弁当やら買い物をしたので、若干距離と時間が増えている。
今回は頻繁にポカリスエットを摂りながら走ったので、熱中症の症状は殆どなかったし、これまでよく脚が攣りそうになっていたが今回は殆どなかった。最後にポカリスエットを切らし、走っていたときに顔が火照った程度である。水分だけで 3 リットルほど補給しているように思う。ポカリスエットは偉大だ。
車とか電車は点と点を結ぶような印象を抱いてしまいがちだが、自転車で走ると線で結ぶような印象になるので、出発点と目的地が地続きであるということをはっきり認識させてくれる。これも自転車の楽しみの一つかもしれない。
何となく思いつき、ふらっと始めたことではあるが、個人的には今年最大のイベントになった。
初めてのゴキブリ ― 2010年09月20日 19時15分
昨夜、台所に行った。流しのところで何かが動いたような気がしたが、よく見ても何もなかった。気のせいかと思っていたら、ゴキブリが顔を覗かせた。
相生のマンションでは初めて見るゴキブリだった。
ところが困ったことにゴキブリに対する備えは何一つしていない。ゴキブリは突然の明りに驚いたのか水栓の横に置いてある、流し口の蓋の下に潜んでいる。
どうするかしばらく悩んでいたが、台所用洗剤があることを思い出した。蓋の周囲に洗剤を垂らしてゴキブリが出てくるのを待った。しばらくすると蓋の下から出てきて流しの奥の方を伝うようにしてガスコンロの奥で止った。じっとしているので上から洗剤を垂らす。さらに逃げ、流し台の天板の隅を直角に下ったところで停止した。洗剤がかかっていないのだろうか。
さらに洗剤を垂らすかどうか考えながら、いろんなものをどけていると、そのうち動き始めた。若干動きが怪しいのでどうやら洗剤はかかっているようだ。壁伝いに流し台を歩いていたかと思うと壁を登り始めた。どこまで行く気だろう。
こうなると後は眺めているしかない。
換気扇まで辿り着き換気扇の筐体に沿うように壁を這う。最後は換気扇に数本の脚でぶら下がり、終には一本で頑張っていたが、とうとう力尽きて床に落ちた。それに自分自身が驚いたのか、少し歩いたが、そのまま動かなくなった。動かないことを確認し、どけたものを元に戻してから台所を出る。
翌朝、台所に行くと昨夜のままじっとしていたので、もう死んでいるだろう。漸く捨てることができた。
そういうことがあったからではなく、今日は今月最後の休みなので、退去前の大掃除をした。
自分の家ほどには力を入れていないにしても、狭い部屋は半日もあれば掃除が終る。うちは広いというより窓が多いのが大掃除に時間を取られる理由ではないかと思うのだった。
相生のマンションでは初めて見るゴキブリだった。
ところが困ったことにゴキブリに対する備えは何一つしていない。ゴキブリは突然の明りに驚いたのか水栓の横に置いてある、流し口の蓋の下に潜んでいる。
どうするかしばらく悩んでいたが、台所用洗剤があることを思い出した。蓋の周囲に洗剤を垂らしてゴキブリが出てくるのを待った。しばらくすると蓋の下から出てきて流しの奥の方を伝うようにしてガスコンロの奥で止った。じっとしているので上から洗剤を垂らす。さらに逃げ、流し台の天板の隅を直角に下ったところで停止した。洗剤がかかっていないのだろうか。
さらに洗剤を垂らすかどうか考えながら、いろんなものをどけていると、そのうち動き始めた。若干動きが怪しいのでどうやら洗剤はかかっているようだ。壁伝いに流し台を歩いていたかと思うと壁を登り始めた。どこまで行く気だろう。
こうなると後は眺めているしかない。
換気扇まで辿り着き換気扇の筐体に沿うように壁を這う。最後は換気扇に数本の脚でぶら下がり、終には一本で頑張っていたが、とうとう力尽きて床に落ちた。それに自分自身が驚いたのか、少し歩いたが、そのまま動かなくなった。動かないことを確認し、どけたものを元に戻してから台所を出る。
翌朝、台所に行くと昨夜のままじっとしていたので、もう死んでいるだろう。漸く捨てることができた。
そういうことがあったからではなく、今日は今月最後の休みなので、退去前の大掃除をした。
自分の家ほどには力を入れていないにしても、狭い部屋は半日もあれば掃除が終る。うちは広いというより窓が多いのが大掃除に時間を取られる理由ではないかと思うのだった。
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