嵐山までサイクリング ― 2006年06月04日 20時40分
嵐山までサイクリングした。地図で距離を測定するとどうも片道 50 km もないらしいので予てから京都までサイクリングするつもりでいたが、このところの週末の悪天候などもあって実現しないままだった。
金曜、土曜と食べ過ぎて体重が増えたこともあり、天気もいいので走ってみることにした。片道三十数キロの想定で計画していたら実際には 40 km 以上あった。計画段階では目的地を明確に設定せず、ただ「京都」としていたので距離があったのだろうが、比較的ゆったり走っても 4時間あれば往復できるだろうと考えていた。ところが実際に走ったら普通に走って 4時間弱あった。途中で休憩したりしたが。
驚いたことに帰って体重を測定すると朝から 3 kg も減っていた。これは凄いと驚いていたが、翌日には金曜の朝の体重よりは少いという程度に戻していた。それが維持できるかと思っていたらあっという間に元に戻り、6 日には増加すらしている。どういうことだと思ったら体脂肪率が減って代謝量が増加している。筋肉が増加しているらしい。これは長距離走行を継続したい気にさせられるが平日に半分の 40 km を走ることすら容易ではない。週に二日程度は会社の帰りに遠回りすることは検討しているがどうなることか。
去年出場した鈴鹿の 8耐の日に自分が走った分がざっと 70 km 程度だったので自分の最長記録は更新したことになる。当面の目標である一日 100 km はまだ達成していないが、感覚は掴んだつもりなので年内には何とかなりそうだ。
金曜、土曜と食べ過ぎて体重が増えたこともあり、天気もいいので走ってみることにした。片道三十数キロの想定で計画していたら実際には 40 km 以上あった。計画段階では目的地を明確に設定せず、ただ「京都」としていたので距離があったのだろうが、比較的ゆったり走っても 4時間あれば往復できるだろうと考えていた。ところが実際に走ったら普通に走って 4時間弱あった。途中で休憩したりしたが。
驚いたことに帰って体重を測定すると朝から 3 kg も減っていた。これは凄いと驚いていたが、翌日には金曜の朝の体重よりは少いという程度に戻していた。それが維持できるかと思っていたらあっという間に元に戻り、6 日には増加すらしている。どういうことだと思ったら体脂肪率が減って代謝量が増加している。筋肉が増加しているらしい。これは長距離走行を継続したい気にさせられるが平日に半分の 40 km を走ることすら容易ではない。週に二日程度は会社の帰りに遠回りすることは検討しているがどうなることか。
去年出場した鈴鹿の 8耐の日に自分が走った分がざっと 70 km 程度だったので自分の最長記録は更新したことになる。当面の目標である一日 100 km はまだ達成していないが、感覚は掴んだつもりなので年内には何とかなりそうだ。
方向音痴 ― 2006年06月06日 22時52分
どのくらいの割合で人が方向音痴なのかは知らないが、周囲にもそういう人がいる。自分の勤務している工場の中のそれも割合よく通っている場所ですらわからないという人までいたりする。
これまで方向音痴の人が取ってきた行動を見てきて、どうやら彼らは地図を持たせると自分の向いている方角と地図を一致させようとするらしいことがわかった。すべての方向音痴の人がそうするかどうかはわからないが、見てきた人はほぼ同じ行動を示した。彼らに地図を渡してどこかに行かせると地図をくるくる回転させながら進んでいく。こっちは目が回りそうだ。
間違っているかもしれないが、彼らの頭の中に常に一定の方角を示すものがないのではないだろうか。私自身は方向音痴ではなく、地図を見るときは常に北を上にして見る。仮にそうなっていない場合でも頭の中で北が上を向くようにしてから地図を眺めることにしている。それによって自分の今向いている方向と北がどれだけずれているかが把握でき、仮に道に迷ってもどこか理解できる場所まで戻ることができる。自分が東を向いていようが南を向いていようが地図を見るときは北が上である。地図がなくても北がどちらであるかを把握しようと努める。だから進んでいくうちに道が直角ではなくいやらしく曲っているときはときとして方角を見失うことがある。そのときは方向音痴になっているが、それでも迷ったと判断すれば北の把握に努力するので大抵はすぐに自分の向いている方角を掴むことができる。
ところが方向音痴の人は頭の中に基準となる方角を持っていないから、いつも自分の向いている方向から場所を把握しようと努めているらしい。地図を回転させるということから推測すればそういうことになる。だから自分が向いている方角が把握できず、結局自分の進行方向頼みになってしまうような気がする。
方向音痴の人が曲った地点を記憶するために自転車、車などの移動体を手がかりにして道を把握しようとするから駄目だという説もあるらしいが、それだと方向音痴でない人が地図もなく適当に歩いて目的地に辿り着くという説明がつかない。道を知るのに地図は便利だが、それ以前に頭の中に方角を持つことが方向音痴克服の近道かもしれない。
これまで方向音痴の人が取ってきた行動を見てきて、どうやら彼らは地図を持たせると自分の向いている方角と地図を一致させようとするらしいことがわかった。すべての方向音痴の人がそうするかどうかはわからないが、見てきた人はほぼ同じ行動を示した。彼らに地図を渡してどこかに行かせると地図をくるくる回転させながら進んでいく。こっちは目が回りそうだ。
間違っているかもしれないが、彼らの頭の中に常に一定の方角を示すものがないのではないだろうか。私自身は方向音痴ではなく、地図を見るときは常に北を上にして見る。仮にそうなっていない場合でも頭の中で北が上を向くようにしてから地図を眺めることにしている。それによって自分の今向いている方向と北がどれだけずれているかが把握でき、仮に道に迷ってもどこか理解できる場所まで戻ることができる。自分が東を向いていようが南を向いていようが地図を見るときは北が上である。地図がなくても北がどちらであるかを把握しようと努める。だから進んでいくうちに道が直角ではなくいやらしく曲っているときはときとして方角を見失うことがある。そのときは方向音痴になっているが、それでも迷ったと判断すれば北の把握に努力するので大抵はすぐに自分の向いている方角を掴むことができる。
ところが方向音痴の人は頭の中に基準となる方角を持っていないから、いつも自分の向いている方向から場所を把握しようと努めているらしい。地図を回転させるということから推測すればそういうことになる。だから自分が向いている方角が把握できず、結局自分の進行方向頼みになってしまうような気がする。
方向音痴の人が曲った地点を記憶するために自転車、車などの移動体を手がかりにして道を把握しようとするから駄目だという説もあるらしいが、それだと方向音痴でない人が地図もなく適当に歩いて目的地に辿り着くという説明がつかない。道を知るのに地図は便利だが、それ以前に頭の中に方角を持つことが方向音痴克服の近道かもしれない。
刃物の日 ― 2006年06月18日 16時51分
今日は図らずも刃物の日になった。何とかに刃物という諺もあるが、鬼に金棒とどう違うのだろう。どちらも最強であるには違いないと思うが。
私は何とかではないし、鬼でもないので最強というわけにはいかないのが残念である。暫く前に庖丁を砥げと言われていて、本来であれば先週の週末に砥ぐ予定が忘れていたので今日になった。まだ数回しかやったことがないので馴れないのでうまくやれないばかりか滅多にやることがないので毎回試行錯誤になる。今回は砥いでいる最中に指先を切ってしまったらしい。少し痛いので 4本で止めてしまった。
次は芝刈りだ。これも少し前に芝刈り機を購入していたが使うのは初めてである。わが家の芝はバルコニーの緑化なのでそんなに広くない。わざわざ高い電動式を買うに及ばないので手押し式の芝刈り機だ。これまた要領がよくわからなかったが、馴れてくると楽しい。縦横と何度か刈らなければ虎刈りになり不細工な仕上りになる。刈った芝は芝刈り機の前にひっかけてある受け皿に面白いように溜る。道具を使って草刈りだの芝刈りだのやったことがないので刈った草はもっと切り口が千切られて汁が出るのかと思っていた。受け皿の刈られた芝は汁でお互いや受け皿にくっついて捨てるのが大変かと想像していたらそんなこともなくふわふわしていたのが意外だった。
同時に植えた割には場所によって育ち方が違うが刈るとまあまあ均一になって散髪したようにさっぱりした。ただ縁の部分を芝刈り機で刈ることができないので、鋏でちょきちょきするが、下手な散髪屋のように残ってしまい、そこがみっともない。まあ初回にしては綺麗になった。機械でやるのだから均一に仕上って当り前か。狭い面積だがこれを全部手で刈るとなると一日がかりかもしれない。
私は何とかではないし、鬼でもないので最強というわけにはいかないのが残念である。暫く前に庖丁を砥げと言われていて、本来であれば先週の週末に砥ぐ予定が忘れていたので今日になった。まだ数回しかやったことがないので馴れないのでうまくやれないばかりか滅多にやることがないので毎回試行錯誤になる。今回は砥いでいる最中に指先を切ってしまったらしい。少し痛いので 4本で止めてしまった。
次は芝刈りだ。これも少し前に芝刈り機を購入していたが使うのは初めてである。わが家の芝はバルコニーの緑化なのでそんなに広くない。わざわざ高い電動式を買うに及ばないので手押し式の芝刈り機だ。これまた要領がよくわからなかったが、馴れてくると楽しい。縦横と何度か刈らなければ虎刈りになり不細工な仕上りになる。刈った芝は芝刈り機の前にひっかけてある受け皿に面白いように溜る。道具を使って草刈りだの芝刈りだのやったことがないので刈った草はもっと切り口が千切られて汁が出るのかと思っていた。受け皿の刈られた芝は汁でお互いや受け皿にくっついて捨てるのが大変かと想像していたらそんなこともなくふわふわしていたのが意外だった。
同時に植えた割には場所によって育ち方が違うが刈るとまあまあ均一になって散髪したようにさっぱりした。ただ縁の部分を芝刈り機で刈ることができないので、鋏でちょきちょきするが、下手な散髪屋のように残ってしまい、そこがみっともない。まあ初回にしては綺麗になった。機械でやるのだから均一に仕上って当り前か。狭い面積だがこれを全部手で刈るとなると一日がかりかもしれない。
芝茫茫 ― 2006年06月24日 17時14分
先週芝を初めて刈った話は前回書いた通りだが、先週は芝を敷いてから一箇月目だったのに今週はいきなり同じくらい伸びている。雨が少し多かったということはあるにしてもそれだけで説明がつくようには思えない。理由を考えていても成長を抑えられるわけでもないので今週も芝刈りをする。前回もそうだが今回も 3 cm 程度に設定して刈るが、その後ウェブを見ていると短ければ短いほどいいと書いてあるので 2 cm 程度にしてもう一度刈りなおす。
少し前に周縁部分が一部枯れてきて慌てて水をやるようにしたら、少し回復してきた。この時季だと週に二回程度らしいが、少くとも周縁部については二日に一度水をやらないと枯れてしまうようだ。
今日は曇るという昨日の予報にも拘らずいい天気だった。明日はまた天気が下り坂らしいので水をやらなくてもいいかと考えてはみたが、枯れても困るので少し撒く。
一方の黒松だが手入れが下手なのだろうがとうとう最後の一本まで萎れてしまった。なかなかうまくいかないものだ。
少し前に周縁部分が一部枯れてきて慌てて水をやるようにしたら、少し回復してきた。この時季だと週に二回程度らしいが、少くとも周縁部については二日に一度水をやらないと枯れてしまうようだ。
今日は曇るという昨日の予報にも拘らずいい天気だった。明日はまた天気が下り坂らしいので水をやらなくてもいいかと考えてはみたが、枯れても困るので少し撒く。
一方の黒松だが手入れが下手なのだろうがとうとう最後の一本まで萎れてしまった。なかなかうまくいかないものだ。
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