自転車で警笛2008年03月08日 21時55分

道の真ん中を歩いている人や並走している自転車がいるときがある。並走は論外だが(道路交通法違反)、歩道ならともかく、これを車道だったり歩道のない狭い道でやられると邪魔なことこの上ない。自転車にはベルが付いているので鳴らして注意を促すことがある。ところがベルというのは自転車であることを相手に知らしめるので「どうせ自転車だから遅いだろう」と考えるのだろう。よけてくれないことが多い。

だったらというので考えたのが車のクラクションが自転車で鳴らせないかということだった。クラクションだったら鳴らされた相手は車だと思ってくれるだろうから何も考えずに道を開けてくれるに違いない。探したことはないが、実際のクラクションは DC 12 V 駆動だろうから、そんなものを鳴らそうとするとバッテリが必要になる。明らかに現実的ではない。

それ以上思考が廻転しないまま今日に至る。

ところが、今日あるものをウェブで探していたら面白いものを見つけた。ターボスポーク(http://www.turbospoke.com/pg_products/products.asp)という商品だ。おもちゃっぽいのが難点だが、本物のバイクの音質と音量が得られるのであればいいかもしれない。ベルを鳴らさなくても走っているだけでよけてくれるだろう。本物のバイクと較べると速度が遅いのと、本物のようにふかせないところが辛い。それでもそういう意味の商品としては魅力的だ。電源不要というのもいい。

ただ、心配な点はある。これを取り付けることによってダイナモのように走りが重たくならないかということだ。見る限りダイナモのような負荷がかかりそうには思えないので、レース用の自転車でなければそれほど神経質になることはないと思われる。次にスポークが傷まないのかということだ。同じところをこすり続けるので多少なりとも心配だ。そもそもが子供用の玩具という商品なので耐久性があるとも思えない。毎日 10 km 以上走行するようなケースは想定されていないだろうから、どの程度もつのかが気になるところだ。

さらに心配なのはこれが有効なのは最初の一回だけではないかということだ。本物のバイクと同じ音量と音質が得られるののであれば何回かは同じ相手に有効かもしれないが、同じような時間に毎日走っているとそのうち憶えられてしまい「またか」ということで結局当初の目的が達成できない可能性もある。

そもそもいい歳をしたおっさんがこんなものを付けて毎日走っていたら間違いなく頭がイカれていると思われるに違いない。それはそれで心配だ。
こんなものを付けて勤務先に毎日自転車を乗り入れたら勤務先はどういう反応を示すだろうか。守衛の間で話題になる程度ならまだいい。勤務先中で噂になり、人事とか総務から呼び出しを喰らうとか、あるいは遠まわしにうちの会社が呼び出されていろいろ言われるということにでもなればその勤務先では仕事ができなくなってしまう。業界というのは広いようで案外狭いというのも影響するだろう。そこの会社から出入り禁止ということになったとして、他所で仕事があればいい。うちの会社に仕事の依頼がきて、おれが担当することになる。その後担当者が発注先に知られるところとなり、「いや、まことに申し訳ないが仕事はなかったことにしていただきたい」などと鄭重な断りを言われるようになってしまえばうちの会社からも追い出されることになってしまう。
合衆国なら「ファンキーなやつがいる」ということで逆に仕事を貰えたりするかもしれないが、日本ならよほどの粋人でない限りそんなことは言ってくれない。いずれ嫁からも見放されることになって悲惨な人生を送ることになるだろう。

帰宅困難者の帰宅について2008年03月10日 23時10分

ニュースによれば内閣府の調査で首都直下型地震で地震後自宅に帰ろうと考えている帰宅困難者が 7割に達するらしい。自宅までの距離が 10 km で 76%、20 km で 68%、30 km でも 60% が帰ろうと考えているということだ。

この数字をどう見ればいいのかはよくわからない。ただ、疑問に思うのは自分がどこにいてどちらの方角に帰ればいいのかわかるのだろうか。阪神大震災のときの神戸はどこがどこだかわからないという話だった。それでもうちの前の社長はわざわざ大阪から単車で様子を見に行く(早い話が見物)と言って現地でパンクさせて乗り捨てて帰ってきたという呆れたおやじである。このおっさんのことはどうでもいいが、行って帰ってきたわけだから、まるっきりわからないわけではないようだ。

帰ろうと考えている人がどういう交通手段で都心に行き、そこで地震に遭うかにもよると思うが、交通機関やら車で移動した人は基本的にそれら移動手段は使えない筈である。だとすればどうやって帰るつもりなのか。交通機関は寸断され、道路も寸断されたり緊急用車輛や物資を運ぶ車が優先されるので歩く以外にはないだろう。しかし、彼らは果たして本当に都心から自宅まで歩いて帰るつもりか。
そもそも都心から自宅まで仮に 10 km であったとして、その距離を自分の感覚として把握している人間がどれくらいいるだろう。

話は逸れるが自転車に乗るようになるより以前、難波で会社の宴会があった。深夜まで飲んでいたのでタクシーを除いて交通機関は動いていない。金もないので同じ方角の人間二、三名で歩いて帰ることになった。方角はわかるのでとりあえず淀屋橋を目指して歩く。さらには、京橋を目指して歩く。その辺まで歩くと流石にくたびれてくる。それでも私はまだ歩くつもりだった。ところが一緒に歩いているやつが「もう歩けない」と言い出し、ついに京橋の少し先でタクシーに乗って帰った。そのときは家まで歩くつもりだったが、そこからどれくらい歩けばうちまで辿り着けるのかは知らなかった。タクシーの中からどのくらい走るのかぼんやり眺めていた。思いの外長距離で、タクシーに乗ってよかったと考えたことを記憶している。さらには、こんなところも通るのかと車窓の景色を眺めながら考えてもいた。

要するに普通の人は距離感も含めて自宅までの土地勘というものがないのだ。大体平時ですら都心から自宅まで歩いて帰ったことがない者が大地震で崩壊した都市を自宅までの 10 km だの 20 km だのという距離を歩こうということ自体が無謀な考えであることをそのときの経験で感じている。

翻って今の私である。難波から歩いて帰る自身があるかというと、それはわからない。しかし、どのような道をどれくらい歩けばいいのかはほぼ把握している。仮にある道が使えなくても複数のルートで帰る自信はある。ただ、大地震で都市が崩壊した状態で迷わずに帰ることができる自信があるかというとそれもわからない。それでも距離感を把握し土地勘があることの意味は大きい。譬え帰れなくとも場所さえわかれば、何かあった場合に対応の仕方が違ってくる。普段、車で移動している人もある程度地理は頭の中に入っているだろうが、それは車で移動したときのものであって徒歩のものではない。車で 5分が徒歩だとどれくらいになるのか感覚として理解している人は少い。ほんのすぐそこくらいにしか考えていないだろうが自分の足で歩けばどれくらいかかるのか、本当に自分が歩けるのかわからないに違いない。それは大地震で崩壊した都市の中ではかなり危険なことだろう。偉そうに言うが私自身も歩いて帰ったことはないので、それほど違いはないのかもしれないが、平均速度は車と同じでも自転車はより徒歩に近い感覚が得られる。それが強みだと思っている。さらには車に乗っている人と違って距離を把握していることだ。遠くに行くときなどは何キロ走ったなどと言っているが、普段走っているところが何キロあるということは案外把握していないものだ。因みに私の場合、難波から家までざっと 23 km 程度である。

冒頭の調査では夜間の場合ですら、帰宅を考える人は一割ほど減少する程度で、かなりの人が自宅を目指すつもりらしい。いつもの目印は本当に利用できるのか。普段ならある筈の都市の明りはあるのか。そもそも方角はわかるのか。帰宅途中、疲れたときに口にする食べ物や飲み物は手に入れることができるのか。決った方向に人の流れがあるとも考えにくいが、仮にそれがあったとして自分がその流れに乗れば自宅に帰ることができるとでも思っているのか。間違って逆の方向に歩いているとも限らない。わからないのであればあっさり諦めるのが自分のためだし、他人に迷惑をかけない方法でもある。当然ながら、災害時は平時ではないのだ。

楽しい歯磨き2008年03月11日 22時50分

正直なところ、私にとって歯磨きはあまり楽しいものではないしそれほど好きでもない。ただ、この二日間少し磨き方を変えることによって歯の表面がつるつるになるようになった。

実際のところこの磨き方は知っていたし、たまにそうやってつるつるになる感触も得ていたことがある。それでもなかなかこの磨き方に徹することができない。どういうふうに磨くかといえば、ごしごしと歯ブラシを歯に押し付けて磨くのではなく表面をなぞるように磨く。コマーシャルでやっているように小刻みに磨くことまではできないが、自分ではそれに近付けているつもりである。二日続くというのはかつてなかったことなのでこれはこれで凄いことだ。お蔭で今までと比較すると念入りに磨いている。歯医者に言わせればそれでもまだまだなのだろうが、舌で歯をなぞればつるつるなのが嬉しい。そこが楽しい。

夜、私は湯船に浸かりながら歯を磨く。歯を磨く時間が節約できるからだし、冬は寒い洗面所で歯を磨かなくて済むのがいいからだ。ところが私は風呂に長く入っていることができない。所謂烏の行水というやつだ。その理由は単純で顔が暑くて鬱陶しいからだ。余談だが私は耳が熱くなると眠れなくなる。
あるとき有馬のホテルの露天風呂に浸かっていると体は温かいが顔は風が吹いて気持ちがよかったという体験をした。頭寒足熱というのとは若干違うような気もするが顔がひんやりしていると風呂に長く入っていても気持ちのいいことを知った。翻って内風呂である。窓はあるが、そんなに風が入り込んでくることもないし、風が入ったとしても湯の上を撫でてから入ってくるのであまりひんやりとしていない。結局顔がひんやりしないのであまり気持ちよくなれず、すぐに上がってしまうことになる。それがこの磨き方をすると厭でも最後まで浸かっていなければならい。それはそれで嬉しくないような気もしている。ただ、烏の行水もどうかと思っているので、複雑な気分ではあるのだった。

人力発電2008年03月15日 11時35分

以前、自転車で発電(http://zeny.asablo.jp/blog/2007/08/01/1695752)という話を書いた。ちょっとコンセプトは違うが「まわしてチャージ 充電丸」という商品が売られているらしい。こっちはコンパクトで自転車がいらないから手軽に充電ができそうだ。

ただ、この商品で気になる点がいくつかある。

・満充電でどの程度使えるのか
一応 12 V/7.2 Ah と書いてはあるものの、この数値を見てどの程度の性能かを判定する知識がない。調べたところうちの軽自動車のバッテリ容量の 1/4 ではないかと思われる。それが多いのか少いのかはわからない。

・充電時の騒音はどの程度か
発電時は自転車のダイナモと同じような音がするらしい。それを家の中で発電したときにどういう騒音として家の中で聞こえるのかがよくわからない。家の特性にも依存するので一概には言えないだろうが、階下で聞こえる騒音などはどの程度あるのだろう。

・クランク径は適当か
写真で見る限りではクランク径がかなり短い。子供用三輪車と同じくらいに見える。大人が漕ぐのに適当な長さなのだろうか。ヒットすればその辺も選べるようになるかもしれない。

・充電しながら使えない
使い勝手の問題は仕様として重要だ。できれば充電しながらでも電気が取り出せるようになっていると製品としての魅力が出てくる。この製品のように充電時は電気が使えないという場合、使用しながら充電しようと思えば予備のバッテリを用意しておいて交換しながら使用するしかない。予備のバッテリが入手できるかどうかが調べられなかったが、入手できないのであればさらに問題点が増えることになるだろう。

それでもローラー台で発電というアイディアよりは汎用的な製品に思えるし、小さいという点もいい。さらに価格も手頃だ。
「自転車で発電」のときにはエアロバイクは粗大ごみになる可能性が高いと書いた。発電するという「報酬」があるので単にダイエット器具としてのエアロバイクよりも継続性が高いというような意見をウェブのどこかで見た。確かにそうかもしれない。だとすればこれも価格が手頃な製品が出てくれば結構売れるかもしれない。負荷設定がローラー台と同じようにでき、心拍数なども測定でき、当然エアロバイクで使用する電気を発電で賄えるのであれば私だって買うかもしれない。

根はミーハーなのだった2008年03月23日 12時35分

元来 TV には興味がなく結婚するまでは朝のニュースを時計代りに見る程度だった。TV なんかなくても生活していけると思っていて、ハイビジョン対応の TV 受像機を買うくらいならいいステレオが欲しいという口だ。ところが嫁が TV っ子で暇さえあれば見るので必然的に横で見ることになる。

先週終了したドラマ「鹿男あをによし」もそういう番組の一つだ。ドラマとしては珍しく奈良が中心舞台になっている。その割に誰一人として奈良弁やら大阪弁、京都弁を喋っていなかった。
東大寺だの奈良公園だのという主要な観光地がロケで使用されるのは当然としても、それ以外にもロケで使用されていたのはあちこちのサイトで話題になっている。奈良は家からもそんなに遠くないし、15年以上前に 5年ほど住んでいたことがある。
私が最初に驚いたのは静観荘だった。何話だったか忘れたが、主人公らが飛鳥に行って帰れなくなってしまって泊った宿という設定になっていた。実は奈良市内というのはあちこちで書かれているが、この旅館を知ったのは奈良に住んでいたときのことだ。たまたま知り合いになったアメリカ人が旅行で滞在していた宿で、そのときに何度か行ったことがある。その後アルゼンチンの友人が日本に来たときには一泊した。この旅館は国内客より海外からの観光客によく知られた宿らしい。ガイドブックにも載っていた。今でもそうなのかわからないが、トイレや風呂は共同で和式しかない。確かに風情のある旅館で、中庭がすばらしい。日本を堪能できる宿泊施設としては随一かもしれない。ロケ地で使われたのもそのへんが理由にあるのだろう。

続いて驚いたのは堀田という生徒を探す場面で主人公が立ち寄った場所のいくつかだ。藤原が出てきた書店は奈良に住んでいた当時の最寄駅である新大宮の駅前にある書店だし、小川が入ったカラオケ店は後で知ったが、当時住んでいたところからすぐのところにあるらしい。どういう理由で新大宮がロケ地に選ばれたのかはわからないが観光地からは少し離れているし、特筆すべきところのない場所である。

しかし、奈良の静観荘が飛鳥であったり、最終回で使われた「奈良」駅が実際には天理駅だったり、ドラマというのは結構現実を無視して作られているが、「奈良」駅については駅名表示まで差し替えられていたりして結構大掛かりだ。

こうしてみると自分も結構ミーハーであることに気が付く。
以前書いたジーベックホールのコンサートで細野さんを見たというのはその新大宮に住んでいた当時の話だ。

どうやらあれこれニアミスな人生を送っているらしい。

バルコニーの春2008年03月23日 21時10分

いよいよ春である。冬は平均気温を下回っていたのに、暖かくなったらいきなり平均気温を上回っている。今年の夏も暑いのかもしれない。

さて、わが家のバルコニーである。去年はそろそろ緑色になりかけた頃だったような気がするが、今年は冬に雨が多かったためかすでにかなり緑が混ざっている。逆に去年は多かった雑草は寒かった分まだ少い。
この冬はどういうわけか鳥がアーモンドほどの大きさの白い種のようなものを運んできているようで、芝の上にばら撒かれていたりもする。

去年、アシナガバチが巣を作っていたテーブルは今月の粗大ごみで廃棄する予定だ。二週間ほど前に分解してバルコニーの床に置いていた。粗大ごみの前日に廃棄すればいいだろうと考えていたら甘かった。今日見たら床にべた置きしてあるにも拘らずアシナガバチが二匹もいた。一匹は去年越冬しようとしていた女王ではないかと思うが、もう一匹はどこから来たのだろう。なぜこのテーブルはこんなにアシナガバチに人気があるのか。前にも書いたようにアシナガバチは巣に悪戯しなければそんなに危険な蜂ではないらしいが、とにかく嫁が虫嫌いなので巣を作ってもらっては困るのだ。
幸いまだ巣は作られていないので、今のうちに降ろしておくのが得策だろう。巣を作ってからでは蜂も可哀想だ。
飛んでいってくれればその隙に階下に運ぶのだが、なかなか離れてくれない。ロープはないし、かといって投げ捨てるわけにもいかない。ちょっとやそっとでは離れないようだから家の中で飛んでいかないことを期待して階段で降ろすことにする。何とか無事に蜂付のまま玄関から表へ。粗大ごみの日までにどこかに行ってくれることを期待している。