時計のアナログと温度計のアナログ ― 2010年01月08日 22時45分
遅れ馳せながら、あけましておめでとうございます。
今年も適当に更新するので、適当にご愛顧ください。
本当は今年最初に書くことは別にあったのだが、文章がしっくりこないのでそのままになってしまった。
さて。時計の表示はアナログでもデジタルでもさほど気にならない。デジタル時計が出始めた頃はアナログがいいだのデジタルだのという議論が聞かれたように記憶しているが、今では単なる好みの問題になってしまったと言っていいのではないだろうか。
ところが温度計はどちらでもいいというわけではないようだ。最近温度計を持ち歩き、ロガーで気象データを記録している関係で私の周りの温度計はほぼデジタル表示である。居間にある温湿度計くらいがアナログ表示だろうか。
時計はアナログでも支障がなくて温度計はアナログでは支障があるのだろうか。
少なくとも 5分刻みで目盛りが切ってある時計であれば、それほど支障があるとは思えない。正確な時間が知りたいという特別な事情がない限り、5分程度の時間が判別できればそれほど困ることがないからで、それはつまり時間が一様だからだろう。朝、家を出るまでの時間と帰ってからのんびりしているときでは必要な時間の精度は違うかもしれないが、アナログでも時計をちらちら見ていれば、いくら時間が足りない朝であってもさほど困ることはない筈だ。
ところが温度計である。大きくてわかりやすい温度計ならアナログ式でもそれほど問題にならないかもしれないが、卓上の温度計などは針では駄目だ。これはどういうわけだろうか。
僅かな温度でも快適だったり不快になったりするからだろう。例えば25度と30度では 5度しか違わないが、快適さはかなり違う。
今の職場はクールビズとか言いながら気温が25度前後ある。快適なので文句を言う筋合いもないのだが、そんな温度設定にしなければならない理由というのも見当らない上、がんがんエアコンをかけるのも憚られるご時世なので愚痴を言い散らかしていた。その声が届いたとも思えないが、若干温度設定が下げられた様子で、年末くらいから 1、2度下がったような気がする。単に外気が寒くてエアコンが効かなくなっている可能性もないとはいえないが。
これが寒いのだ。どうしようもなく寒いという状態ではないし、寒ければ下着を増やすなり、何か身につければ十分対応できる程度のことだが、25度のときからすると明らかに快適度は低下している。若干肌寒い。
外気温でも同様だ。10度は寒いに違いないが、10度と 8度では明らかに寒さが違う(大阪人の感覚)。
大阪では外気温で最低 0度、最高 37度くらいの範囲で生活している。寒い日の日陰と暑い日の日向ではもっと差があるだろうが、今では大半の人が屋内にいて冷暖房装置まで使用しているので、実際の生活温度はもっと狭くて、広く見積っても15度から28度くらいではないだろうか。だとすれば、うちの居間の温度計は-30度から50度まで目盛りを切ってあるが、実際にはかなりの部分が使われることのない範囲ということになる。冷暖房を使用しなくても、大阪の屋内だと 8度から37度もあれば大抵間に合う。結局温度計の半分も使用していない上、快適な温度範囲がさらに狭いので、アナログ表示よりもデジタルで直接表示してくれる方が自分の感覚と対比して理解しやすいのだろう。アナログ表示にするのであれば、等間隔の目盛りではなく、生活温度範囲部分が極端に拡大されたようなタイプのものでなければ使いやすいとはいえないのかもしれない。
それにしても驚くべきは生活温度範囲の狭いことだ。これではインフルエンザどころか風邪も簡単に引いてしまうわけだ。加湿器だのプラズマなんちゃらを使う前に、生活温度範囲を拡大するだけで健康になれるような気がする。年寄りには厳しいのかもしれないが、若い者が屋内のヒートショックに拘泥するようでは健康とは言えないような気がする。因みに個人的には健康問題にしても、スポーツ医学的な面にしても基本的な考え方が過保護に過ぎるのではないかという気がしている。その話はまたいずれ書くことにしよう。
いずれにしてもこれでは二酸化炭素の排出も減らないだろうという気にさせられる一年の始まりなのだった。
今年も適当に更新するので、適当にご愛顧ください。
本当は今年最初に書くことは別にあったのだが、文章がしっくりこないのでそのままになってしまった。
さて。時計の表示はアナログでもデジタルでもさほど気にならない。デジタル時計が出始めた頃はアナログがいいだのデジタルだのという議論が聞かれたように記憶しているが、今では単なる好みの問題になってしまったと言っていいのではないだろうか。
ところが温度計はどちらでもいいというわけではないようだ。最近温度計を持ち歩き、ロガーで気象データを記録している関係で私の周りの温度計はほぼデジタル表示である。居間にある温湿度計くらいがアナログ表示だろうか。
時計はアナログでも支障がなくて温度計はアナログでは支障があるのだろうか。
少なくとも 5分刻みで目盛りが切ってある時計であれば、それほど支障があるとは思えない。正確な時間が知りたいという特別な事情がない限り、5分程度の時間が判別できればそれほど困ることがないからで、それはつまり時間が一様だからだろう。朝、家を出るまでの時間と帰ってからのんびりしているときでは必要な時間の精度は違うかもしれないが、アナログでも時計をちらちら見ていれば、いくら時間が足りない朝であってもさほど困ることはない筈だ。
ところが温度計である。大きくてわかりやすい温度計ならアナログ式でもそれほど問題にならないかもしれないが、卓上の温度計などは針では駄目だ。これはどういうわけだろうか。
僅かな温度でも快適だったり不快になったりするからだろう。例えば25度と30度では 5度しか違わないが、快適さはかなり違う。
今の職場はクールビズとか言いながら気温が25度前後ある。快適なので文句を言う筋合いもないのだが、そんな温度設定にしなければならない理由というのも見当らない上、がんがんエアコンをかけるのも憚られるご時世なので愚痴を言い散らかしていた。その声が届いたとも思えないが、若干温度設定が下げられた様子で、年末くらいから 1、2度下がったような気がする。単に外気が寒くてエアコンが効かなくなっている可能性もないとはいえないが。
これが寒いのだ。どうしようもなく寒いという状態ではないし、寒ければ下着を増やすなり、何か身につければ十分対応できる程度のことだが、25度のときからすると明らかに快適度は低下している。若干肌寒い。
外気温でも同様だ。10度は寒いに違いないが、10度と 8度では明らかに寒さが違う(大阪人の感覚)。
大阪では外気温で最低 0度、最高 37度くらいの範囲で生活している。寒い日の日陰と暑い日の日向ではもっと差があるだろうが、今では大半の人が屋内にいて冷暖房装置まで使用しているので、実際の生活温度はもっと狭くて、広く見積っても15度から28度くらいではないだろうか。だとすれば、うちの居間の温度計は-30度から50度まで目盛りを切ってあるが、実際にはかなりの部分が使われることのない範囲ということになる。冷暖房を使用しなくても、大阪の屋内だと 8度から37度もあれば大抵間に合う。結局温度計の半分も使用していない上、快適な温度範囲がさらに狭いので、アナログ表示よりもデジタルで直接表示してくれる方が自分の感覚と対比して理解しやすいのだろう。アナログ表示にするのであれば、等間隔の目盛りではなく、生活温度範囲部分が極端に拡大されたようなタイプのものでなければ使いやすいとはいえないのかもしれない。
それにしても驚くべきは生活温度範囲の狭いことだ。これではインフルエンザどころか風邪も簡単に引いてしまうわけだ。加湿器だのプラズマなんちゃらを使う前に、生活温度範囲を拡大するだけで健康になれるような気がする。年寄りには厳しいのかもしれないが、若い者が屋内のヒートショックに拘泥するようでは健康とは言えないような気がする。因みに個人的には健康問題にしても、スポーツ医学的な面にしても基本的な考え方が過保護に過ぎるのではないかという気がしている。その話はまたいずれ書くことにしよう。
いずれにしてもこれでは二酸化炭素の排出も減らないだろうという気にさせられる一年の始まりなのだった。
買い物週間 ― 2010年01月23日 23時55分
普段そんなに買い物をしない。買い物どころか金を遣うとしても職場で昼休みにお菓子を買ったり、休憩のときにコーヒーなどを飲むくらいのものだ。
お金がないのも事実だが、帰りにあちこち立ち寄らないのも買い物をしないことに寄与しているような気がする。ただ、ものを買い始めると連鎖的に買ってしまう傾向もある。今週がそうだ。
一週間でいろんなものを購入した。自転車のスタンド(メンテナンスなどで使うもの)、CD 4セット 8枚、自転車用ケミカル、温湿度ロガー、自転車用ライトとホルダなど。締めは自転車で、明日受け取りに行ってくる。まあ明日の自転車が自転車関連の買い物のトリガになっているわけで、CD を除けば殆ど自転車用と言ってもいいくらいだ。
ロガーについては、ここを読んでいる人は、すでに持っているのではなかったかと訝る向きもあるだろう。前に購入したものは、内玄関に置いて自宅内の基礎データ収集用に使用している。今度のは持ち歩き用に購入する USB メモリのような形をしたものだ。GPS ロガーを持ち歩いて写真撮影した場所やら自転車で走った場所の記録を録るという人がいるが、温湿度ロガーを持ち歩くというのはあまり聞かない。
最近まで予定にもなかった。前にも書いたが、今は温湿度計を持ち歩いている。これはこれで職場で便利に使っているが、目の前にないとなかなか見ないという問題がある。出歩いているときはメッセンジャーバッグに入れているが、その状態だと見ることがまずない。これの何が問題かというと肝腎の暑いときや寒いときの気温を見ておらず、あまり本来の目的で活用していない。さらに今持ち歩いているものは防滴仕様でもないのでバッグの外側にぶら提げるわけにもいかない。これが見ない原因を作っている理由でもある。
ロガーだと後で調べることができるし、常時手元に置いておけば自分が体感した一日の最高気温やら最低気温、気になった時刻の気温なども後から調べられるので、気温や湿度の感覚を掴むのに有効ではないかと考えた。昨日注文したばかりでまだ届いていないので、入手はしばらく先になるだろう。
自転車用ライトについては今でもすでに二つ持っている。これがどれも眠たいものばかりだ。一つは Cateye の安いもの、もう一つは Panasonic の NL-843B とかいう比較的高価なものだ。Cateye のは Bianchi を買ったのと前後して購入したように思うので、5年ほど使用しているのではないか。Panasonic のはブラケットを MTB に付けていたが、これの出番が殆どないので死蔵に近い状態だ。
今の通勤だと大半が比較的明るい市街地なので、自転車用でもそれほど不自由していないつもりだった。それでも点滅しかしていないライトでは暗くて路面状況がわからない。以前自転車屋が HID ライトが明るいと見せてくれたが、目が飛び出るような価格な上に大掛かりなのも腰が引けた。明るいのは欲しいが、リチウム電池を使用しなければならないような運用に費用が嵩むようなものも避けたいし、手軽に装着できるようなものがいいので、そういうものを自転車用の中から探してみたが、どうもぱっとしない。持っている Panasonic のものにしても明るいという宣伝文句につられて買ったものの、Cateye の安いものと比較すれば確かに明るいが、絶対的光量となると五十歩百歩の感がある。
あるとき上記の自転車屋が Serfas の SL-70 とかいう自転車用 LED が明るいと教えてくれた。確か 70 ルーメンの明るさがあるらしい。といっても実際にはピンとこない。何しろカンデラだのルーメンだのと言われてもそれがどれほどのものかわからない。さらには W (ワット)で表示している LED もあるのでさっぱりわからない。すべての LED ランプがワットで表示していれば何となくわかるのかもしれないが、それにしてもワットは明るさの単位ではないので「3 W です」と言われてもルーメン以上にわからないのだった。
ここ数日検索していると自転車用ではない LED ライトを自転車用として使用している人らが、それもかなりの人らがいるらしいことがわかった。どうやら自転車用として売られている LED ライトは相手に自分の存在を知らせるのが目的で、周囲を照らすという目的ではないものが大半らしい。そういう人らはそういう懐中電灯用途の LED ライトにブラケットを自作するなどして使用しているようなのだ。なかなかわかりづらいのだが、比較写真などを見ていると「次元が違う」という表現に嘘はなさそうな感じである。
さらにいろいろのレビューを読んでみると世間の人は夜間は路面が見えないので明るいときより速度を落して走っているらしい。私は馬鹿なので昼夜関係なく同じような速度で走っていた。今まで無事だったのはロードバイクでなかったからだろう。
というようなわけで、あちこちのレビューを読んで OLIGHT の T25 Regular を注文した。
お金がないのも事実だが、帰りにあちこち立ち寄らないのも買い物をしないことに寄与しているような気がする。ただ、ものを買い始めると連鎖的に買ってしまう傾向もある。今週がそうだ。
一週間でいろんなものを購入した。自転車のスタンド(メンテナンスなどで使うもの)、CD 4セット 8枚、自転車用ケミカル、温湿度ロガー、自転車用ライトとホルダなど。締めは自転車で、明日受け取りに行ってくる。まあ明日の自転車が自転車関連の買い物のトリガになっているわけで、CD を除けば殆ど自転車用と言ってもいいくらいだ。
ロガーについては、ここを読んでいる人は、すでに持っているのではなかったかと訝る向きもあるだろう。前に購入したものは、内玄関に置いて自宅内の基礎データ収集用に使用している。今度のは持ち歩き用に購入する USB メモリのような形をしたものだ。GPS ロガーを持ち歩いて写真撮影した場所やら自転車で走った場所の記録を録るという人がいるが、温湿度ロガーを持ち歩くというのはあまり聞かない。
最近まで予定にもなかった。前にも書いたが、今は温湿度計を持ち歩いている。これはこれで職場で便利に使っているが、目の前にないとなかなか見ないという問題がある。出歩いているときはメッセンジャーバッグに入れているが、その状態だと見ることがまずない。これの何が問題かというと肝腎の暑いときや寒いときの気温を見ておらず、あまり本来の目的で活用していない。さらに今持ち歩いているものは防滴仕様でもないのでバッグの外側にぶら提げるわけにもいかない。これが見ない原因を作っている理由でもある。
ロガーだと後で調べることができるし、常時手元に置いておけば自分が体感した一日の最高気温やら最低気温、気になった時刻の気温なども後から調べられるので、気温や湿度の感覚を掴むのに有効ではないかと考えた。昨日注文したばかりでまだ届いていないので、入手はしばらく先になるだろう。
自転車用ライトについては今でもすでに二つ持っている。これがどれも眠たいものばかりだ。一つは Cateye の安いもの、もう一つは Panasonic の NL-843B とかいう比較的高価なものだ。Cateye のは Bianchi を買ったのと前後して購入したように思うので、5年ほど使用しているのではないか。Panasonic のはブラケットを MTB に付けていたが、これの出番が殆どないので死蔵に近い状態だ。
今の通勤だと大半が比較的明るい市街地なので、自転車用でもそれほど不自由していないつもりだった。それでも点滅しかしていないライトでは暗くて路面状況がわからない。以前自転車屋が HID ライトが明るいと見せてくれたが、目が飛び出るような価格な上に大掛かりなのも腰が引けた。明るいのは欲しいが、リチウム電池を使用しなければならないような運用に費用が嵩むようなものも避けたいし、手軽に装着できるようなものがいいので、そういうものを自転車用の中から探してみたが、どうもぱっとしない。持っている Panasonic のものにしても明るいという宣伝文句につられて買ったものの、Cateye の安いものと比較すれば確かに明るいが、絶対的光量となると五十歩百歩の感がある。
あるとき上記の自転車屋が Serfas の SL-70 とかいう自転車用 LED が明るいと教えてくれた。確か 70 ルーメンの明るさがあるらしい。といっても実際にはピンとこない。何しろカンデラだのルーメンだのと言われてもそれがどれほどのものかわからない。さらには W (ワット)で表示している LED もあるのでさっぱりわからない。すべての LED ランプがワットで表示していれば何となくわかるのかもしれないが、それにしてもワットは明るさの単位ではないので「3 W です」と言われてもルーメン以上にわからないのだった。
ここ数日検索していると自転車用ではない LED ライトを自転車用として使用している人らが、それもかなりの人らがいるらしいことがわかった。どうやら自転車用として売られている LED ライトは相手に自分の存在を知らせるのが目的で、周囲を照らすという目的ではないものが大半らしい。そういう人らはそういう懐中電灯用途の LED ライトにブラケットを自作するなどして使用しているようなのだ。なかなかわかりづらいのだが、比較写真などを見ていると「次元が違う」という表現に嘘はなさそうな感じである。
さらにいろいろのレビューを読んでみると世間の人は夜間は路面が見えないので明るいときより速度を落して走っているらしい。私は馬鹿なので昼夜関係なく同じような速度で走っていた。今まで無事だったのはロードバイクでなかったからだろう。
というようなわけで、あちこちのレビューを読んで OLIGHT の T25 Regular を注文した。
自転車通勤 着替えた衣類の保管 ― 2010年01月24日 12時45分
ずっと適当にしているのが通勤時の着替え問題だ。
ときどき書いているように今の職場は家から 6 km ほどの距離である。夏はドライの T シャツ一枚、今の時季でもその上にウィンドブレーカみたいなのを着ているだけだ。上着はロッカーにかけて T シャツは年中着替えて、着替えた T シャツは更衣室の壁に吊るしている。パンツはこれまで着替えたことはない。
以前のうちの会社までは 15 km ほどあった。このときは脱いだ T シャツを水洗いして事務所に干していたが、他所の会社でそういうことは流石にできない。
ウェブを検索しても仕事をするときの着衣のことは、着替えを持っていってそれに着替えるという話は出てくる。パンツも着替えるだのスーツを職場に置いておくなど、その手の話題は少し検索すれば苦労することなく見つけられる。
ところが着替えた後に残された汗塗れの衣類をどう保管しているかということに触れられた記事は探し方に問題があるのかもしれないが、まったく見つけることができなかった。
いや、いいんですよ、ビニール袋か何かに保管しておけばとりあえず職場で嫌がられることはないでしょう。しかし、袋に入れたまま家まで持って帰った頃にはどんなことになっているのか想像もつかない。今の時季はまだ細菌が繁殖することも少ないのでまだいいが、夏の暑いときなら家で袋から出したらどんなことになっているか知れたものではない。
調べて見つけられなかったので、自分なりに対策を考えてみた。
・干す
干せる環境のある職場はすばらしい。洗わなくても干しておくことができれば細菌の繁殖だけは抑えることができるし、汗でぼとぼとの衣類を持ち帰るという不快からも開放される。水洗いしてから干せばなおいいのは言うまでもない。
・水洗いしてから保管する
最低でも保管前に水洗いする必要はあるだろう。やったことはないが、汗でぼとぼとの衣類をそのまま袋に入れて家に着くまで保管していたら、どんなことになるか想像するのも恐ろしい。
・机の下で扇風機を廻す
「干す」の別案ともいえるが、水洗いした衣類を机の下で干すというのはどうだ。衣類を掛けるものが必要だが、それは大きな問題ではないかもしれない。
というところで思い出したが、今の職場でもバンダナもどきは水洗いして机の下に掛けている。以前は扇風機を廻していたが、なくても帰る頃には乾いている。ドライでも T シャツは扇風機が必要かもしれない。
いずれにしても流石にパンツは干せないだろうから、水洗いして袋に入れておくしかないだろう。
もっといい案があればご教示願いたい。
ときどき書いているように今の職場は家から 6 km ほどの距離である。夏はドライの T シャツ一枚、今の時季でもその上にウィンドブレーカみたいなのを着ているだけだ。上着はロッカーにかけて T シャツは年中着替えて、着替えた T シャツは更衣室の壁に吊るしている。パンツはこれまで着替えたことはない。
以前のうちの会社までは 15 km ほどあった。このときは脱いだ T シャツを水洗いして事務所に干していたが、他所の会社でそういうことは流石にできない。
ウェブを検索しても仕事をするときの着衣のことは、着替えを持っていってそれに着替えるという話は出てくる。パンツも着替えるだのスーツを職場に置いておくなど、その手の話題は少し検索すれば苦労することなく見つけられる。
ところが着替えた後に残された汗塗れの衣類をどう保管しているかということに触れられた記事は探し方に問題があるのかもしれないが、まったく見つけることができなかった。
いや、いいんですよ、ビニール袋か何かに保管しておけばとりあえず職場で嫌がられることはないでしょう。しかし、袋に入れたまま家まで持って帰った頃にはどんなことになっているのか想像もつかない。今の時季はまだ細菌が繁殖することも少ないのでまだいいが、夏の暑いときなら家で袋から出したらどんなことになっているか知れたものではない。
調べて見つけられなかったので、自分なりに対策を考えてみた。
・干す
干せる環境のある職場はすばらしい。洗わなくても干しておくことができれば細菌の繁殖だけは抑えることができるし、汗でぼとぼとの衣類を持ち帰るという不快からも開放される。水洗いしてから干せばなおいいのは言うまでもない。
・水洗いしてから保管する
最低でも保管前に水洗いする必要はあるだろう。やったことはないが、汗でぼとぼとの衣類をそのまま袋に入れて家に着くまで保管していたら、どんなことになるか想像するのも恐ろしい。
・机の下で扇風機を廻す
「干す」の別案ともいえるが、水洗いした衣類を机の下で干すというのはどうだ。衣類を掛けるものが必要だが、それは大きな問題ではないかもしれない。
というところで思い出したが、今の職場でもバンダナもどきは水洗いして机の下に掛けている。以前は扇風機を廻していたが、なくても帰る頃には乾いている。ドライでも T シャツは扇風機が必要かもしれない。
いずれにしても流石にパンツは干せないだろうから、水洗いして袋に入れておくしかないだろう。
もっといい案があればご教示願いたい。
「芸能人格付けチェック」に思う ― 2010年01月26日 22時50分
些か古い話で恐縮だが、思い出したので書くことにする。
知っている人も多いと思うが、高級品と一般品を芸能人が判定し、その結果でその芸能人をランク分けするという元日の特番だ。
味覚は TV なので視聴者は判定のしようがないが、見ている限りでは一流品・超一流品と比較されるものもそれほど悪いものではないようだし、味覚以外の問題を見る限り判定の難しいものが多い。
そこで思うのだった。普通のものでも料理などは調理の味付けと工夫で一流品に遜色ない仕上がりにすることができる。あるいは超一流品と一流品の比較であれば、よほどの目利きでない限り判別できないということなのかもしれない。
弦楽器の比較でいつも思うのだが、演奏に関して言えば楽器のランクよりも奏者の腕前の方がものをいうような気がしている。
個人的に印象に残っているのがフルート奏者のジェームズ・ゴールウェイとヴァイオリン奏者のイツァーク・パールマンである。二人とも世界トップクラスの奏者だ。ゴールウェイは随分昔、日本で行われた公開授業の様子が TV で放送されていた。生徒は日本のプロ奏者である。彼らの演奏を聴いて、ゴールウェイが指導するのだが、生徒の演奏の後、先生であるゴールウェイの示す手本が素人の演奏とプロの演奏の差ほども違うのだ。生徒の音は丸い音でもないし、音に芯もない(ように聞こえてしまう)。生徒であるプロ奏者の演奏だけ聴いていれば、きっと普通に巧いのだ。ところがゴールウェイの音を聴いてしまうと、生徒であるプロ奏者の音がどうということのないぼやけた音にしか聞こえなくなってしまう。ゴールウェイの音は丸いだけでなく芯もある。とにかく音が輝いている。
パールマンも同様だ。パールマンの場合はセサミ・ストリートに出演したときのことだった。子供と何やら話をしていたのだが(当時は殆ど英語の会話が聞き取れなかった)、何気なく鳴らした一音に驚愕した。艶のある豊かな音だった。曲やフレーズを演奏していたら演奏技術に気を取られていたかもしれないが、彼は弓を上から下に下げただけの一音しか鳴らさなかった。逆にそれが鳴らされた音の凄さを示すことになったわけだ。音だけで感動したのはそれが初めてだった。
楽器の演奏は技術もさることながら鳴らす音が重要なのだということを彼らの音で理解した。
彼らは使用している楽器も高価なものだと思うが、数万円の安物であっても凄い音を鳴らすに違いない。言ってみれば達人は道具の能力をすべて引き出すだけでなく、それ以上の仕事をするのだと思う。
ただ、道具はいいものを使うべきだと言われるし、実際いいものを使えば道具が自分の能力を引き上げてくれるのも間違いがない。しかし、ある程度以上の道具になると価格と性能の差が比例しなくなってくる。十万円のヴァイオリンと百万円のヴァイオリンが判別できる人でも、一億円のヴァイオリンと十億円のヴァイオリンの差は判別できないだろうということだ。逆にそれくらいの道具になれば使いこなすためには使う人の技量が問われることになるように思う。
自転車でも何そうだと思うが、コストパフォーマンスの高い価格帯までは価格と性能が比例しているように思う。そこから上になるとどんどん性能なり品質が飽和に近づいてくるため、価格が性能に比例しなくなってくる。
ある程度いいものを選ぶことは必要だが、無駄にいいものを選んでも猫に小判ということになってしまうのだろう。その道を極めるのならともかく、そうでないのならコストパフォーマンスを考えて、ものを選ぶことが必要なのではないかと番組を見ながら考えてしまうのだった。
道楽は別かもしれないが。
知っている人も多いと思うが、高級品と一般品を芸能人が判定し、その結果でその芸能人をランク分けするという元日の特番だ。
味覚は TV なので視聴者は判定のしようがないが、見ている限りでは一流品・超一流品と比較されるものもそれほど悪いものではないようだし、味覚以外の問題を見る限り判定の難しいものが多い。
そこで思うのだった。普通のものでも料理などは調理の味付けと工夫で一流品に遜色ない仕上がりにすることができる。あるいは超一流品と一流品の比較であれば、よほどの目利きでない限り判別できないということなのかもしれない。
弦楽器の比較でいつも思うのだが、演奏に関して言えば楽器のランクよりも奏者の腕前の方がものをいうような気がしている。
個人的に印象に残っているのがフルート奏者のジェームズ・ゴールウェイとヴァイオリン奏者のイツァーク・パールマンである。二人とも世界トップクラスの奏者だ。ゴールウェイは随分昔、日本で行われた公開授業の様子が TV で放送されていた。生徒は日本のプロ奏者である。彼らの演奏を聴いて、ゴールウェイが指導するのだが、生徒の演奏の後、先生であるゴールウェイの示す手本が素人の演奏とプロの演奏の差ほども違うのだ。生徒の音は丸い音でもないし、音に芯もない(ように聞こえてしまう)。生徒であるプロ奏者の演奏だけ聴いていれば、きっと普通に巧いのだ。ところがゴールウェイの音を聴いてしまうと、生徒であるプロ奏者の音がどうということのないぼやけた音にしか聞こえなくなってしまう。ゴールウェイの音は丸いだけでなく芯もある。とにかく音が輝いている。
パールマンも同様だ。パールマンの場合はセサミ・ストリートに出演したときのことだった。子供と何やら話をしていたのだが(当時は殆ど英語の会話が聞き取れなかった)、何気なく鳴らした一音に驚愕した。艶のある豊かな音だった。曲やフレーズを演奏していたら演奏技術に気を取られていたかもしれないが、彼は弓を上から下に下げただけの一音しか鳴らさなかった。逆にそれが鳴らされた音の凄さを示すことになったわけだ。音だけで感動したのはそれが初めてだった。
楽器の演奏は技術もさることながら鳴らす音が重要なのだということを彼らの音で理解した。
彼らは使用している楽器も高価なものだと思うが、数万円の安物であっても凄い音を鳴らすに違いない。言ってみれば達人は道具の能力をすべて引き出すだけでなく、それ以上の仕事をするのだと思う。
ただ、道具はいいものを使うべきだと言われるし、実際いいものを使えば道具が自分の能力を引き上げてくれるのも間違いがない。しかし、ある程度以上の道具になると価格と性能の差が比例しなくなってくる。十万円のヴァイオリンと百万円のヴァイオリンが判別できる人でも、一億円のヴァイオリンと十億円のヴァイオリンの差は判別できないだろうということだ。逆にそれくらいの道具になれば使いこなすためには使う人の技量が問われることになるように思う。
自転車でも何そうだと思うが、コストパフォーマンスの高い価格帯までは価格と性能が比例しているように思う。そこから上になるとどんどん性能なり品質が飽和に近づいてくるため、価格が性能に比例しなくなってくる。
ある程度いいものを選ぶことは必要だが、無駄にいいものを選んでも猫に小判ということになってしまうのだろう。その道を極めるのならともかく、そうでないのならコストパフォーマンスを考えて、ものを選ぶことが必要なのではないかと番組を見ながら考えてしまうのだった。
道楽は別かもしれないが。
iPad の(読書装置ではない)可能性 ― 2010年01月31日 10時50分
iPad が発表されたのは周知の通りだ。
個人的にはこれまであまり関心がなかったし、発表された内容を見てもあまり魅力のある製品には思えない。
魅力的であるのは単に画面が大きいという点だけである。世間的には読書装置という位置付けではないかと言われている。新聞や雑誌などは確かに広い画面の方が読みやすいだろう。しかし、i文庫を愛用している私の場合、別に画面の大きさはそれほど魅力にはならない。ウェブを iPod の小さい画面で見るのは閉口することもあるが、携帯電話よりましと考えればそれほどでもない。
私が i文庫に満足なのは以下のところだ。
・どこでも読める
・すぐに読める
かなり以前から PC でも読書用のソフトというのがリリースされているが、これが読書に向いていないのは上記の理由を満足しないからである。普段からノート PC やらネットブックを持ち歩いている人なら比較的「どこでも読める」環境は実現できているだろうが、トイレにまで持ち込む人はそれほどいないだろうし、トイレに坐ってそんなものを開く人がいるだろうか。iPhone や iPod なら、普段ポケットに入っているので、ポケットから取り出すだけですぐ読める。
すぐにというのは起動してすぐにという意味で、Kindle は使ったことがないが、ノート PC やネットブックなら読めるようになるまで時間がかかるだろう。読書ソフトを起動したままスリープモードにしていれば「すぐに」という環境に近づけることはできるかもしれないが、そうでなければスリープを解除してアプリケーションを起動するのにかなり待たされることになるのではないか。
私の場合、文庫とほぼ同じ使いやすさを i文庫が(紙面デザインを含めて)実現したため、電子デバイスで読書をするようになったわけだ。すぐに読めるという環境は iPad でも同様に実現できるだろうが、どこでもという環境はその大きさからやや難しいと私は見ている。
なので私に限って言えば、iPad が読書装置として完成度を上げるためには簡単な操作で四つ折になり、なおかつ折り畳んだ状態で 1/4 の画面のまま使えるという機能が要求されるだろう。さらには 1/2 の大きさでも使えるともっといいかもしれない。
ということで iPad は私にとって魅力のある製品には映らないのだった。
ただ、iPad にはそういう面白くない製品で終らない可能性があるような気がしている。ゲームではない。楽器だ。
iPod/iPhone 用にすでにいろいろな音楽ソフト、楽器ソフトが出ている。iPhone 専用のものは試したことがないが、多くのソフトが画面の広さに制約を受けている。楽器として成立するためには最低でも片手が自由に使える必要があるのではないかと思っていて、iPod/iPhone ではそこに制限されているような気がする。
新しい楽器でもいいし、新しいシーケンサでもいいが、楽器にこそこの装置の可能性が秘められているように思うし、それでこそ Apple らしい製品ではないか(今の Apple にはマーケットの広さとしての魅力に乏しいだろうが)。加速度センサなども利用してテンポや音色が変化させられる楽器というのも出てくるかもしれない(これは iPhone でも実現できるが)。一本の指で音を鳴らし、もう一本の指でピッチが変えられるある種の打楽器ならそんなに難しくないかもしれない。ヤマハの Tenori-on のような楽器も実現しやすくなるだろうし、それを超える面白い楽器も出てくる可能性は大いにある。その期待に応えられるだけの素質は十分にあるデバイスだ。
個人的にはこれまであまり関心がなかったし、発表された内容を見てもあまり魅力のある製品には思えない。
魅力的であるのは単に画面が大きいという点だけである。世間的には読書装置という位置付けではないかと言われている。新聞や雑誌などは確かに広い画面の方が読みやすいだろう。しかし、i文庫を愛用している私の場合、別に画面の大きさはそれほど魅力にはならない。ウェブを iPod の小さい画面で見るのは閉口することもあるが、携帯電話よりましと考えればそれほどでもない。
私が i文庫に満足なのは以下のところだ。
・どこでも読める
・すぐに読める
かなり以前から PC でも読書用のソフトというのがリリースされているが、これが読書に向いていないのは上記の理由を満足しないからである。普段からノート PC やらネットブックを持ち歩いている人なら比較的「どこでも読める」環境は実現できているだろうが、トイレにまで持ち込む人はそれほどいないだろうし、トイレに坐ってそんなものを開く人がいるだろうか。iPhone や iPod なら、普段ポケットに入っているので、ポケットから取り出すだけですぐ読める。
すぐにというのは起動してすぐにという意味で、Kindle は使ったことがないが、ノート PC やネットブックなら読めるようになるまで時間がかかるだろう。読書ソフトを起動したままスリープモードにしていれば「すぐに」という環境に近づけることはできるかもしれないが、そうでなければスリープを解除してアプリケーションを起動するのにかなり待たされることになるのではないか。
私の場合、文庫とほぼ同じ使いやすさを i文庫が(紙面デザインを含めて)実現したため、電子デバイスで読書をするようになったわけだ。すぐに読めるという環境は iPad でも同様に実現できるだろうが、どこでもという環境はその大きさからやや難しいと私は見ている。
なので私に限って言えば、iPad が読書装置として完成度を上げるためには簡単な操作で四つ折になり、なおかつ折り畳んだ状態で 1/4 の画面のまま使えるという機能が要求されるだろう。さらには 1/2 の大きさでも使えるともっといいかもしれない。
ということで iPad は私にとって魅力のある製品には映らないのだった。
ただ、iPad にはそういう面白くない製品で終らない可能性があるような気がしている。ゲームではない。楽器だ。
iPod/iPhone 用にすでにいろいろな音楽ソフト、楽器ソフトが出ている。iPhone 専用のものは試したことがないが、多くのソフトが画面の広さに制約を受けている。楽器として成立するためには最低でも片手が自由に使える必要があるのではないかと思っていて、iPod/iPhone ではそこに制限されているような気がする。
新しい楽器でもいいし、新しいシーケンサでもいいが、楽器にこそこの装置の可能性が秘められているように思うし、それでこそ Apple らしい製品ではないか(今の Apple にはマーケットの広さとしての魅力に乏しいだろうが)。加速度センサなども利用してテンポや音色が変化させられる楽器というのも出てくるかもしれない(これは iPhone でも実現できるが)。一本の指で音を鳴らし、もう一本の指でピッチが変えられるある種の打楽器ならそんなに難しくないかもしれない。ヤマハの Tenori-on のような楽器も実現しやすくなるだろうし、それを超える面白い楽器も出てくる可能性は大いにある。その期待に応えられるだけの素質は十分にあるデバイスだ。
最近のコメント