社内公用語の英語化2010年07月01日 21時20分

楽天が社内公用語を英語にするらしい。少し前にもユニクロが同じようなことを言っていたような気がする。

個人的にはそれがいいことなのか悪いことなのかよくわからない。一応まともな英語の使える人はそれほど問題ではないだろう。問題は英語のできない人だ。
英語ができないから問題だというのではない。そういう人が使うおかしな英語が社内の標準英語として通用することになるのではないかという心配だ。いやまあ Singlish とかローカルな英語はあるので日本語ベースの英語があって悪いことはないのかもしれない。おそらくそれは経営層の考えとは異なるものであろうし、企業ごとにそんな方言が出てくる可能性だってないとは言えない。日本語ですら他の会社では通用しない「社内方言」とでも言うべきものがあるのだから、会社の数だけ英語ができれば英語バベルの塔のようなことになってしまう可能性もある。これはこれで本末転倒だろうし、経営層の本意でもないに違いない。そうはいっても周囲と異なる言語を使用するということは、それはそれで一種の「井の中の蛙」になってしまうので、外国人や企業とコミュニケイションを取るといっても社内のコミュニケイションが圧倒的であろうから、そうなる可能性は大きいように思う。

さらに、社内の延長線でそのまま何でもカタカナで外部の人と喋ってしまう変な人が増える心配だ。ただでさえ「ビジネス」だの「コンプライアンス」だの何でもカタカナことばで表現しようとしたがる職業人が多くて閉口しているのに、そういう人種が増大するのを助長する懸念は大きい。

英語の社内公用語化でそれぞれの会社が孤立しないように祈るばかりである。

スマートフォンとガラパゴス携帯2010年07月11日 22時15分

スマートフォンが日本でも普及してきたらしい。それに伴って従来からの主流である携帯電話機(所謂ガラパゴス携帯)と比較する記事や人が増えてきた。

これまで見たところではガラパゴス携帯でできることができないからスマートフォンはまだ駄目だとか、これからはスマートフォンの時代だとかいう議論になりがちなようである。

私には携帯電話は無用の長物に近い。
通話時間は平均すると月に 1分以下、携帯でメールするのは面倒なので殆どしない。無駄に電話会社に寄附しているようなものだ。考えてみれば勿体ない話である。

そんなわけだから、通話とメール機能から発展してきたガラパゴス携帯は私にとって魅力はない。未だに五年前の G'zOne を使っているので電子マネーも利用したことはないし、ワンセグも見たいと思わないのでどうだっていい。携帯専用サイトなんか利用したことはないし、i-mode 何ですか、それ、という具合だ。携帯で音楽を聴くことはないし(聴きたい音楽がダウンロードできるようには思えない)、ましてや音楽をダウンロードすることもない。だからガラパゴス携帯に満載の機能は防水機能を除いて私には何のメリットも齎さないのであった。

一方のスマートフォンであるが、これも私にはあまり魅力のある製品ではないように見える。スケジュール管理というほどのスケジュールはないし、外出先で Word や Excel を開きたいということもない。以前と違って iPhone には興味があるし、実際のところいろいろな都合で iPhone 4 を予約したりもしているが、「スマートフォン」だからという理由で iPhone を買おうとしているわけではなく、電話付 iPod touch として購入しようとしている。

なので、私の場合、電話機というところから出発する装置にはあまり関心が持てない。だから、どちらを選択するかとか、どちらがいいかというような議論にはあまり関心が持てないし参加する気もない。
ただ、どちらがいいかと訊かれるとスマートフォンである。理由はマルチリンガルに対応しているかどうかというこの一点に尽きる。iPhone 以外のスマートフォンについては詳しくないのでわからないが、大半のスマートフォンは外国由来であるので、マルチリンガルであろうと想像して書いている。

別に私は多言語をばりばり使っているわけではない。第二言語の英語ですらかなり怪しい。それでも多言語を必要とする機会はある。音楽であったり、友人であったりするわけだ。

ガラパゴス携帯の場合、いくら多機能でスマートフォン並の機能があっても、私の知る限り OS レベルで多言語対応しているという話を聞いたことがない。尤も携帯電話機に関心がなくて知らないだけかもしれないので、対応していれば素直に謝る。
これは国内の携帯音楽プレーヤを選択するという場面でも同じだ。私の場合、最初から iPod なので他の音楽プレーヤのことはわからないが、iPod はマルチリンガル対応だった。スペイン語のアクセント付アルファベットだろうが繁体字中国語だろうが普通に表示してくれる。

曲名にしても歌詞にしても、持っている CD をすべて入れることになれば私の場合マルチリンガルでなければ話にならない。ところが国内メーカの製品は大抵マルチリンガルというようなことを前提に設計している様子は窺えない。とりあえず英語が表示できればいいという態度で設計されているので、外国語の歌詞とまで言わなくても曲名すらまともに表示できなかったりする(曲名が表示できれば歌詞も表示できるだろうが)。使われることのない機能に費用を注ぎ込んでも無駄なだけだということなのだと思う。これは一方的に非難するのも可哀想かもしれない。これまで携帯電話でこれほどの多機能が要求されてきたのは日本国内だけで、外国ではそれほど要求があったわけではない。だからこそのガラパゴスなのだが、海外でもスマートフォンが普及してきたわけだから、i-mode は知らないがガラパゴス携帯のシステムをベースに多国展開してもいい時期ではないかという気がする。そろそろ島国根性から脱却してもいい時期にさしかかっているのではないだろうか。

iPod もスマートフォンも基本的には開発国以外でも売るという前提で設計されているので、マルチリンガル機能が標準で実装されている。一方のガラパゴス携帯電話は取扱説明書なんかを見ていても英語の説明が巻末に数ページあるだけのお座なりな対応しかしていないので、メニューの言語を英語以外にすることすらできないのではないかと思う。
そういう視点で考えた場合、ガラパゴス携帯がいくらスマートフォンに劣らないくらい機能が満載されていたとしても、ガラパゴス携帯とスマートフォンは本質的に別のものということができる。私の場合、スマートフォンかそうでないかの違いはマルチリンガル対応かどうかという定義になる。iPod はメニューの言語も複数選択できる。間違ってヘブライ語なんかにしてしまえば元に戻すのに苦労することになるだろう。

ついでに書いておくと、そろそろ Windows も標準でシステム言語を選択できるようにしてもらいたい。今後アルゼンチンの友人が遊びに来るかどうかはわからないが、以前来たときに PC を使わせてやろうとしてもメニューが日本語なのでどうしようもなかった。Ultimate を買えば UI も他の言語に設定できるらしいが、それだけのためにそんなものを買わなければならないというのもどうかしている。Mac は iPod や iPhone 同様できるということを聞いたような気がするが、もしかすると日本で売られている Windows 系スマートフォンは UI の言語を変更できないのだろうか。

山(坂)という葛藤2010年07月15日 23時59分

基本的にしんどいことは嫌いである。だからジョギングだのマラソンだのをしようとは思わない。ジョギングなどは自転車に較べて熱中症のリスクが高いのではないかという心配もある。

最近は山もブームらしい。山にも女が跋扈し「山ガール」などと呼ばれていると TV で言っていた。歴史の女は「歴女」だし鉄道の女は「鉄女」なのに、なぜ山だと「ガール」なのか。「山女」と呼ぶべきではないのか、と突っ込みたくもなるが、それは今日の本題ではないので、まあいいとしよう。
誰ぞが山を登る理由に「そこに山があるから」と答えたというのは有名な話だが、私は山があろうが「そこに山があるから」という心境にはなれない。迂回できるものなら迂回したい。

ただ、家の東には山があるし、この相生でも中心部こそ割合平坦だが、周囲はそこらじゅう坂だらけである。というか山に囲まれていると言っていい。現場に行くのも山の中である。そう迂回ばかりもしていられない。

このところ雨天でなくて時間があれば万葉岬に行っているという話は書いている通りである。今日も久しぶりに晴れ間が出ていたので岬まで走ってきた。

ところが部屋を出るときからすでに葛藤が始まっている。
あんな坂登りたくないという気持ちと、何とか頑張らないとという気持ちが拮抗したところから始まる。

走りながらでも悪魔だか天使だか知らないが、「坂の手前で引き返そう」と囁くやつがいるし、そうかと思えば「いやいやこの間は登れたんだから今日はもう少し楽に登れるだろう」と唆すやつもいる。

結局唆すやつが勝って岬まで登ってきた。岬に着いたらすぐに引き返す。

しんどいには違いないし、登っているときでも「そのカーブまでで引き返そう」と囁かれ続けている。それでも確かに前回よりは楽だった。腕のがくがくはかなり改善された。息が上がるのは当然だが、それも徐徐にましになっているようだ。

どうして登るのか自分でもよくわからない。何しろマンションを出るときから「坂は避けたい」と思いつつ走り出しているのである。確かに登り切ればちょっとした達成感はある。脳内麻薬も少しは出ているからか、また登ろうという気になるのかもしれない。どちらかというと「坂の手前で帰ろう」と囁かれつつ登っているような具合であるから「山があるから登る」というような心境では絶対にない。

坂道を登りたくなければ国道をそのまままっすぐ行けばいいのであるが、つい岬の方に折れてしまう。

ただ、確実に言えることがある。国道を走り続けると際限がないことだ。国道でもどこかに適当な目標を決めることはできるだろうし、国道の終点まで走ってもいいかもしれない。ただ、適当な目標は目標として弱いし、終点まで走れば日が暮れる頃までにマンションまで戻ってくることはできないだろう。
岬だとしっかりした目標になる。距離も適当だし、岬は道のほぼ終点なので、泣いても笑ってもそこまで走れば後は帰るだけだ。
岬についてはそういう明快な目標が設定できるから、つい岬に逸れてしまうのだろう。いやいや走っていても目標に辿り着けば達成感は得られる。汗塗れであっても気持ちいい。

それで帰ってシャワーを浴びてビールを飲めば達成感ととともにちょっとした幸福に浸ることができるのだった。

書いていて理由がわかってきた。なんだそういうことだったのか。達成感は気持ちいいのである。

落し物というか忘れ物の日2010年07月16日 22時25分

夕方事務所で気が付いたらいつもは胸ポケットに入っているロガーが見当らない。慌てて現場に戻って心当りを探し回ったが見つからなかった。誰かに拾われたのだろうと諦めた。
ロガーなので、仕事で使っていると勘違いする人がいるかもしれない。どこかに置いておいてもらえるかという期待はしたが、駄目だったようだ。普通の人には面白いものではないし、欲しいと思わせるようなものでもないので、拾って得したという気になるようなものではないと思っている。

ただ、現場には技術者や工事の職人さんが入っているので、中には面白いものを見つけたと思う人がいないでもないところではある。

せっかく電池を交換したばかりだったのにと後悔するが、自分が悪いのだからと諦め切れないが、とりあえず諦めた。

マンションに戻って家に帰る準備をしているとバックパックの中から出てきた。昨日岬に行ったときに入れたまま忘れていたようだ。間抜けであった。しかしなんで朝気が付かなかったのだろう。

で、帰りに家の近所まで送ってもらい、夕飯を食べようとカレー屋でカレーを食べた。帰りながらバックパックのポケットをまさぐると、iPod touch はあるが、携帯 WiFi がない。車を降りたときは確かに両方持っていたので、落したとすればカレー屋しか思い浮かばない。そのときすでに結構歩いていたが仕方がないので、カレー屋まで戻る。店員さんに声をかけようとしたらあっちも忘れ物の客だと気が付いたようですぐに出してくれた。
これをなくすとこれから数箇月、相生でインターネットにアクセスする手段がないのだった。

結果としてはよかったが、駄目な一日だった。

赤穂は相生の西にある2010年07月19日 18時39分

今日は相生に来て初めての祝日である。
毎週家に帰っているが、実際のところ落ち着かない。特に落ち着かないのは日曜だ。日曜の間に相生まで戻っておかないと月曜、仕事に間に合わないので、日曜に移動することになる。これが落ち着かない。家を出てしまえばどうということはないが、準備も必要だし、何よりも出発までが落ち着かない。

そういうわけで週末に家に帰るのは落ち着かないのだった。今週も同様だが、日曜にゆっくりできるのは想像以上に気分が楽だ。今日は朝食後、しばらくしてから戻ってきた。梅田でちょっとした買い物をし、時間も早いので電車賃を浮かすために、三ノ宮で途中下車した。改札を出て、そのまま入るだけで、通しで乗るより安いのだ。競合があるとはいえ、こういう歪んだ運賃体系も何とかしてもらいたいところである。

マンションに辿り着いたのは昼を少し回った頃だ。それから荷物を置いて自転車で出かける。とりあえず腹拵えのために饂飩屋に入る。
いつもは相生から海岸沿いに東に走るので、今日は趣向を変えて西に向うことにした。
同様に海岸沿いを走るが、IHI の上の橋を走ったり、関西電力の発電所の横を走ったりしてトンネルを抜けると赤穂市だった。
赤穂市といっても外れなので田舎の漁村という趣である。天気のいい夏の日は静かでのんびりしている。しばらく走っていると父親だかお爺さんだかが子供を引っ張って泳がせていた。他には誰もいないので、彼女が海を独占している。羨ましい限りだ。
海水浴場なんぞに行けば誰でも泳げるが、ニュースなどを見ている限り、人気の海水浴場はおよそ泳ぐというより通勤電車の海版という様相を呈していてあまり嬉しくない。
独占していた海は砂浜ではなかったが、周囲を気にせずゆったりと泳げるだけでも贅沢である。

そこからさらに少し走ると偶然昔の街並が 300 m ほど続くところに出てきた。他の場所と同様、時間は進んでいるようだが、足踏みしているというかルームランナーのように同じところを時間がぐるぐる回っているような感じで、驚くほど時代に取り残されているような気がした。相生にもそんなところは点在しているが、ヨーロッパの町のように朽ち果てることなく昔の趣をそのまま残しているような街並は相生には知る限りない。相生でなくてもなかなかそういうところはないように思う。日本の古い町並は朽ちかかっているところが多い。ここは人通りこそなかったが、朽ちていく雰囲気はなく、現役であるところが値打ちだと思った。

最終的にそこを抜けて赤穂のイオンまで行って水分を補給して帰ってきた。全行程ざっと 30 km。
最高気温が 30度ほどの予想だったので、水筒を持たずに出かけた。やはり水筒は必要だ。特に街中でないところを走るときにはコンビニがそれほどないので、必要なときに店がなかったりする。
家からいろんなものを持ち込むのも厄介なので、なるべく持ち込まないようにしている。水筒を持ってこなかったのもそういう理由もある。しかし、真夏の昼間にポタリングするのであれば水筒を持たないと熱中症にかかりにいくようなものである。さいわい熱中症にはならなかったが。